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水精演義  作者: 亞今井と模糊
五章 木精継承編
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137話 木の継承

 テンくんにおじさんと呼ばれて固まってしまったせきさん。その腕を引っ張ってやや強引に執務室に押し込んだ。


「私は若くはありませんがまだおじさんと呼ばれるほど老いてはいないつもりで身だしなみにも気を使っていて……」


 恐ろしく早口だ。しかもほとんど口が開いていない。唇が震える程度の音量でモゴモゴと呟いている。いつもはひと房だけ額に下りている前髪が今はふた房になっていた。それだけでやつれたように見える。


「若いですよ! 潟さんは若いですから!」

「いえ、雫さまよりは年上ですが」


 面倒くさい!


「潟は私よりも年上だろう? 若作りなら諦めた方がいい」


 淼さまがとどめを刺した。パキンッと薄氷が割れるような音がしたのは空耳だろうか。淼さまの手前、耐えているけど心の中では拗ねているに違いない。花茨の戦いで活躍していたのは本当に同じ精霊ひとだろうか。


 使い物にならない潟さんをひとまず安楽椅子ソファに座らせて、執務席へお茶を運んだ。やっと侍従らしい仕事が出来た気がする。


「そ、そういえば淼さまも冠があるんですか?」


 お茶を出すタイミングで話題を変えてみた。鈿くんの話に出てきた冠だ。繋ぎ方がちょっと苦しかったかもしれないけれど、この重く湿った空気よりはマシだ。気になっているのも事実だった。


「あるよ。ここに」


 どこにと尋ねる前に執務机の上には二つの装飾品が載っていた。いつの間に出したのだろう。


「こちらが理王用。で、こちらが王太子用。まぁ、王太子は外回りが多いから滅多に被らないね。儀式系の行事の時くらいだ」


 金属で出来ている冠を想像していたけど全然違った。ほとんどが布製で金属の飾りが縫い付けられているようだ。装飾の付いた黒地の帽子とでもいえばいいだろうか。


 でもその装飾も手が込んでいる割に派手さを感じない。金や銀、あと多分鉱物系の宝石が付いているみたいだけど、何故か地味さを感じさせる。理王が被る冠は流石に大きいけど、王太子用と並んでいなければそう感じないかもしれない。


「で、あとこれを……よっと……頭に乗せる」

「はい?」


 淼さまが腕を広げて何もない空間から大きな四角い板を出した。盛大な音を立てて執務机に板が倒れると、書面が数枚舞い上がった。顔が映るほど磨かれた金色の板で机の表面がほとんど見えなくなってしまった。反射的にお茶を下げたのは正解だったかもしれない。


「お、重そうですね」

「で、実際はこの前後の縁にかざりだまを付ける。王太子は布地に直付けで一本か二本だけどね。理王が被るときは滝のように垂らすから」


 それは更に重い。僕が貰った一本も玉が五つ付いていたから結構ずっしりしていた。それを前後にびっしり付けつとなると首が壊れそう。


「先代さまは謁見の度に被っていたけど、私は戴冠式の時に使っただけだ」


 鈿くんの言っていた『ちゃんとしたとき』というのは謁見のことか。被る被らないは自由に決めていいのだろうか。


「私は理王だけど王太子名を名乗っているからね。かといって理王なのに王太子用を被るのも変だろう? だから被っていない」


 思ったよりも複雑な理由があるみたいだ。水精には王太子がいない。淼さまは理王であるけど王太子名である『びょう』を名乗り続けることで、二人分の仕事をこなしていると言う。きっと色々考えた結果なのだろうな。


「っていうのは表向きで重いから被りたくないだけ」


 吹き出してしまった。真面目に考えていたのに。淼さまは悪戯っぽい顔をしていた。


「父も重いからあまり被りたくないと言っていましたね」

「まぁ、火理も体調が優れないとか、太子時代の古傷が痛むとか、何とか理由を付けて極力避けているらしいよ」 


 いつの間にか回復した潟さんが話に入ってきた。こんなに重そうな冠を謁見の度に被るのは辛そうだ。淼さまは手をくっ付けて理王用の冠を板ごと片付けた。机の上にはやや小振りの王太子の冠が残っている。


「これ、被ってみる?」


 僕の後ろの方で潟さんが息を飲んだ気配がした。淼さまは王太子の冠に片手を入れてくるくる回している。そんな雑な扱いで良いのか。大事なものだと思うのだけど。


 先ほど避けたお茶を再び机に置き直した。淼さまの手と冠にぶつからないよう少し離して置いた。


「そんな滅相もない。王太子の冠を試着するなんて」

「………………………………試着ね」


 淼さまが冠を回していた手を止める。いささか顔がひきつっているように見える……ような、見えないような。


 ドサッと音がしたので何事かと思って振り返ると、前のめりだった潟さんが安楽椅子ソファに背を預けていた。潟さんは額に手を当てて天井を仰いでいた。


「潟さん、どう……」


 僕の言葉を遮るように部屋にノックが響き渡った。淼さまは太子用の冠を即座に片づけると僕に目配せをする。それを受けて扉に向かい、その途中でさっき落ちてしまった紙を拾って机に戻した。


