144話 初代理王と大精霊
「初代さまはそなたの父じゃ。潟はそこまで言わなかったか。霽……いや失礼、雨伯からも聞いておらんか?」
ドンッと心臓が直に殴られたような……いや、そんな経験ないけど、それくらいの衝撃があった。その余韻でドキドキしている割に、頭は比較的冷静だ。
理王の記録を先生が持ってきたときから、父上のことが聞けるだろうとは思っていた。理王だという父上がどこかのタイミングで出てくるだろうと。
先生の目は相変わらず開いていないけれど、厳しい視線が確実に僕を刺してくる。僕が何も言わないことをどう思っているのだろう。薄情だと思っているだろうか。
「精霊界創造、すなわち天地開闢に携わった十二名の精霊の話は覚えておるか?」
はいと言おうとして声が出ず、仕方なく黙って頷いた。何か探すように頁を捲っている。
「十二名の精霊の内、光と闇の二名は精霊界創造と共に落命。各属性の五名が初代理王となった。そのひとりがそなたの父じゃ」
「あ、あと、五人はどうなったんですか?」
やっと出た自分の声は掠れていた。父のことを知りたいはずなのに知るのが怖くなってきて、少し話を逸らしてしまった。先生はそれを責めることなく答えてくれる。
「残る五名は禍根を残さぬために『非王の誓い』を立てたのじゃ。永久に理王にならない代わり、初代理王と同等の特権を許された」
なるほど。最初は良くてもその内権力が分散して、後々争いになりそうだ。理王にならないという誓いがあれば誰かに担がれることもないだろう。
「初代理王の特権って何ですか?」
「不死じゃ。精霊界を永久に見守るという特権であり、義務とも言えよう」
そうか。永久に見守るっていう責務があるから引退にならないのか。不死と聞くと半死半生だった鋺さんのことを思い出す。特権というほど良いものかどうかは微妙だ。
でも、もし生きているなら
もしかしたら、いつか父上に会えるだろうか。
「位は伯位じゃが、大精霊と呼ばれ実質的には一段上じゃな。各々自分の領域で自治を認められておる。理王でも余程のことがなければ指図はできない」
「理王でもですか?」
理王でも出来ないことがあるとは驚きだ。僕が驚いていると、先生は満足そうな顔をしながら腰を叩いた。立ったままなので、そろそろ腰が痛くなってきたのかもしれない。
「在任中に一度も会わないまま退位する者もいる。わしは昔、たまたま水の大精霊と境界を共有していたので、理王になる前から知っておったが、その後は即位と退位の連絡しかしておらん」
先生は少し懐かしそうに見えた。いったいどれくらい前のことなのか、想像もつかない。
「始祖の精霊は不死とはいえ、初代理王は精霊として存在はしておらん。この世の支柱となるためにその身を犠牲にしたのじゃ。そなたの父は今もこの世を支えている」
父に会えるかもしれない、という淡くて濃い期待は長く持たなかった。変に希望を持ってしまうよりもその方が良かったかもしれない。
先生は僕の反応を見ているようだったけど、少しの沈黙のあと話を再開した。
「始祖さまの内、精霊として今も存在しているのは四人の大精霊のみ。前にも話したかもしれんが、火の朱雀伯、土の白虎伯、木の青龍伯、それに水の玄武伯だけじゃ」
「土の大精霊は生きていないのですか?」
今の話だと大精霊がもうひとりいるはずだ。
「生きているかと問われれば、精霊としては生きていない。土の黄龍は精霊が暮らす大地を自らの魂魄で作ったのじゃ」
先生にしては歯切れの悪い説明だ。つまり土の大精霊である黄龍は大地そのものになったということだ。大地としては生きていると、そういうことらしい。
「ここまでは良いか?」
「あ、は、はい」
不意に理解を確認されると反射的にはいと答えてしまう。多分大丈夫だと思う。
