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水精演義  作者: 亞今井と模糊
一章 理術学習編
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13話 流没闘争

 半月後。

 

 理術の復習をおおむね予定通り終わらせた。食事と睡眠以外は本当に一日中特訓をしていた。


 正直、かなりキツかった。けど、今、僕は達成感に満たされていた。こんなにも達成感を得たのは初めてだ。

 

 そのせいなのか、夜も深まったのに全然寝付けない。気持ちが昂っているのか。それとも疲れすぎたせいなのか。

 

 自室から庭に降りて、夜風にあたってみることにした。水場に手を掛けながらこの数ヵ月を振り返ってみる。

 

 十年間、忙しくも穏やかな日々だった。ちょうどここから仕事場だった厨が見える。今はほとんど入らない。掃除もしないから井戸も使わなくなってしまった。

 

 せいぜいこの庭にある水場を、毎朝洗顔で使うくらいだ。

 

 色々なことが急速に進んでいる。


 僕の理術の勉強だけではない。忙しいびょうさまは更に忙しくなっている。先生だって領域と管理権が増えてしばらく帰ってこない。

 

 僕が分からない何かが起こってるんだろう。

 

 でも僕にはどうしようもない。淼さまや先生の教えに従うだけだ。


 突然、パシャンッという音がした。水場に置いた桶に波紋が広がっている。水が垂れたような小さな音ではない。不思議に思ってと覗きこむと、目の前で魚が跳ねた。

 

 透明な魚だ。

 

 以前、僕に手紙を届けてくれた魚に似ている。もう一度桶を覗くと、ポチャと魚が顔だけ出した。僕と目があったと思うと、すぐに潜ってしまった。

 

 何だろう。

 

「雫、そこにいるね?」

びょうさま!?」

 

 姿を探そうとして、右回りで振り返る。後ろを見て、左を見て、一回転してしまった。

 

 庭に淼さまの姿はない。どうやら桶から淼さまの声がするようだ。

 

「驚かせてごめんね。一通り練習は終わったみたいだね。お疲れさま」

「はい、ありがとうございます。何とか終わりました」


 声に合わせて、桶の水が波打っている。

 

「思いの外、早かったね。失礼なことを言うようだけど、半月で全てお復習さらいするのは難しいと思っていたよ。お見事だね」


 パチパチという音まで聞こえる。その度に水が跳ねている。少しこぼれていそうだ。

 

「疲れていると思うんだけど……悪いけど明日の朝、執務室に来てくれるかな」

「はい、分かりました。いつごろ伺いましょうか?」


 びょうさまからの呼び出しを断るわけがない。でも淼さまがいつでも執務室にいるとは限らない。

 

「朝と言っていい時間ならいつでも問題ないよ。明日は執務室にいるから」


 淼さまが笑いながら話すと更に水が震える。では明日、と話を終えて桶は静かになった。辺りがシーンとする。


 最近、誰かと話した後、独りになると急に寂しくなる。

 

 昔はずっと独りだったのになぁ。

 

 ……ずっと? 

 ずっとっていつから? 

 泉が出来てから? 

 それとも兄弟姉妹が冷たくなってから? 

 ……なってからって、おかしいな。最初から冷た……あれ?


 思考にかすみきりもやがかかってしまった。よく分からないけど、幼い頃のことだ。よく覚えていなくても仕方ない。


 少し寒くなってきたのか、無意識に両腕を擦っていた。明日の朝、びょうさまに会いに行ける。数日会えなかったから顔を見られるのは嬉しい。


 先程までどこかに出掛けていた眠気もようやく帰ってきた。縁側から部屋に入るとちょうどいい暖かさだった。

 

 よく眠れそうな気がする。心地よい温もりを感じながら布団を被り、目を閉じて……開いたときにはもう朝だった。

 

 日が高めの位置まで来ていたので、慌てて身支度をしてびょうさまの執務室にやって来た。

 

びょうさま、雫です。参りました」


 お入りという声を確認して扉を開ける。淼さまは相変わらず机で書類を読んでいた。でも気のせいか、少し書類の山が低くなったような……。

 

 僕が近づくとびょうさまはすぐに書類を読むのをやめた。

 

「淼さま、お早うございます。お呼びでしょうか?」

「おはよう、雫」


 良かった! まだおはようと言ってもらえる時間だった。

 

「ゆっくり寝られた?」

「はい、ありがとうございます」


 ゆっくりどころか、危うく寝過ごすところだった。淼さまに促されるまま執務机から少し離れた安楽椅子ソファに座る。

 

 淼さまは引出しを開けると、すぐに机を離れて安楽椅子ソファに腰かけた。

 

「雫。王館から出るよね?」

「はい。あわさんの言うように、ここよりも厳しい条件で理術を使えるか練習してみようと思います」


 個数だけなら結構使えるようになったと思う。だけど、自分自身の理力がほとんどない分、周りにある世界の理力を使うしかない。

 

 その理力は皆で共有しているから使いにくい……らしい。僕も未経験なのでやってみないと分からない。

 

「うん。前にも言ったけどそれはいいことだよ。ただし、自分の状態のことも考えて欲しい」

「僕の状態……?」


 地位が最も低いこと?

