136話 次代の王太子
再び王館に帰って来た。但し、帰館したのは木の王館だった。林さまと別れて、これから水の王館に向かうところだ。
「彼は何度気絶したら気が済むのでしょうか」
潟さんが呆れたように呟いた。林さまから仲位への昇格と王館への出仕を命じられて、桀さんはまた気絶してしまった。今度は後頭部を打っていたけれど、柔らかい土の上だったから多分大丈夫だと思う。
「気絶したくてしてるわけじゃないですから」
そう言ったものの、また潟さんが担ぐ羽目になってしまった。文句も言いたくなるだろう。
林さまが道を開いてくれたので、帰りは雲ではなく地を行った。花茨城と王館を繋いでいた根の道は今回の楚の襲撃で切られてしまったそうだ。
その道は直らなかったから林さまが新しく草の道を作ってくれた。草の道に踏み込むと身体が草に運ばれる。動かないのに、勝手に身体が進んでいくのはどうも不思議な感覚だった。ちなみに芳伯の木が大きくなったら草ではなくちゃんと根の中に道が出来るそうだ。
「桀さん、大丈夫かなぁ」
気絶したまま運んでしまったから、目が覚めたら王館だ。起きた瞬間にまた気絶しそう。
「大丈夫ではないでしょうが、慣れるしかありません」
「高位になったんだから花茨に残れたような気もしますけど」
叔位をひとりで残しておけないというのは分かる。でも仲位になったら独り立ちできる。余計なことだけど花茨の管理が出来た気がする。
「ひと口に高位精霊と言いましても伯位と仲位では住む城の格が違います。芳伯の代理として住むことはできるでしょうが、いずれにしても独りなのは変わりありません。王館に引き取った方が生きやすいと思いますよ」
確かに。廃城にならなかったとはいえ、独りだということに変わりはない。
「それに花茨は修繕が必要ですから頻繁に帰ると思いますよ」
「あ、行き来は自由なんですね」
僕は本体をなくしていたせいか、十年以上帰っていなかった。その感覚で考えてしまった。
「根の道……いえ、草の道が繋がりましたので雫さまのお部屋から御上の執務室まで行くのとそう変わらないでしょう」
雲で行くときは風向きによって速かったり遅かったりするけど、草の道なら風に左右されない。桀さんにとっては良い話だ。
「それと桀は木精の間で英雄になりますよ」
「木偶のことですか?」
潟さんが頷いた。木理王さまを苦しめていたのが木偶だったなんて誰も思わなかっただろう。止めを刺したのは雷伯だけど、最初に違和感を訴えたのは桀さんだ。
周りの壁が黒くなっている。水の王館に入った合図だ。
「桀はおそらく次の王太子に担がれるでしょう」
何もないところで躓いてしまった。転ばなかったけどちょっと前のめりになってしまった。
「い、いきなり王太子ですか!?」
高位になったばかりなのに王太子なんて……急すぎると思うのは僕だけだろうか。潟さんは平然としている。
「御上に聞いた話ですが、雨伯の領域に広がった疫病は木精から始まっています。すぐに収束したとは言え、杰どのを含めた有力な木精の多くが怪我や病などで万全とは言えないそうです」
焱さんの母上はまだ治りきっていないらしい。焱さんには言っちゃダメよ、と霓さんに言われたけど、あの時とは事情が違うから教えてあげた方が良いか、迷うところだ。
「楚が仕組んだのか、それとも木偶の仕業か、今となっては分かりません。倒す前にシバくべきでした」
潟さんが悔しそうに物騒なことを言っている。シバく内容について、詳しく聞いてはいけない気がする。聞いていない振りをしたけど、この距離では無意味かもしれない。
「まぁ、それはさておき。今、木精が出来ることは架ど……失礼、林さまが王位に就き、実績と後ろ楯のある高位精霊を王太子にすることです」
