146話 土の王館へ
も……もう疲れた。
土の王館へは外から行った方が早いと言われたのにまだ辿り着けない。
「雫さまっそこは!」
「うっ……わぁあっ!」
足下が寂しくなって体が落下していく。すでに四回目の落とし穴だけどこの浮遊感にはどうしても慣れない。
「大丈夫ですか?」
途中で潟さんが引っ張りあげてくれるので、四回とも穴の底には着いていない。その都度、穴の縁ギリギリで踏みとどまって僕の腕や腰紐を掴んでくれるので、潟さんの袖は土で汚れていた。
「す、すみません。気づかなくて」
何度も落とし穴に引っ掛かって、潟さんはきっと呆れているだろう。
「しつこくて申し訳ないのですが、黒い石は水精用の罠です。踏まないようお気をつけください」
避けているつもりなんだけど、時々小さすぎるものがあって気づかずに踏んでいるようだ。
「潟さん、もし迷惑だったら僕のこと置いて先へ行って下さい」
潟さんならどこに罠があるか分かっているだろうから、もっと素早く辿り着けるだろう。僕はちゃんと無事に着くのかすら怪しい。
「何を仰いますか。護衛が守る対象を置いていくなんて、湯の入っていない湯船に浸かるようなものです」
ちょっと何を言ってるか分からない。
「それにこれだけ罠に引っ掛かっていればその内に埴輪が起きますので、案内させましょう」
「埴輪?」
潟さんが僕の服を直している。引っ張られてだらしなくなってしまったみたいだ。恥ずかしいので自分でやりたい。潟さんは時々世話を焼きたがる面がある。
「来ました。あれです」
潟さんの目線が上がったので僕も振り向く。土色の人型の焼き物がぎこちない動きでこちらに迫っていた。全身甲冑のような格好をしているけど、頭のてっぺんから足先まで全部赤茶けた土色だ。
近づいてくると意外と小さい。僕の脛くらいまでしかないかもしれない。空洞の目からは知性……というか意思が感じられない。穴の空いた口は薄く弧を描いているけどそれが不気味さを際立たせた。
「おそらく、先ほど雫さまが踏んだ石の埴輪ですね」
カリカリと引っ掻くような音を立ててこちらへやって来た。僕が踏んだ埴輪って言うのは分からないけど、多分歓迎されてない。
「ナニモノ」
無機質な声だった。何の感情もこもっていないし、口も動いているようには見えなかった。
「水理王侍従の雫さまと近衛の潟だ。御上の命により預けた品を引き取りに伺った。案内を頼みたい」
潟さんが僕の服を直し終えて手を外してくれた。ニコニコしながら話しかける一方、埴輪は一歩も動かず僕たちのことを観察しているようだった。
「シズク……セキ……潟だってぇ!?」
急に流暢な言葉遣いになって二度見してしまう。表情は変わらず半開きの口もそのままだけど、驚いているのは明らかだった。
「その声は坟ですね。お久しぶりです」
「ちょっと待て。すぐに行くさー」
コロコロした高めの声は女の子みたいだけど、喋り方は男性みたいだ。土精ならではの特徴かな。
「坟さんって言うのはどなたですか?」
「土師という役職でして、王館で働き手となる土人形を製作しています。このような埴輪や祭祀用の土偶などですね」
潟さんが目の前の……というか足元の埴輪を指差した。空洞の目は何も映していない。でも冑を外した鋺さんの目もこんな感じだった。……いや、もっと虚しかったかも。
「土精は王館で働いていないんですか?」
「そんなことはありませんが、数は少ないかもしれません。場を守るために本体から離れられない者もいますから」
そういえば花茨城でも土地の精霊はそのまま残っていた。芳さんの復活するまで地栗鼠が見守っているはずだ。
「おおーい」
「水精ならある程度離れても大丈夫ですけどやっぱり色々あるんですね」
