128話 片付け
「桀さん……」
放心する桀さんの背中を擦る。僕よりかなり大きい背中が今はとても小さくなっていた。
「芳が敗れたか。あいつらただ者じゃねぇな」
桀さんの様子を見ながら雷伯が呟いた。それを聞いて潟さんも頷く。
「芳伯も雨伯ほどではないですが、その身は原種の精霊です。その辺の木精よりも生命力が強いはずですが」
部屋に残っていた薔薇の蔓が灰になっていく。楚の身体はとっくに消えていて、焼け焦げた蔓を残すだけだ。
「あ」
桀さんが我に返ったように声をあげた。顔を見ると視線が一ヶ所で固定されているようだ。辿ってみると半分ほど灰に埋もれて黒い塊が横たわっていた。
「あ! 鍇さん!」
駆け寄って灰を掻き分ける。さっき見たときは顔も手も鉄色だったけど、今は服が黒いだけで他は健康的な顔色が見える。潟さんも手を貸してくれて鍇さんを引きずり出した。
「鍇さん! 鍇さん、分かりますか?」
年齢は沸ちゃんと同じくらいだろうか。鍇さんは肩を揺すっても顔を軽く叩いてもピクリともしなかった。でも息はしている。
「雫さま、恐らく金の王館にいる金糸雀と意識が分断されているのでしょう。早めに王館に連れ帰った方が良いかも知れません」
潟さんが鍇さんの上半身を支えながら言う。鑫さまと違って露出の少ない服は首が苦しそうに見えた。
「じゃあ、俺様が届けてやる。お前たちは処理があるだろう? 後から来いよ」
雷伯が潟さんと場所を代わって、そのまま鍇さんを軽々と抱き上げた。僕たちに片手を上げて、思い切り床を蹴りあげると、天井に空いた穴から出ていった。
少ししてからゴロゴロと雷の音が聞こえた。徐々に遠くなっていく。
「雫さま。やるべきことがございます」
潟さんがパンパンと服に付いた灰を払っている。潟さんの服も灰色だから見極めるのが大変そうだ。
「花茨は廃城になるかもしれません。その前にある程度処理をしておかなければ」
「廃城?」
聞き返したのは僕だった。桀さんは驚いたように顔を上げたけれど、すぐに下を向いてしまった。
「当主、芳伯の消失。跡継ぎもなく、残ったのは叔位の木精ただひとり。通常ですと廃城になります」
「そんな……じゃあ、桀さんはどうなるんですか」
うっかり潟さんに掴みかかってしまいそうだ。別に潟さんが悪いわけではないけれど、淡々とした潟さんと僕の気持ちに温度差がある。
「それは木理皇上がお決めになることです。……とは言え木理皇上から理力を奪い続けていた木偶を倒したわけですから、何らかの優遇措置はあるかもしれません」
桀さんのことは僕たちにはどうしようもないのか。すべては木理王さまの判断にかかっている。
「し、しし雫さま、お、お気遣い恐れ入ります。某は平気です。元々城外の生まれですので野に帰ることも出来ますから」
何故か桀さんに宥められた。桀さんも出会ってまだ一日も経ってないけれどかなり慣れてくれたみたいだ。
初めのころはガチガチだったけどずいぶん吃音が少なくなって会話がスムーズになってきた。ここでお別れなんて寂しい。
「じゃあ、早速片づけをして、一緒に王館に戻りましょう」
そう言った瞬間、桀さんが少し困ったような顔をした。違和感を覚えつつも、なくなった壁の残骸を跨いで部屋を後にする。
片付けと言っても通り道の邪魔になった倒れた家具や装飾品を端へ避けるだけらしい。後で王館から被害状況の確認に来るので、急を要しない物はそのままだそうだ。少し屈んで廊下真ん中に落ちていた絵画に手をかけた。
「雫さま。桀は一緒には行けません」
「え?」
背中越しに声を掛けられてせっかく拾った絵を落としそうになった。廊下の端では、桀さんが僕では絶対動かせない大きさの飾り棚をひとりで抱えている。
「桀は叔位です。王館には連れていけません」
「え、で、でも」
今までに、沸ちゃんも滾さんも王館に入っている。あのときは淼さまはお会いにならなかったけど。その前に美蛇の兄は淼さまに会っている。
「低位は謁見が出来ないだけですよね? 入るのは……」
「数日の滞在なら許可は出るでしょうが、火精にいたっては十年ほど前から低位の出入りそのものが制限されています」
そういえば焱さんが怪我をしたとき、叔位はここで待ってみたいなことを言われた。でもここに置いていったら桀さんがひとりになってしまう。
「木偶の糸を切ったとはいえ、木理皇上はまだ回復していないでしょう。いつ譲位が行われるかと木精はピリピリしています。そこへ桀を連れていけますか?」
王館の事情に詳しい潟さんに諭されて、僕は何も言えなくなってしまった。潟さんが言うには桀さん自身も一緒に来るつもりはないらしい。
連れて帰っても木の王館では、僕は一緒にいてあげられない。高位に囲まれて肩身が狭い思いをするかもしれない。
上階を整理して一階まで降りると、上から落とした木精がゴロゴロ転がっていた。そのまま放置していたことをすっかり忘れていた。致命傷はなかったみたいだ。
潟さんは木精をまとめて雲に放り込んで王館まで飛ばしてしまった。裁きを受けさせるそうだ。どう処分されるのか僕には分からないけど、これで粗方片付けが終わった。……終わってしまった。
「桀さん。大丈夫ですか?」
桀さんをひとりで残していくのが心配だ。玄関で見送ってくれる桀さんは口角をうっすらと上げている。でもそれは愛想笑いだ。全てを諦めたような脱力感が顔に表れている。
「そそそそそそそ」
吃音がひどくなってしまった。悪いことを聞いただろうか。しっかりしなさい、と潟さんが軽く背中を小突いた。桀さんはハッと息を吐き出すと、それから深い呼吸をひとつしてゆっくり口を開いた。
「そ、某は……とっくの昔にひとりになっていたはずなのです。それを芳さまが城に迎えてくださった。ほ、ほ他の精霊も皆温かく、幸せな期間でした」
桀さんの後ろには荒れた光景が広がっている。その城内から温かさなんて感じない。穏やかだった頃の様子を見てみたかった。
「だ、大丈夫ですっ! 某は高原の斧折樺。両親より受け継いだ強靭な本体もございます。寒さにも強く、金属の刃をもへし折ることが出来ます! どどどうかご心配なく……」
桀さんは僕たちに深々と頭を下げた。潟さんが黙って桀さんの肩に手を置き、ゆっくり距離を取った。
「この城を楚の刺から救っていただきありがとうございます。芳さまも安心なさったでしょう。ああああ後のことは某にお任せ下さい」
桀さんの顔は見えない。頭を上げる様子もない。最初の頃のおどおどした桀さんとは別人のようだった。桀さんは僕たちが去るまで頭を上げないつもりなのだろう。
潟さんが僕の肩に手を置く。無言で退出を促されていると分かった。桀さんをその場に残して僕たちは花茨城を後にした。




