131話 七竈返却
「七竈の実が揃いましたね」
潟さんの言葉に頷いた。潟さんにも七竈の笄が僕を火から守ってくれたことは話してあるから、状況は分かっているはずだ。
「雷撃の延長を防いだのか」
淼さまも少しだけ身を乗り出してきた。まるで珍しい物でも見てるみたいだ。
「雷伯の攻撃は木偶と楚を焼く目的でしたので、そこから守られたのかも知れませんね」
雷伯は水精なのに火に近い攻撃ができるなんて、なんだか不思議だ。でも雷伯から火精である焱さんが生まれているのだから、今更不思議がるのもおかしい気がする。
「それと、御上。こちらを」
潟さんが僕から離れて淼さまの近くへ回った。ちょっとの間、暇になりそうだったので七竈の枝を指でくるくる回してみる。艶のある赤い実がちょっと美味しそうに見えてきた。
「何だこれは。渡さなかったのか?」
淼さまにしては大きな声だ。ちょっと油断していたこともあって七竈を落としそうになった。
「いえ、雨伯が御上にお返しするそうです。思い出を存分に堪能しましたとのことです。御上にお使いいただければ幸いと……」
潟さんが開いて見せた小さい箱には釧が入っていた。雨伯の娘である霈 さんの腕輪だ。形見である釧を届けてからまだ日が浅い。
「雨伯の気遣いだな。かえって申し訳ないことをした」
淼さまは潟さんから箱を受けとると中身を取り出さずに蓋をしてしまった。せっかく直ったんだから付ければ良いのに。きっと淼さまの髪の色と合うと思う。
「さて、雫は木の王館へ行っておいで」
「はい。何かお使いですか?」
今まで特に用は言われてなかった気がするけど、僕が何か忘れていただろうか。そう言ってから慌てて記憶を辿った。
「役目を終えた笄を木理に返しておいで」
僕の手にある七竈を指差し、淼さまは立ち上がって執務席に帰っていく。
「ついでに聞いてくると良いよ」
何をとは言わない。けれど桀さんのことだ。僕が気になっていると言ったから、直接尋ねておいでということなのだろう。淼さまの優しさを感じた。
淼さまはすっかり仕事に入り込んでしまった。さっきまで僕も補助してたのだけど、もう必要ないだろう。潟さんに目配せをしてそっと執務室を後にした。
◇◆◇◆
「そう言えば雷伯とはお会いになれましたか?」
木の王館へ行く道すがら、潟さんが尋ねてきた。潟さんの声はいつも後ろから聞こえる。斜め後ろにいることがすっかり当たり前になってきた。
「はい。花茨で助けてくれたお礼を言えました」
「左様ですか。良かったです」
潟さんはここ数日、竜宮城へ行っていたから王館へ来ていた雷伯とちょうど入れ違いだったみたいだ。
「お聞きになりましたか? 秋萌の杰どののこと」
「あ、聞きました。何か松毬が原因じゃなかったみたいですね」
焱さんのお母上は季節外れの松毬を作り、それが原因で体調を崩したと言われていた。でもお見舞いに行っていた雷伯によると、どうもそうではなかったらしい。
「一時的な高熱で、原因は土が固くなりすぎたことだって雷伯が言ってました」
雷伯が言うには、杰さん自身はタイミング的に疲れから来る発熱だと思っていたらしい。けれど一部の葉が落ち、枝が枯れてきたことから違和感を覚えたらしい。雷伯が看に行った時、着地した地面が石よりも固くなっていたと言う。
周りの土は変わらないのに杰さんの根本だけが固く、土を混ぜて枯れた枝を落としたところみるみる元気になったそうだ。それからすぐに竜宮に戻り、休む間もなく花茨に駆けつけてくれたらしい。
「そんなことあるんですね」
「ございません、普通は」
間髪入れずに潟さんが答えた。
「松は水捌けの良い土を好みますが、限度がございます。それに周囲は変わらず杰どのだけに被害があるとなると」
潟さんがわざとらしく間を空けた。僕に答えを言わせようとしているみたいだ。
「……まさか、意図的に杰さんを弱らせたってことですか?」
何のために?
