135話 植樹
最初に桀さんを運んだ部屋に戻ると水球に浸けた枝に変化が見られた。葉は角度を変えて瑞々しく、若木とまではいかなくても生き生きしているように見えた。
「流石、雫の水球だな」
林さまがその内の一本を持ち上げた。水球がかなり小さくなっている。僕の顔くらいの大きさだったはずなのに、今は片手で掴めそうだ。その分、枝が吸ったのだろう。
「あ、根が!」
桀さんが目を潤ませている。枝の端から白くて短い根が出ていた。枝に粒が見えるけどそれも伸びれば根になるだろう。
水球に浸けた枝は全部で五本あった。けどその内、根が出てちゃんと苗木になったのは二本だけだった。
「桀。芳伯の木はどこにあったんだ?」
「あ、あふぁちらですっ」
桀さんが腰を屈めながら露払いをするように先導する。案内されたのは僕たちが何度も通っている城の正面だ。その一角に草すら生えていないむき出しの地面があった。
ここに巴旦杏の木があったなんて信じられない。株もないし、穴も空いていない。円形の地面は僕たち全員が上に立ってもまだ余裕がありそうだ。
林さまは二本の苗木を下ろし、桀さんに掘るよう指示を出した。桀さんは転がるように駆け出して道具を持ってくると、すごい勢いで掘り始めた。
「芳どのは完全に死んではいない。逸とやらが芳どのを回収したと言ったそうだが、それは理力を奪ったという意味だろう」
林さまが桀さんを止める。林さまが穴に手を入れて深さを確かめながら、土をひと掬いして状態を確かめている。
「お水要ります?」
「あぁ、頼む」
空いた穴に水球を二、三個放り込んだ。あっという間に染み込んで土の色を変える。林さまが二本の苗木を穴に入れると、意図を読んだ桀さんが埋めるように土を被せ始めた。
桀さんが粗方土を入れ終えると仕上げに林さまが両手で押さえ込んだ。桀さんは口を開くとおどおどしているけど、林さまにかなり慣れてきたみたいだ。
林さまが手を出すタイミングを見て被らないように土を被せたり、整えたりと一見すると動きが忙しないようだ。けれど、よく見ると林さまの動きをよく見て邪魔しないように行動している。
「これで良いだろう。枝が土に還る前で良かった」
そういえば桀さんは地下から登場していた。払った枝は埋めてあったのかもしれない。となると時間が経てば枝は分解されて土になってしまう。危なかった。
「芳伯が復活するんですね」
林さまが頷きながら苗木の先端を摘まんだ。それを見た桀さんがサッと鋏を差し出す。
「え? 切るんですか?」
折角植えたのに。林さまは鋏を一旦下ろして口を開こうとした。
「ててて、てて摘芯と言いまして苗の生育を良くする方法です」
林さまが説明してくれる前に桀さんが喋りだした。ちょっとだけビックリしてしゃがんだままの桀さんを見る。
「く、く茎の先端にある芽を頂芽、側面の芽を側芽と申します。しししょ植物には頂芽優勢という性質がございまして、放っておくと頂芽の生長に養分を使い、そそそ育ちが悪くなってしまうのです」
へぇ、なるほど。だからわざと上の方を切るのか。まだまだ知らないことがたくさんある。けれど今は、桀さんから比較的滑らかな言葉が出たことに一番驚いている。
「そうだ。とは言えそれは木精全員に共通することではない。知ろうとしなければ分からないことだ。よく学んでいるな」
パチンッとやや大きな音を立てて林さまが苗木の先を切った。その言葉を聞いて桀さんは勢いをつけて顔を上げた。顔面蒼白という言葉がとても相応しい状態になっていた。
「しゅつゆるぇいすました」
多分失礼しましたと言ったのだろう。辛うじて聞き取れた。褒められたのだからもっと胸を張れば良いのに。でしゃばってしまったとでも思っているのかもしれない。
「後で垚に石灰を譲ってもらおう。しかし順調に根付いたとして……」
林さまの表情が少し険しくなった。少し考えるように視線は何もないところに向いている。
