152話 張り込み
小蛙草が小刻みに揺れている。薄紙のような花びらは今にも千切れてしまいそうで意外と丈夫だ。水の王館の池にはいつの季節でも赤い小蛙草が鮮やかに映え、その存在を主張している。
「雫ちゃん、土の市は初めてよね?」
「は、はい。水の市と木の市に行ったことがあるだけです」
耳の近くでジャラッという音が鳴った。肩を組んで顔を寄せてきた垚さまの耳飾りがぶつかり合っている音だ。
垚さまは土の王館から埴輪を数体呼び寄せて、水の王館の庭に穴を掘らせている。移動用の空間穴だそうだ。勿論、後で埋めるという条件付きで淼さまから許可を貰ってある。
「あー、貝の筆記具買ったのよね? 一時期凄かったわよー。あまり物に執着しない水理皇上が大事にしてるって話題沸騰だったんだから」
鑫さまも似たようなこと言ってた気がする。恥ずかしいから止めて欲しい。淼さまへの贈り物として選んだのは僕だけど、払ってくれたのは淼さまだ。
「水理皇上はねぇ、時々っていうか昔からよく分からないのよねぇ」
ザクザクという音が辺りに響く。垂直に深くなる穴は覗き込むのも怖くなってきた。
「水精の癖にあたくしたち土精の威圧感なんてまるで感じないみたいだし、それどころか王太子選考会の日に暴れまわってた古参の高位土精を倒したらしいわ。結構名の知れた精霊だったのに」
流石、淼さま。王太子になる前から規格外の強さだ。
「そんなに強いのに意外と世間知らずって土理王は言ってたわ。けど、王太子時代は……流没闘争の頃は特に冷酷無慈悲っていう言葉が似合うわね」
淼さまが一度だけ昔の話をしてくれたことがある。僕が初めて王館の外へ出るときだ。淼さま自身も戦いの日々だったって言ってた。戦いを収めるために戦うっていう矛盾した日々だったそうだ。普段、当時の話をあまりしないのは、思い出したくないからかもしれない。
「理王になってからも変わらなかったのに、それがすっかり丸くなって、雫ちゃんなしの生活なんて考えられないんじゃないかしら」
「いや、そんな僕は何も」
それは僕の方だ。淼さまに恩返ししたいとか言いながら淼さまに頼りきりだ。大体侍従なんて仕える主がいなければ成り立たない。
「もういいわよー。皆上がっといでー」
垚さまが穴の中に声をかけると少し遅れて埴輪が何体か上がってきた。取れそうな細い腕で良く登れるものだ。
「二人とも入れそうだけど念のため雫ちゃんが先に入って良いわよ。突っかかったら押し込んであげるわ。向こうに坟がいるから合流してね」
ジタバタしていて上がれない埴輪に手を貸して穴から遠ざける。
「分かりました。じゃあ失礼します」
底が見えない暗闇に足を出した。ちょっと怖いけど鋺さんの赤い空間みたいなものだと事前に説明を受けている。大丈夫なはずだ。けど一歩目の着地点がないので、二歩目を出すタイミングが分からない。
「早くしてよ」
「わ……あ!」
背中を押された。
ガリッという音がしたのは、多分穴の縁に手の甲を擦ってしまったからだろう。でもそんな痛みなんか感じない。それよりも強力な浮遊感に襲われてどういう姿勢を取って良いか分からない。
この違和感をやり過ごそうと、背中を丸めて息を止める。もしかしたら無様に悲鳴をあげた方が楽だったかもしれない。
額が膝につきそうなほど背中を丸めたところでグルンッと上下がひっくり返った。浮遊感は一瞬で消えて、代わりに頭に空気の抵抗感じる。何かに引っ張られて体が勝手に上昇していくようだ。
暗い穴のはずなのに徐々に明るくなってきて、見上げた瞬間に予想外の光量に見舞われた。
「重いっさぁー!」
「わっ……ぶぷっ!」