木理皇上が動ける内に王太子の教育をしなければいけませんからね、と潟さんは続ける。階段を上りながら少し疑問が湧いた。
「桀さんって後ろ楯あります?」
僕も高位精霊になったばかりでまだまだ不安だけど、母上も養父も伯位だ。自慢するわけではないけど偉大な精霊に背中を守られている。
「休眠状態とは言え、芳伯の地位は利用できるでしょうね」
利用……その言い方はどうだろう。今、存在できていない精霊でも後ろ楯になるのかどうか。それは木精の考え方次第だろう。
「おや、帰ってきたのか?」
「あ、淼さま!」
執務室の近くまで来ると扉から淼さまが顔を出した。帰館の報告に来たのに淼さまが気づく方が早かった。
「ちょうど良かった。雫に」
「お兄ちゃん!」
部屋から飛び出してきた金の塊が太ももにぶつかった。背丈は僕の腰くらいだ。見下ろしても頭部を覆った金ピカの兜しか見えない。
「て、鈿くん……久しぶり」
ぶつかった太ももが痛いのを我慢して鈿くんに声をかけた。鈿くんは兜のフェイスガード部分を持ち上げて、満面の笑みを現した。
「お兄ちゃん、あのねっ。お使いに来たよ」
鈿くんが下を向くとフェイスガードがガシャンと音を立てて閉じてしまった。小さな手で上に持ち上げると、澄んだ青い目が僕を捕らえる。
「おひー……違った。鑫さまが四の姫さまが帰って来たから、お礼にあげるって言ってこれ預かったよ」
鈿くんが甲冑の隙間から何かを取り出して手を僕に伸ばしてきた。
「『ご助力に感謝します』って」
「ありがとう。何かな?」
屈みながら両手を器のようにして差し出す。鈿くんはそこに五連の玉を落とした。五色の玉は等間隔に結ばれてそれぞれが異なる輝きを放っている。
「えーっとね、鎏って言ってたよ。冠に付けるんだって!」
「そっか、冠かぁ」
困った。僕には付けるところがない。笄の代わりに剣に付けて良いならそうしよう。金理王さまからいただいた剣だから相性は問題ないと思うけど、ブラブラして邪魔になるかもしれない。
「金理王も鑫さまもちゃんとした時にはいつも冠被ってるよ。お兄ちゃんも被るんでしょ?」
「いや、僕は被らないよ」
そういえば淼さまも冠なんて被ってるところを見たことがない。一度だけ、美蛇の謁見擬きに立ち会ったことがあるけど、あのときも淼さまは被ってなかった。冠があるのは金精だけなのかもしれない。
「んー? でも鑫さまが『坊やも鎏が必要になるわよ』って言ってたよ」
「僕が?」
鈿くんは意外に鑫さまの口真似が上手かった。それはさておき、返答に困って顔を上げると淼さまは執務室の入り口に背中を預けて困ったように笑っていた。
「水理皇上ぉ、お兄ちゃんも冠被るんだ……ですよね?」
僕の曖昧な返事が気に入らなかったらしい。鈿くんは痺れを切らして淼さまを見上げた。
「そうだね……どうする?」
淼さまは鈿くんの質問に答えたはずなのに、何故か僕が問われている。淼さまの視線は感じるのに感情が読めない。
何を?
何をどうするって?
「金字塔。用を終えたのなら速やかに戻らないとお叱りを受けますよ」
「あ! そうだった。他にもお使い頼まれてたんだ。僕行くね」
潟さんの言葉に鈿くんが走り出した。けれど二十歩くらい走ったところで突然引き返してきた。忘れ物でもしたのかもしれない。
「水理皇上、失礼します」
「はい、ご苦労さま」
忘れ物は挨拶だったらしい。わざわざ挨拶に戻ってきたようだ。偉い。鑫さまの教育の賜物だ。淼さまが壁から背中を外して挨拶を返した。腕組みはそのままだったけど鈿くんに合わせて優しい口調だ。
「じずうちょうどの、さようなら」
「……うん、またね」
侍従長って言いにくいよね、と心の中で励ました。言うことは愚か、僕は呼ばれることすら慣れてない。
「おじちゃんもまたね」
「おじ……」
固まる潟さんを見て、淼さまが盛大に吹き出した。