 それとも最下位の季位ディルの分際で理王の側に仕えていること?

 理術を学び始める前は一緒に食事をしていたこと?

 

「雫の身体からだ。本体のことだよ」


 びょうさまは左手を軽くひねった。その手にはいつの間にか氷の瓶が握られていた。中身は見えない。

 

「習ったかな? 水精は何に有利か」

「あ、習いました。水精は火精に有利です」

 

 先生の授業で習った記憶がある。水剋火すいこくかルールだ。

 

 水は火にち、火は木にち……という具合に、それぞれ有利な要素があるそうだ。

 

 びょうさまは頷いて話を続けた。

 

「そう。水精は火の精霊には有利だ。でもだからと言って無闇に攻撃したり襲ったりはしない。他属性ともうまくやるのが本来のルールだからね。ただ……」


 びょうさまが言葉を切った。肩から長い髪が滑り落ちてきた。心なしがいつもよりも艶がない気がする。ひどくお疲れなのかもしれない。

 

 淼さまは髪を払いながら、話を続けた。

 

「火精の寿命は短い者が多いが、長く生きる者もいる。そういった者やその身内は水精に恨みを持っているかもしれない」

「恨みですか? 何があったんですか?」

 

 質問を重ねてしまった。淼さまが一瞬困った顔をして、再び黙ってしまった。

 

 聞いてはいけなかったのだろうか。余計なことを言わなければ良かった。

 

 淼さまが目を閉じてしまった。睫毛まつげまで銀色なのだと初めて知った。

 

 しばらく睫毛を眺めていると、ゆっくり瞼が持ち上がった。


「雫は『流没闘争りゅうぼつとうそう』を知っている?」


 淼さまはまっすぐに僕を見つめた。



 

 ◇◆◇◆


 


 雫を呼び出して話をすればするほど、王館の外に出すのが危険な気がしてきた。だが、外に出すと言っても日程は半月程度。あわから正式な申請があったときに許可をした。


ついでに私が頼んでおいた物を届けに来たのだが、あわには親バカだと言われた。

 

 私は断じて親ではない。雫の親は華龍河かりゅうがわだ。

 

「リューボツ闘争ですか?」

流没闘争りゅうぼつとうそう。数百年前まで遡るが、水精のルール崩壊が起こった事件を総称してそう呼ぶ」


 顔が強張るのを感じる。散々目にしてきたことだが、改めて口に出すとまた雰囲気が異なる。


 雫を見ると分かったような分からないような顔をしている。理解できなくても仕方ない。雫が物心ついた頃、流没闘争は一応の沈静を見ていたはずだ。覚えていないだろう。

 

「海が川に侵入し、瀧は崖を昇り、池は流れだし、川は泉を飲み込み、湖は流氷を生んだ。皆、己の覇権を広げようとしたり、力を誇示しようとしたり……あの頃は、全てがめちゃくちゃだった」


 雫は黙って聞いている。想像でもしているのだろう。顔が歪んでいた。だが、恐らく雫が想像出来る範囲を越えているだろう。当時の事態は深刻だった。

 

「もちろんそうでなかった者もいる。雫の母上もそのひとりだ。周りの攻撃や浸入にも負けず、自身がどこかを攻めるわけでもなく凛とした大河だった」


 雫の顔から力が抜けたように感じた。数少ない身内と呼べる者の心配をしていたのだろう。


「ここからが本題だ。流没闘争は水精間の争いだが、火精も巻き込まれた者がいる。水精に不利な火精が関係のない争いの犠牲になったんだ。外れた水球が、たまたま生まれたばかりの火精に当たって消滅してしまったなんてこともあった」

「……可哀想ですね」


 まだましな例をあげたつもりだったが、雫は辛そうな顔をしていた。


 当時を振り返ってみる。悲惨な日々だった。当時、王太子だった私は水精を抑えるため、日々戦いを続けていた。

 

 あちこちで起こる小競り合いから、一族単位で争う凄まじいものまで……王館に戻る時間もないほどだった。


 あの頃は、毎日毎日戦いを収めるために戦うという矛盾むじゅんした日々を送っていた。

 

「だからその時に被害にあった火精やその身内は水精を恨んでいる。だが、水精には迂闊うかつに手を出せないから普段は我慢している」

「自分や自分の大切な家族が被害にあったら……気持ちはなんとなく分かります」

「だからその恨みは雫に向くかもしれない」


 雫はまっすぐに私を見つめた。

読んでいただきありがとうございます

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