眩しさに目を閉じると体が一瞬宙に浮き、次いで地面に叩き落とされた。地味に痛い。
「ぼーっとしてないで避けるさー。垚サマが来るよー」
うつ伏せに倒れたまま坟さんに引っ張られた。顔が痛い。この短い時間で擦り傷が増えていそうだ。
「てってれー! お待たせ」
ふざけた掛け声と共に垚さまも飛び出してきた。僕と違ってちゃんと着地を決めている。
「遅いんだよ、垚サマ。先に始めるところだったさー」
腕を擦りながら立ち上がる。坟さんは肩に棒のようなもの担いで立っていた。朝日を背にして腰に手を当てているようだ。
「ん? あ、ありがと」
足に何かまとわりついていると思ったら、埴輪が僕の服に付いた土や砂をパタパタと払ってくれていた。
「おや、随分懐かれたね。珍しいさー」
埴輪達は元々の姿勢なのか、それとも敬礼しているのか定かではないポーズで坟さんの元へ戻っていった。
「さて、準備はできてるのよね、坟」
垚さまが大きく伸びをしながら首を回した。
「あぁ、こっちさー」
坟さんは付いてくるようにと顎をしゃくった。埴輪がガタガタ言いながらその後を追う。さらにその後に垚さまと僕が続いた。
裏通りから少し歩くと賑わいがすぐに聞こえてきた。露店の屋根も何ヵ所か見える。
「この場所を借りたさー。元々宝石商がいたんだけど、一日の売り上げ相当額の倍を出してやったらあっさり引いたよ」
少し開けた場所には簡素な造りの店が出来ていた。簡素とは言っても土壁でしっかり補強された立派な店構えだ。急誂えには思えない。
「土理王の名前は出してないでしょうね」
垚さまが何故か僕の肩に凭れながら坟さんに尋ねた。
「出すわけないね。垚サマと一緒にするなよ」
「キーッ! いちいち腹立つ言い方するわね!」
店の中では既に埴輪が何体か作業をしていた。売りに出す宝石などを並べているようだ。
こうして埴輪達が並んでいるのを見るとひとつひとつ顔が違うのが良く分かる。皆個性があって動きもまちまちだ。
「前回土器売りに来て、怪我した子もいるさー。今回は慎重に行けよ」
「分かってるわよ! 誰に言ってるのよ!」
「頭のお堅い土太子サマにさー」
「キーッ! 口の聞き方が気にくわないわ!」
まずい。止めないとヒートアップしそうだ。
「ぎ、垚さま。確認ですけど僕は隠れていれば良いんですよね?」
分かりきった作戦だけど、垚さまの顔を覗き込んで強引に二人の間に入る。
「そうよ。坟とあたくしで売り子に扮するから、雫ちゃんは店の裏で見えるところにいてちょうだい。月長石に釣られて来た偽の水理王侍従を取っ捕まえてやるわ! いいわね、お前達!」
垚さまがビシッと指を立てて埴輪達に向ける。けど残念なことに垚さまの言葉には全員無反応だった。
「……てことだ。抜かるんじゃないよ」
一方、坟さんの言葉に埴輪達は息巻いた。……息をしているかどうかは不明だけど。
埴輪達は偵察隊だ。市に散らばってそれっぽい精霊がいないか、見て回るそうだ。
土の市には定期的に埴輪が監視目的で撒かれるらしく、特に怪しまれることはないそうだ。
「頑張ってね」
応援の意味も込めて一番近くにいた埴輪を撫でてみた。埴輪はすぐにガタンッと体の向きを変えて万歳をするように両腕をあげる。勝手に触ったから威嚇されているのかもしれない。撫でていない埴輪にも同じような動きが伝染していった。
「喜んでいるさー。埴輪達は一体の感覚を全員で共有しているのさー。だから一体が怪しい者を見つければすぐに情報が伝わる。……それにしてもホントに懐かれたね。何か気に入られるようなことしたのか?」
それは覚えがないけど、準備は万全。あとは偽物が現れるのを待つだけだ。




