148話 水晶刀鑑定結果
土の王館は流石に良い土に溢れている。足を包みこむような柔らかさがあって、それでいて足が沈むことはない。庭の土は特に歩きやすいように手がかけられていた。
「ひどいわ、御上ったら。あんなに思いっきり絞めなくてもいいじゃない」
垚さまがぶつぶつ言いながら肩をぐるぐる回している。土理王さまは垚さまに向けて僕たちを送ってやれと命じて奥へ下がってしまった。
岩の下に取り残された垚さまは僕たちが手を貸すまでもなく、自力で這い出てきた。演技だったのじゃないかと思うくらい、それはもう簡単に。
「お肌に傷がついちゃうじゃなーい」
自分の顔を撫でながら不満を述べる垚さまだったけど、何を思ったのか僕の顔に手を伸ばしてきた。
「な、何ですか?」
よく知らない方に頬を撫でられるのは複雑な気分だ。かと言って手を払い除けるわけにいかない。けどくすぐったくてくしゃみが出そう。
「やーん、お肌すべすべー。流石、水精だものね。水分保有率がぅおうっとぉ!」
僕の顔を風が掠めて垚さまが僕から手を避けた。横では潟さんが太刀を翳している。
「あっぶないわね!」
「雫さまに手を出した罰です」
僕には速くて見えなかったけど、潟さんが太刀を振り下ろしたんだろう。垚さまにはしっかり見えていたようだ。
「だからあたくしは堤ちゃん一筋なの!」
反射的に避けたことで乱れた髪を直している。
「堤どのが気の毒です。こんな者を夫に持ってしまって」
「キーッ! 夫婦のことに口出すんじゃないわよ」
垚さまは魂繋をしているのか。相手の名前は堤さん。心のメモに書き留めるのを忘れない。王太子の配偶者になる精霊ってどんな方だろう。
「全くさー。こんなチンピラのどこがいいのさー」
足下から声がした。視線を下げると蚯蚓が赤茶の頭を土から出していた。
「あ、坟さん」
「ちょっと坟! 土師でも言っていいことと悪いことがあるわよ!」
垚さまが言い合っていた潟さんを押し退けて坟さんに詰め寄った。遠くから見たら地面を指差してひとりで怒鳴っいる危ない人に見えるかも知れない。
「嫁と息子をほったらかしてる奴のどこが良いのかあっしにはさっぱりさー」
息子さんもいるらしい。心のメモが増えていく。坟さんに息子さんのことを言われると垚さまは少し言葉に詰まった。
「んんっ! しょれより何か用かしら」
噛んだ。明らかに動揺している。放っている自覚はあるみたいだ。潟さんが太刀を納めてクスクス笑いながら僕の背後に戻ってきた。
坟さんは蚯蚓の姿なので表情は分からないけど、人型だったらきっとじっとり睨んでいたに違いない。
「あんたに用はないさー。用があるのは水理王の侍従長の方さー」
「え、僕ですか?」
急に話を振られた驚きと、坟さんの土太子に対する扱いが雑すぎることへの驚きが一緒にやって来た。
「市で石買おうとしたんだってー?」
「してません!」
それは僕のそっくりさんだ。面倒なことになってきた。
◇◆◇◆
「それで土師は納得したのか?」
所変わって淼さまの執務室。
僕と潟さんが水の王館へ戻るとすぐに淼さまも謁見を終えてへ帰ってきた。
水晶刀をお返ししながら潟さんの市での出来事と土の王館でのやり取りを報告する。
「えぇ、あっさりと。ここ数回、土器売りに出ていた埴輪から水理王の侍従が来ていると報告が上がっていたそうです」
「それでこちらの様子を探っていたわけか」
淼さまは水晶刀を撫でながら潟さんの話を聞いている。土側の方々は僕が市で月長石を買い漁っているのを聞いて、不審に思いつつも様子をみていたようだ。
「坟によると今日も市で見かけたという情報が上がり、ちょうどそこへ本人が現れたとのことです。元々半信半疑だったのと、私からの話を聞いて信憑性がないと判断したようです」