「失礼致します。水理皇上はご在室でいらっしゃいますか?」


 扉を開けると初老の精霊が立っていた。白い頭に深い緑の衣装。確かこの前、木の王館で帰り際に声を掛けてきた精霊だ。名前は確か……あ、聞いていない。


 通せという淼さまの声を確認して木精を中へ入れた。白い頭の木精は迷いのない足取りで執務席の前にやってくると恭しく片膝を付いた。


 扉を閉めて足早に淼さまのやや後ろに立つ。いつの間にか潟さんも安楽椅子ソファからいなくなっていた。跪く木精から少し距離を取ってその後ろに立っている。


「伝令・笹団扇スパティフィラムが謹んで拝謁致します。水理皇上におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「ご苦労。用件は何だ」


 淼さまが短く先を促す。木精はチラッと顔を上げてから立ち上がった。一瞬目が合ったような気もするけど木精の顔はすでに下を向いている。


「木精の新王太子が決定致しました。ルールの定めるところにより、木理王の譲位と即位が行われます」

「……そうか」


 淼さまの返事は素っ気ないものだったけれど、ほんの少しの驚きと大きな落胆が読み取れた。僕は驚きの方が大きい。淼さまは何でそんなにがっかりしているのだろう。


「戴冠式はいつだ?」

「いまだ決まっておりません。木理王おかみの体調がすぐれません故、まずは譲位を先に行うとのことでございます。その後良き日を選びます故、取り急ぎ各理王方にお伝えせよと木太子が申しておりました」


 淼さまがそうかと返事をしながら肘掛に腕を乗せた。息を吸い込んだから話を終わらせるつもりだろう。本当は僕なんかが口を挟んではいけないだろうけど……でも確かめたい。


「そ、その王た」

「その王太子と言うのは先ほど林と雫たちが連れ帰った桀のことか?」


 淼さまが僕の気持ちを代弁してくれた。


「左様でございます」


 やっぱり!


 潟さんの言う通りになった。そうは言ってもあまりにも早すぎる。


 確かに高位精霊だから王太子になれるけど、桀さんはついさっき王館に来たばかりだ。しかもさっき僕たちで木の王館に送り届けたときにはまだ気絶していた。


あらいとやらは承諾したのか?」


 淼さまが木精に尋ねた。そうだ。それが一番肝心だ。まさか本人が気絶している間に決められたなんてことはない……と思いたい。


「仔細は存じませんが、承諾はあったとうかがっております。重ねて申し上げるなら木理王並びに太子、また多くの木精から圧倒的な支持がございましたので」


 あらいさんがどう返事をしたのか分からないけど、とりあえず桀さんの意思らしい。もしかしたら、断るに断れない状況だったのかも知れないけれど、少なくとも知らない間に担がれていたわけではなさそうだ。


「そうか、分かった。下がって良い」


 淼さまがそう告げると木精は深々と頭を垂れた。その姿勢から頭を上げている過程でパッと目の前から消えてしまった。跡には白い粉が僅かに舞っている。


「……先を越された」


 木精の姿が見えなくなると淼さまが小さな声で呟いた。肘を机に着いて手の平で顔全体を覆う。潟さんまで残念そうに大きな溜め息をついていた。


「淼さま、ご気分が優れませんか? お休みになりますか?」


 さっき見た顔色は決して悪くなかったけど、顔を上げないところを見ると体調が悪いのかもしれない。


「いや、大丈夫」


 淼さまは顔から手を外すと、立ったままの潟さんを見た。冷めてしまったお茶を手に取り、淼さまにしては珍しく一気に呷った。


「少し時期をずらす。二属性以上が同時に動くのは良くない」

「かしこまりました」


 潟さんが少しだけ悔しそうに見えた。二人とも何の話をしているのか分からなくてちょっと寂しい。


「まぁ、元々今回はちょっと難しかったな。花茨の件は、あらいの気付きと雷伯の攻撃が決め手だ。雫の実績を主張するには少し弱い」


 そういえば、竜宮で実績を作りに行くのだと潟さんに言われていた気がする。あとひとつ実績が欲しいと淼さまが言っていたらしい。でも今回の僕は花茨であまり役に立たなかった。ご期待に添えなくて申し訳ない。


 謝った方がいいか、それとも黙っているか考えていたら、淼さまが首を傾けて僕を見ていた。肩から銀髪が流れ落ちていく。


「水の太子はいつ現れるかな?」


 そんなこと僕に聞かれても困る。でもさっきの木太子のこともあるし、王太子不在のままでは淼さまも困るのだろう。何より忙しくて淼さまが体調崩しでもしたら大変だ。


「早く適任者が見つかると良いですね」


 答えになっていないかもしれない。ただ僕には答えられない質問だったから、前向きになれるような言葉を選んだ。淼さまは少しだけフッと笑うと僕から顔を逸らしてしまった。


「期待してるよ」


 僕と目を合わせないまま空になった茶器を渡された。茶器を持つのと反対の手にはすでに筆記具が握られていて、今までになく近寄りがたい雰囲気を放っていた。淼さまが近くにいるのにとても遠く感じる。こんな感覚は初めてで、少しだけ戸惑いを覚えた。

水理王の思惑は適いませんでしたが、ここで五章が完結です。長くなってきましたがお付き合いいただきありがとうございます。

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