「伯位として復活するには百年はかかるだろうな」
「百年!?」
そ、そんなにかかるなんて。
「勿論もっと早く実をつけるだろうな。だが、伯位として復活するなら中途半端なところで目覚めてはダメだ」
しっかり休んで理力を蓄えてから復活しないといけないということか。伯位の理力を蓄えるのに百年。その間にこの小さな苗木が倒れたり、傷ついたりしてしまったら台無しだ。桀さんは管理に詳しそうだし、きっとしっかり出来るだろう。
「さて、この苗木を誰が管理するかだが」
「え、桀さんは……」
僕の想像を林さまが打ち砕いた。桀さんは一瞬歯が見えるほど口を開けたけど、すぐに閉じてしまった。
「桀はダメだ。百年も高位不在の城にひとりで残してはいけない。これを使う」
林さまが腰紐に指をかけた。上衣の裾を捲ると僕がお世話になった装飾品が現れる。林さまは固そうな結び目を難なくほどいて七竈の笄を手に取った。
「土理王の信任を得て木太子が願い出る。火の実の対価を以て土壌の精霊の加護を」
林さまは笄を唇に当てて迷いなく言い放った。何かの儀式を見ているようだ。林さまが屈んで笄を苗木の側に挿すと、すぐに土が異様な盛り上がりを見せた。土竜でも出てくるのかと思ったらピョコンと顔を出したのは栗鼠だった。
「この土地の精霊か?」
林さまが目線を下げたまま話しかけると、栗鼠は前足を忙しなく動かしながら頷いたように見えた。
「およそ百年の間、芳伯が復活するまで巴旦杏の苗木を守護して欲しい。報酬はこの七竈の実とそこに含まれる理力」
林さまが笄を指で押した。少しだけ深く土に刺さる。栗鼠は小さな耳をピクピク動かして背伸びをするように顎を上げた。
「それは芳どのが目覚めたときに自分で交渉すると良い。芳どのの物に麿は禁止も許可もしない」
林さまがそう言うと、栗鼠は前足を地面に下ろして土の中に帰ってしまった。
「潜っちゃいましたね」
「あぁ、地栗鼠だからな。苗木の管理を了承してくれた。巴旦杏が実ったら食べて良いのかと聞かれたがな」
笑いながら林さまが言った。それを交渉しろと言ってたのか。でも栗鼠一匹で百年も芳伯を守れるか、ちょっと心配だ。
「土精はその地を守る者が多い。だから人型では行動しにくいらしいな。名があっても敢えて人型にならない者もいる。今の栗鼠もそうだろう」
なるほど。ということは、いざというときには人型にもなれるし、手入れも出来るわけだ。漕さんがあまり人型にならないのと似ている。
「実は栗鼠に捧げるが、七竈そのものも芳伯を守ってくれるだろう。同族の薔薇科だからな」
林さまが手に付いた土をパンパンと払っている。けれど落としきれていないので、水球を差し出した。中に手を入れれば洗えるはずだ。
「すまない。助かる」
潟さんが差し出したハンカチを林さまはやんわりと断った。
「さて、粗方問題は片付いたな。残るは……」
林さまが桀さんを見た。巴旦杏を植えていたときはあれだけ生き生きしていたのに、林さまから視線を送られた瞬間大きく肩を震わせて固まってしまった。
「ここは伯位相応の城だ。ひとりで置いてはおけない」
桀さんは俯いてしまった。多分、どこかの高位精霊の傘下に入れられるのだろう。何か言ってあげたいけど所詮気休めだ。どうすることもできない。
林さまはついさっき切り取った苗木の先端を拾い上げ、指先で器用に一回転させた。瞬きしている間に手の中には緑色の小さい巻物が握られていた。
「桀」
林さまが桀さんに向かって腕を伸ばした。緑の巻物を横に構えている。
「桀。跪きなさい」
潟さんが桀さんの両肩に手を置いて土の上に座らせた。色が違うけど僕もあの巻物は見たことがある。黒い巻物は淼さまの任命書だった。
「木偶の悪行に気付き、木理王を救った功績を賞する。木理王の命により斧折樺の桀を仲位に昇格。本日より王館へ出仕せよ」