坟さんは疑うっていうよりも面白がっているように見えた。口を出そうとする垚さまを追いやり、慌てて弁明する僕たちの反応を楽しんでいたような気がする。
「雫の行動歴なら証明できる。前回の市の際は……確か焱と森が一緒だったな?」
「あ、は、はい。桀さんを連れて王館を見て回るって言うので僕も誘ってもらって」
王館に来て半年ほど経つ桀さんだけど、その間ほとんど木の王館に引きこもっていた。だから焱さんが案内に連れ出したみたいだ。ついでに僕のことも誘ってくれたのは焱さんの優しさだろう。相変わらず面倒見が良い。
「必要なら王太子二名の証言が取れるが、必要ないだろうな。垚や坟が雫のことを疑っていないならわざわざ言うこともないだろう」
淼さまは水晶刀に引っ掛かった髪を払いながら、添付してある紙を開いた。カサカサと乾いた音が響く。
「市の方はどう致しましょう」
「こちらに実害はない。土理の方で手を回して市で捕らえたいと言っている。あちらの立場もあるから、私たちは少し様子を見るしかないな」
淼さまが報告を切り上げようとしているのがよく分かった。瞳が小刻みに動いて書面の字を追っている。
「よろしいのですか? 支払いは水理王へ請求するように言われたとの証言があるようですが」
僕が市にいても特に問題はないんだけどここが大事だ。水理王の侍従を名乗ることで支払いを後々水の王館にさせるつもりだったらしい。すでに何件かは取り引きしてしまっているみたいだ。
「口を出そうものなら今度は土理が乗り込んでくるぞ。王太子時代、私に手柄を持っていかれたと未だに難癖をつけてくるんだから」
淼さまはそう言いながら、今まで自分が読んでいた書面を僕に差し出した。
「読んでごらん。面白いから」
「はぁ」
淼さまから書面を受けとると、神経質そうな整った字が並んでいた。後ろから潟さんが覗き込んでくる。
~水晶刀鑑定結果~
破損等確認されず。
残存理力微量検知。
水 七割。
金 一割。
木 一割。
火土 合計一割。
混合精の可能性無。
属性不明。
これのどこか面白いんだろう。
「水晶刀に残っていた免の理力を調べてもらった。要素は水が一番多い。けど水精である可能性はないらしい」
「どうしてですか?」
水の要素が七割だ。見た感じだとほぼ水精だと思ってしまう。
「二属性までなら混合精の可能性もあるけど全属性持ってるからね。この世界では二属性までしか生まれない」
混合精は子供を残すことができないから、二属性より多く理力を混ぜることは出来ない。それは分かっている。
「三属性以上持ってしまうと火剋金や水生木の関係が崩れてしまうからね。貴燈の煬のように強力な精霊で溢れかえったらこの世界が壊れてしまう。二属性だってギリギリだ」
混合精は二つの理力を持っているから攻撃も防御も二倍だ。その不平等さを補うのが『混合精は初級理術しか使えない』という理だと淼さまは続ける。
「私は免とは対峙したことはございませんが、なんでも理術が全く効かないそうですね」
「らしいな。あのときは焱と鑫の攻撃が効かなかっただけだが、この結果を見ると他の理術も効かないだろうな」
月代連山での出来事だ。免の甘い声は今思い出すと鳥肌が立ってしまう。あのときは物理的な攻撃しか効かなくて焱さんが弓で石を射っていた。
「そんな精霊がこの世界にいるなんて……」
潟さんは信じられないといった顔をしている。最近色んな表情を見ることが多くなったけど、こんな複雑そうな顔はあまり見ない。
「じゃあこの世界の精霊じゃないってことですか?」
深く考えずに言葉を発した僕に四つの目が向けられた。