「では少し進めるかの。始祖の精霊が初代理王に就いたことで、精霊界にはある程度の秩序が出来上がったが、それはまだ不安定なものだった」
先生が記録誌を捲る。望んだ物が見つかったらしく、先生は軽く本の中心を指で押さえた。
「鋺のことを覚えておるか?」
もちろんだ。何ならついさっきも考えていた。すでに懐かしい名前だけど、一緒に戦った仲間だ。忘れるわけがない。
僕が頷くと先生は黒い本を開いたまま手渡してきた。閉じないように気を付けながら受けとる。
「鋺が起こした事件は知っておるな。詳しくはそこに書いてある。読んでみよ」
先生は少し僕から離れて手頃な椅子に腰かけた。それを見て、僕も重い本を持ちながら近くの椅子に落ち着いた。
『 ーー初代金理王は天地開闢の折に出来た錆が進行し、ほどなく娘に理王の位を譲る。しかし世襲性に疑問を持った者が多く、反発の声も多かったため、第二代金理王は以後世襲にはしないと名言。
ところが初代の妹・鋺は娘の錺を次の理王に据えるため、理王になり得る有力な精霊を次々と手にかけた。年齢性別を問わず襲った精霊の数およそ千体。但し現段階で確認された件のみで増える可能性もあるーー』
「鋺さん……」
名前が自然に口から零れた。いつか鋺さんが自分で告白した罪だ。我が子を理王の座に据えるために多くの金精を手にかけた、と。
実際に親しい精霊が被害に会っていたらきっと彼女を憎むだろう。でも実感がないせいか、悪人だと言われても彼女を憎めなかった。
『ーー他に適任者がおらず三代目には錺が就任。しかし、初代の姪であったため再び世襲だという声が相次ぎ、就任直後から反対派が多かった。また就任後に母・鋺の残虐行為を知り、その救済措置に力を注ぐが、却って本人及び遺族からの反発を強めてしまう。
このような経緯で第三代金理王は早々に心が錆び付き、間もなく退位。在位期間は現時点の金理王の中で最短である。
第四代金理王はこの事態を受け、後継争いが起こらないよう、王太子制度を提案。理王会議に於いて
初代水理王・第二代木理王・初代土理王・第五代火理王
以上、全理王の賛同があり、これによって以降、王太子の選出が決定。
また火理王から退位の際に更に次の王太子まで決めておくのが望ましいとの提案がなされ、各理王もこれに追従。寿命の短い火精が確実に後継を置くための義としてこのような案が上がったと思われる。
尚、第三代の母・鋺には半死半生の罪と金亡者の地位が与えられた。現在もその罪を償い続けているーー』
そこまで読み終えると溜め息が漏れてしまった。何の溜め息なのか自分でも良く分からない。
鋺さんが罪人だと書かれているから?
それとも歴史の一番最初を学んでいるから?
それとも父上のことが書かれていたから?
いずれにしても大事なことがひとつ分かった。鋺さんの事件があって王太子がおかれるようになり、更にその後、安定的に継承できるように次の王太子まで考えられることになった……ということだ。
「その本が書かれたのは水理王が九代目のときじゃ。鋺はすでに罪を償った。加筆訂正せねばなるまい」
先生が疲れたように呟いた。こめかみを押さえている。痛いのは腰だけではなさそうだ。
僕は分厚い本に手を添えたまま年譜の上に目を滑らせて、九代目の水理王を探した。でも紙が動いてしまい、その場所を見つけるのに失敗する。
「今日はここまでにするかの。わしは少し疲れた。潟も王城に戻ったようじゃ。もうすぐ館内に参るじゃろう。迎えに来るまで待っているが良い」
先生が紙の端を引っぱると、紙は元の巻物の形へ戻って行く。僕も周りを軽く片付けて先生に本を返そうとするとやんわりと制された。
「それは貸出を許可する。次の講義までに読んで参れ」
宿題を出されてしまった。胸の紋章と同じ表紙を持つ本。それはやけに重くて冷んやりしていた。