僕はもっと社会の基本的なことを勉強した方がいい気がする。先生に教わることももちろん大切だけど、机の上で学ぶことだけじゃ分からないことが多い。
「おおーい!」
「水精でも動けない者もおりますよ。例えば水溜まりのような小さな体の者は離れた途端に干上がってしまいますから。そんな危険は犯しません」
なるほど。ある程度の水量がある者や雨伯みたいに現象そのものが本体である者は動けるけど、少なすぎると動けないのか。僕は一滴しかないとき淼さまに持ち歩いてもらっていたけど。
「おーいって言ってるさー!」
「わぁっ!」
突然耳元で大きな声を出された。それと今気づいたけど、耳たぶにひんやりとした感触がある。
「坟、そんなところに乗らないで。雫さまが汚れます」
潟さんが僕に手を伸ばしてくる。その手は僕の顔の少し横を狙っている。
「汚れるだぁ? 土を汚れ物呼ばわりするのかー」
潟さんがひょいっと摘まんだのは蚯蚓だ。僕の肩に乗っていたらしい。この蚯蚓が坟さんか。
「こ、こら! 摘まむんじゃない! あ、ちょ、ちょっと、そ、そこ持つなっ!」
「坟は昔からここが弱かったですよね」
潟さんは親指と人差し指で蚯蚓を摘まみ、器用に薬指で胴体を擽っている。そんな楽しそうな二人のやり取りを横目に僕は頭の中を整理する。
水先人の漕さん。
火付役の颷さん。
金字塔の鈿くん。
そして土師の坟さん。
木偶の後釜はどうなるんだろう。今度、桀さんに聞いてみよう。
坟さんは潟さんに摘ままれて、どこか艶っぽい声をあげながらくねくねと身を踊らせている。
「は、なせって言ってるさー!」
「おっと」
蚯蚓の体積が一気に膨れ上がって潟さんが素早く手を放す。赤茶けた影が視界を掠めた。次の瞬間には人型が地面に足を付けていた。
「危ない危ない。流されるところだったさー」
ボサボサした赤茶の髪を掻き上げながら立ち上がる。装いは男性みたいだけど女の子だ。可愛らしい声の割に目は挑戦的に光っている。
「流すのは水精の得意とするところですから溺れてくれて構いませんよ」
「冗談じゃない。あんたの相手してたら身が持たないさー」
潟さんがちょっと楽しそうだ。嬉々としてやり取りを続けている。
「えーと、すみません。坟さんですか?」
楽しい会話の邪魔をするようで申し訳ないけど、お使いの途中なので本題に入らせて欲しい。
「そうさー。あんたが雫……水理皇上の侍従だって?」
「そうです。宜しくお願いします」
握手をしようとして手を出したけど、その手は握られることはなかった。僕の顔を見て、頭を見て、足を見て、最後に胸の紋章に目を向けて眉を少し跳ねさせた。
「なんだ。潟が帰って来たっていうからてっきりお前が王太子になるために呼ばれたのかと思ったさー。違うのか」
一時期、当時の王太子を廃して潟さんを王太子に据えようって話があったみたいだから、その名残かもしれない。
宙に浮いた手をこっそり下ろす。不自然にならないようにゆっくりゆっくり下ろした。
「冗談でしょう。揉め事はもうたくさんですよ。そんなことより水晶刀の受け取りに来たんです。話は聞いてるでしょう」
潟さんが途中で話を切り替える。坟さんはまだ喋りたそうだったけど仕方ないという感じで無造作に頭を掻いた。
「あぁ、水晶刀。御上が直々に渡すって言ってるさー。ありがたく思うさー。埴輪達! 水精の罠を切りな!」
坟さんが庭へ向かって声を上げると黒い石が伸び出した。様子を見ていると膝の高さくらいまで盛り上がったところで、ぴょこっと手が生えた。地面に近い部分も綺麗に筋が入って足になる。
完全に足が抜け出た者からちょこちょこと動き始める。頭が重くてバランスが取れないのか、何体かすでに転んだ。皆、虚無の表情だし、何か頼りないんだけど動きを見ていると可愛い。




