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水精演義  作者: 亞今井と模糊
五章 木精継承編
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127話 逸の逃走

 しばらく蔓と格闘していると煙が充満してきた。煙の量と反比例するように蔓の動きが鈍くなる。草が焼ける臭いがする頃には部屋の中は煙だらけだった。雷伯が空けた天井の穴から煙が逃げていくけれど、排気が間に合っていない。


 雷伯の攻撃が止むとドシャッという音がした。後ろから覗きこむとしもとが倒れていた。しもとの身体からも煙が出ている。


「あーらぁ。鉄の電導性が裏目に出たわねぇ」


 姿が見えないと思っていたいつは宙に浮いていた。雷伯が少し上を見上げて雷撃を放つと、逸は足場でもあるかのように宙を蹴って軽く避けた。


「ただの薔薇なら燃えてもその部分だけ切り離せるけど、鉄と一体化してる今、全身を感電させるものね。身体の中から大火傷ね」


 さらりと恐ろしいことを言う。エルさんは大丈夫だろうか。


 いつはまるで内緒話でもするみたいに指を唇に当てている。雷伯がいつと対峙している間に楚の様子を窺った。


 先程まで煙がくすぶっていただけだった身体は黒くなっている。指の先は人型のそれではなく、変色した細い薔薇の蔓に変わっていた。


「もう使えないわね」


 いつが親指に這わせるように人差し指をピンと弾いた。焦げた薔薇の蔓が束になって雷伯に襲いかかる。雷伯は一瞬避けようとして、何故か途中で動きを止めてしまった。


「雷伯!」 


 雷伯が蔓の下敷きになってしまった。僕が後ろにいたせいで避けなかったに違いない。手を掛けようとすると突然足首を掴まれた。


「っ!」


 振り向くと蔓が縮んだことで白い床が見えていた。そこに這ったような黒い筋が付いている。黒い跡は僕の足まで続いていた。


「ずぅ……水ぅ」


 ベンだ。真っ黒で何だか分からなかったけど莬の声だ。それに僕から奪った玉鋼たまはがね之剣を胴体に巻き付けている。


 辛うじて手と分かる細い棒が僕の足を掴んで這い上がってこようとしているみたいだ。思い切り振り払ったらあっさり外れた。


 それも束の間、今度は床に転がった体勢のまま、僕の膝裏に手をかけて僕を転ばせてきた。


「っだ!」

「お水ぅ……お水ちょぉおだいぃ!」


 ベンが僕の身体にのし掛かってきた。黒い塊には目のところに空洞があり、顎が外れていて……夢に見そうだ。反撃しようとしても腕も足も動かなかった。どうやらベンの糸で手足が固定されているらしい。


 もう一度、大気氷結ダイヤモンドダストか、それとも氷雪風乱射ブリザードか……ダメだ。雷伯を巻き込んでしまう。


「『水球ボール』」


 水球? いや、水球では木精のベンに吸収されてしまう。逸もまとめて倒せるような強力なーー。


「ぁああっ! やっ……! 塩っ……塩やだぁっ!」


 ベンが僕の身体から下りてのたうち始めた。ブチッという音がして大事だと言っていた糸が切れた。莬の胴から剣が外れ、僕の身体も自由になった。


「遅くなりました」


 手首に絡まっていた糸を取りながら身体を起こす。目に映るはずの壁が一面なくなっていて、気掛かりだった二人が立っていた。


せきさん! あらいさん!」

「雫さま!」


 せきさんが僕に駆け寄ってきた。立ち上がるのに手を貸してくれる。ついでに怪我がないかチェックされた。


 その間、あらいさんは埋もれた雷伯に気づいて少し見えた手を引っ張ろうとしていた。


「だーっ! 鬱陶しい!」


 雷伯は叫びながら拳を突き上げるように飛び出てきた。傷だらけだけどすごく元気そうだ。僕が心配するまでもなかった。近くにいたあらいさんは驚いて槌を取り落としかけていた。


「あら。地下牢じゃなかったの?」


 抜いた髪をもてあそびながらいつが降りてきた。それを横目に剣を拾い上げて腰に差すと、やっと腰に重さが戻ってきた。


「蕾の蔓を引かなかったの?」 

あらいが『木偶が怪しい』と言ってきたのですよ」


 せきさんが桀さんを指差すといつも首を動かした。そういう動作はしていても大して興味はなさそうだ。


「返り討ちにした木精を叩き起こして、試しに引かせてみたところ、見事な落とし穴と悲鳴でしたね」


 せきさんは崩れた前髪を撫で付けて整えた。それでもひと房だけはいつも通り額に下りてきた。呼ばれたあらいさんは、ほとんど自力で出てきた雷伯にバンバンと背中を叩かれている。