「その可能性はあります。先ほど雨伯から上がった報告をお聞きになったと思いますが……っと、大事ございませんか?」
木の根に躓いた。草に隠れていたみたいだ。潟さんに掴まれて転ばなかったけれど、今度は柳の枝に顔を擽られた。木の王館には何度か来ているけれど、こんなに生い茂っていた記憶がない。
潟さんに大丈夫だと告げて先へ進んだ。潟さんは僕の足を気にしながら腕を放して話を続ける。
「雨伯の子、そのほとんどの管轄で問題が起きています。いずれも大きいとは言えませんが、自らが赴かなければ解決しないことでした。まるで皆を竜宮城から誘い出すような……」
僕たちが竜宮城を訪れた日の夕食で雨伯が言っていた。
ーー普段なら皆、イベント毎に集まるのだが、二、三日で急に各自忙しくなったのだ。結局、来られたのはこの子らだけである。
雨伯の子供たちはその後も雑務に追われ、花茨城から救援依頼が来ても誰も行けない状態だった。
「もしかして……誰も芳さんを助けに行けないように仕組んでたってことですか?」
花茨に誰も来なければ楚は城主におさまっていたかもしれない。実際、そんな下克上みたいなことが木精の理で通用するのかどうかは分からない。けれど少なくとも、万全とは言えない木理王さまや林さまの脅威にはなったはずだ。
「もしくは雫さまを……」
「あっ! 林さま!」
王館の入り口で林さまが手を振っているのが見えた。待たせては行けないと慌てて地面を蹴る。
「走るなよ。また転けるぞ」
さっき根で躓いたのを見られていたらしい。顔が熱くなった。固まってしまった僕を見て林さまが大笑いしている。
「架ど……いえ、失礼。林さま、王太子自らお迎えとは何かありましたか?」
追い付いた潟さんが冷静な声をかけた。僕も咳払いをひとつして気持ちを切り替えた。
「あぁ、君たちが来ると教えてくれたんで庭に出てみたんだ」
「教えてくれた? 漕さんが来たんですか?」
漕さんはよくお使いとして淼さまに使われている。先触れを出しに行ったり、言伝てに行ったりと常に忙しくしている。いつになったら水先人としての職務を全う出来るのかと日々嘆いているらしい。
「いや、その子たちが」
林さまが僕たちの後ろを指差す。振り向いてもあるのは今通ってきた庭だ。
「庭の木も草も王館で働く精霊たちの本体だ。雫が自分の根に躓いた、とついさっき喚きだした奴がいてな」
「ご、ごめんなさい」
林さまに見られていた訳ではなかったらしい。誰かの本体に躓いてしまったのは申し訳ない。怪我していないか心配だ。
「全くだ。今、室内で『雫さまが俺に躓いた! 根を切って侘びる!』と大騒ぎでな」
ナニソレ、怖い。
今度は潟さんが笑う番だった。普段ニコニコしている潟さんだけど歯を見せて笑うのは珍しい。
「人気者は辛いですね。雫さま」
「じょ、冗談はやめてください」
口元に手を当てる潟さんの腕を引っ張る。僕たちのそんな様子を見て、林さまが意外そうな顔をした。
「随分打ち解けたみたいだな。この前来たときとは随分違うじゃないか」
僕が『昇格しなければ良かった』と、良からぬことを考えた頃のことだ。今思うと潟さんに嫉妬していた自分が恥ずかしい。
「隣にいる者同士仲良くあればそれに越したことはない。……で、何か用か?」
僕が答えに詰まっていると、林さまが眼鏡を押し上げながら話を切り上げてくれた。腰の剣に指を這わせ、手探りで笄を外す。
「長いこと火から守って下さってありがとうございました」




