133話 独りの斧折樺
「低位精霊がひとりで生きていく方法があるなら麿に教えてくれよ」
林さまの口調が急に強くなった。何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。もしかして木精のことに深入りしすぎたのかもしれない。林さまは僕から顔を逸らしながら目を閉じてしまった。まるで僕の解答を待っているみたいだ。
潟さんを見上げても困ったように笑っているだけで何も言ってはくれない。ちゃんと自分で考えて答えないといけない。
「僕は桀さんが花茨城に住み続けられればいいなと思っています」
僕が話し始めても林さまは目を開けてくれなかった。でも確実に聞こえているだろうから話を続ける。
「もともと城外に住んでいたそうです。そこで家族を亡くして芳伯に拾われたって言ってました」
『拾われた』の部分で林さまの瞼がピクッと動いた。でもそれに気づかない振りをして一方的に話す。
「桀さんは今またひとりになってしまいました。それでも花茨城には芳伯や優しい木精たちに囲まれた幸せな思い出があります。廃城になってしまったらそれすらなくなってしまうような気がして」
花茨城を楚から救ってくれてありがとう、と頭を下げ続ける桀さんの姿が思い出された。自分は丈夫な本体を持っているから平気だと強調していた。でもそれは強がりにしか見えなかった。孤独は僕もさんざん味わった。その辛さは身に染みている。
「でも林さまの仰る通りです。低位精霊は誰かに守られなければ生きていけません。だからせめて……桀さんが優しくて暖かい精霊の下に行けるよう祈っております」
そこまで言い切ると林さまが目を開けた。そのタイミングを見計らって席を立つ。失礼しますと最低限の挨拶をして大股で執務室を離れた。
「言い切りましたね」
随分歩いて僕たちの声が執務室に届かなくなった辺りで潟さんが話しかけてきた。
「ちょっと失礼だったかも……どうしよう」
林さまの問いに対して答えたのだから、林さまからの返事を待ってから退出するべきだった。
それなのに飛び出す勢いで出てしまった。相手は王太子だ。失礼にも程がある。
最近の僕は熱くなるとどうも駄目だ。王館勤めの金精を殴ってしまったのは記憶に新しい。もうちょっと冷静にならないと。
「悪いことではありませんよ。まぁ木の太子を殴るのは流石にどうかと思いますが」
「殴ってません! 誤解を招く言い方は止めてください」
まだ木の王館内だ。木精に聞かれたらちょっとどころでなく怒られそうだ。落ち込んでいる僕に対し、何故か潟さんは楽しそうだ。
「林さま、怒ってたらどうしよう」
「架どのはあれくらいで怒るような御仁ではありませんよ」
落ち込んでいる割に足はどんどんペースを上げていく。早く木の王館から脱出したかった。遠巻きに僕たちを見ている木精に何か文句を言われそうでドキドキする。
「失礼、お二方」
「わひゃあぅふ!」
突然声をかけられて跳ね上がった。心に疚しいことがあるから尚更かもしれない。桀さんみたいな返事をしてしまった。
後ろに初老の精霊が立っていた。頭が真っ白で濃い緑色の服を纏っている。普通に返事をすればいいはずなのに変な返事をしたあと声が出ない。代わりに潟さんが答えてくれた。
「何か?」
潟さんが返事をしたことで木精は一歩下がって礼の姿勢をとった。服と同じ色の団扇を持っている。僕に文句を言いに来たわけではなさそうだ。
「太子・林からの伝言でございます。明日の視察にご同行願いたいとのことです」
「視察? 視察って花茨城ですか?」
ついさっき視察に行こうかと言っていたばかりだ。間違いないはずだけど聞き直した。
「仔細は聞き及んでおりません。ただお伝えせよと仰せつかったもので。水理皇上の許可を取っていただきたいそうです」
「ご苦労。下がっていいですよ」
潟さんが軽く手を払うと、木精は礼を更に深くしてポッと白い粉を散らした。その瞬間、そこには木精の姿はなく、あるのは笹団扇の鉢植えだった。よく見るとその隣には遊蝶花や葉牡丹などたくさんの鉢植えが並んで飾ってあった。
「さて、ご指名ですね。雫さま」
「はは。林さま、怒ってないですかね」
視察に同行して欲しいというくらいだから、怒ってはいないと思うけど今から緊張してきた。
「分かりませんよ? 明日、呼び出しを受けましたからね。腐った巨大南瓜でも投げつけられるかもしれません」
「やめてくださいよ!」
今のは冗談だとはっきり分かる。きっと僕を和ませようとして言ってくれたのだろう。潟さんのこういうところは僕には真似できない。
「ひとまず急ぎ戻りましょう。御上に外出許可を頂かなくてはなりません」
再び歩を速めて水の王館へ急いだ。
◇◆◇◆