「木理王直属の木偶パペットを信用しないなんて恐れ入ったわ。斧折樺さん」


 いつが嫌みっぽく丁寧に問いかける。桀さんはビクッと肩を震わせたけど決して下ががりはしなかった。


「もももも木精ならば木の理王のことを『御上』とお呼びするのが普通です。しししかし、そちらの木偶は『木理王』と」


 言われてみれば確かに。僕も普段は淼さまと呼んでるけど、改まった場面では御上と言うことにしている。


 木精が自分達の主を呼ぶにしては敬意がない。いつは天を仰ぎながら額に手を当てた。その緊張感のない様子に雷伯は不機嫌そうだ。


あらいが違和感を訴えてから考えたのですよ。何故、木偶が水精である私を避けるのか」


 ベンは潟さんが怖いと言っていた。相性の問題かと思っていたけど違うのか。でも確かに、木精なら水を好む。莬は僕と手繋いできたり、水を欲しがってたりした。


 せきさんが太刀を肩に担ぎながら床に転がる黒い塊を拾い上げた。ベンだった人形は全て炭になっている。あれでもまだ生きてるのだろうか。


「雫さまと私の違いを考えれば答えは簡単でした。私が純水ではなく、塩湖ラグーンだからです」


 せきさんが莬の塊から手を放し、宙に浮いた一瞬で真っ二つに切り裂いた。カランカランと乾いた音がする。片方が逸の足下にまで飛んでいった。


「莬が恐れていたのは私そのものではなく、私の持つ塩分。塩分を嫌うとなると、正体は木精に害を及ぼす……蛞蝓なめくじ


 潟さんが半分になったベンを蹴って転がした。中から茶白の蛞蝓が何匹も這いずり出してきた。何匹かはすでに切られていたり、萎んでいたりするみたいだけど、見えるだけでも十匹以上は元気そうだ。


「こいつ、中から喰ってやがったのか」


 雷伯が呟いた。見ていてあまり気持ちのいいものではない。蛞蝓なめくじは葉や茎を食べてしまう。でも木の人形まで食べてしまうなんて聞いたことがない。


「パ、パパ木偶パペットは常に新鮮な状態で保たれていると聞いたことがあります。食べやすいのかもしれません」


 食べやすいという感想もどうなのだろう。あらいさんも意外と言うみたいだ。莬の内部は蛞蝓が這ったと思われる跡が残っていた。這った通りに道が出来ている。そこは恐らく食べられてしまったところだ。


「いつからか分かりかねますが相当侵食されています。かなり前から木偶に成り代わっていたのでしょうね」


 元々の……本当の木偶パペットはどうしてしまったのだろう。


 いつは黙って話を聞いていたけど、おもむろに木偶の半分を拾い上げた。


「困ったわ。予定が狂うわね」


 いつが頬に当てていた手を下ろした。やや顎を上げながら腕を組む。逸が少し動く度に桀さんが大袈裟に反応している。


「困って下さって多いに結構。貴女には一緒に王館まで来ていただきましょう」

「あら。素敵なお誘いね」


 いつから何かが放たれた。潟さんに庇われるように飛び退くと、雷伯と桀さんも瞬時に退いていた。タタタタッと音を立てて針が床に刺さる。でも色から判断して針ではなくて逸の髪の毛だ。


「でもごめんなさい。今日は先約があるのよ、これで失礼するわ」


 僕たちが体勢を整えている間に逸は半分ほど床に沈んでいた。手には炭の塊を持ったままだ。


「ままま待って! かんばさまは? 芳さまはどこです!」


 そうだった。色々あって忘れていたけど、そもそもの目的は芳さんの救出だ。あらいさんが槌を構えたまま叫んでいる。


 潟さんは太刀を振りかざして逸に飛びかかろうとする。けれど太刀は逸をすり抜けて床に当たり、盛大な音がなった。その間にも逸はズブズブと床に沈んでいく。いつかのまぬがと一緒だ。


「そういえばそんなのいたわね。大丈夫よ、魄失はくなしになる前に回収したからね」


 あらいさんは口をパクパクしている。ショックで次の言葉が出ないのだろう。潟さんが飛び退いた瞬間、雷が光った。


 いつ目掛けて放たれたはずの雷は逸を避けるように床に落ちた。途中で不自然な曲がり方をした気がする。


「全く……皆やんちゃで嫌ね。静かな坊やを見習ってほしいわ」


 逸はそう言うと完全に沈み込んでしまった。どろどろは見えなくなり、元の白い床に戻る。


「くそっ、逃がしたか」


 雷伯が悔しそうに呟く。僕も潟さんも黙っていたけど気持ちは同じだ。ただあらいさんだけは呆然とした表情かおをしていて、何も考えられていないようだった。

作者が夢に見そう……

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