翌日。
僕と潟さんは淼さまに許可を貰って王館を離れていた。今日は雲の中ではなく上に乗っている。その分景色の見え方がかなり違った。
「見えました。花茨城です」
潟さんが隣に声をかけた。風を切る音に負けないよう少し声が大きい。ちょっと耳が痛い。
「あれか……荒れてるな」
林さまは雲と並走するように綿毛を操っている。でも操るのは綿毛というよりも風だ。
風は木の理力で発生する。そこをうまく操って綿毛で空を飛んでいる。流石王太子と言うべきだろうか。
「麿は王太子だが久しく外へ出ていない。太子は原則単独行動だが、案内くらいなら問題ないだろう。非常に助かる」
昨日のことは怒ってなさそうだ。ホッと胸を撫で下ろす。
林さまが外出を控えていたのは木理王さまが寝たきりだったからだ。代わりに政務をこなしていたのもあるけど、多分林さま自身が木理王さまの側にいたかったのではないかと思う。
「降ります。お掴まりください」
潟さんが雲を降下させると林さまの綿毛も付いてくる。三人で城前の広場に足を下ろした。
前は城外の空き地に降りたけれど、あの時は攻撃を避けるためだった。桀さんが外にいたのもあったけど、今思えば鍇さんを取り込んでいたから、飛んできた金属の玉は鉄だったはずだ。
あの時、もっとよく確認しておけば早く気づけたかもしれない。そこにはちょっと後悔がある。同じ過ちを繰り返さないようにしたい。
「桀さん、いませんね」
「仕方ないだろう。先触れを出してないからな」
昨日の今日だから連絡出来てないのだろう。桀さんがいなかったらどうしよう。
「私が見てきましょうか?」
潟さんが僕に尋ねる。林さまに聞いた方が良いと思うけれど、立場上そうはいかないのだろう。潟さんへの返事を保留して林さまの顔を覗く。
「あ、えっと……林さま、どうします?」
「麿たちが来たのは分かったと思うんだよな」
林さまはキョロキョロと辺りの様子を見ている。桀さんが来るのを待っているようにも見えるけれど、さりげなく破壊された城の様子を確認しているのようにも見える。
「ん? この声はそうか?」
「え? 声?」
声なんて聞こえない、と言おうとしたら、潟さんが口に人差し指を当てた。その仕草に口を閉ざすと、確かに遠くの方から何かを呼んでいるような、とても小さな声が聞こえる。
しばらく聞いていると、その声は徐々に大きくなってきた。だけど一向に聞き取れない。くぐもったというか、滑舌が悪いというかはっきりしない声で何を言っているのかサッパリだ。
「雫。一歩……いや、二歩下がった方が良い」
林さまが少し考えながら僕の足元を見ている。急な指示に理解が出来ない。
「どう……」
「早く下がれ」
語気を強めた林さまにちょっと圧されつつ、三歩下がった。林さまは相変わらず僕ではなく、僕が立っていた所を見ている。そこに何があるのだろう。改めて地面を見ると少し凹んでいるような気もする。
「ぉりゃあぁーーーーーっ!」
「桀さん!?」
僕が立っていた所に爆発するように綺麗な穴が開いて、中から桀さんが顔を出した。勢いよく弾けた細かい石や砂が降ってくる。
「あっあっ、し、雫さま! お久しぶりです。潟さまも」
桀さんが穴の縁に腕をかけたまま僕たちに挨拶してきた。顔が泥だらけだ。
「こんにちは、桀さん。そんなところでどうしたんですか?」
「こ、ここここれを! 見てください、これを! 巴旦杏の枝です!」
桀さんは片腕で身体を支えながら、やや興奮気味に枝の束を翳した。どの枝も長さは同じくらいだ。腕の長さよりも少し短いくらいだろうか。
「これがあれば芳さまも復活できます! 芳さまが帰ってくるんです!」
桀さんは枝を僕に差し出すと足を持ち上げて穴から這い出して来た。芳さんが復活できるのは喜ばしいけど、どうして桀さんが枝を持って地下から出てきたのか謎だ。
「それは良いな。挿し木で根付けば麿も嬉しい」
林さまが口を開いた。桀さんの身体で林さまが全く見えない。多分、穴の向こう側で成り行きを見ていたのだろう。
桀さんは今まで林さまの存在に気づいていなかったらしい。僕や潟さんと向き合って夢中になって喋っていたところに、後ろから声をかけられて驚いている。
「麿……?」
林さまを振り向いた桀さんの顔を覗き込むと、口をパクパクしながら両膝を地面につけてしまった。普通なら片膝を立てて挨拶をするところだけど木精は違うのかもしれない。
「ちゃんと挨拶なさい。木太子に失礼ですよ」
潟さんが少し厳しめに言った。けど桀さんは膝をついてからピクリともしない。
「桀さん?」
それでも返事がない。肩に手をかけるとそんなに強い力ではないのに音を立てて倒れてしまった。
「桀さんっ!?」
「これは……気絶していますね」




