126話 思わぬ助っ人
まだ練習中だった最上級理術を放ってみた。『大気氷結』は王館で練習していてもまだ成功したことがなくて、ただの『氷結』になってしまったり、粒の小さい『氷霧』になってしまったりしていた。
多分今のが初めての成功だ。さっき放った『氷柱演舞』の水分が残っていたから成功しやすかったのかもしれない。
わずかに射し込む光を反射して、細氷がキラキラと輝いている。理術を起こした僕でさえも少しだけ寒さを感じるほどだ。そこまで寒さに強くない薔薇なら尚更効いているはずだ。
鉄を取り込んで強化されているとはいっても、鉄も温度を下げればかなり弱くなると習った。多少は効果があるはず。いや、あってほしい。
「アハッアハハッ! すごい! すごいよ雫! 最上級理術だよねぇ! いつの間にそんなのマスターしたの!?」
「鉄の低温脆性を利用したのね。なるほど……確かに金属は温度が下がりすぎると脆くなるわね」
足元がぐらついた。転びそうになるのを踏みとどまる。一瞬、理術の使い過ぎかと思ったけど、本体の水は使っていないから眩暈などではない。
下を見ると踏みつけた薔薇の蔓が縮んでいた。周りの蔓もみるみる縮んで変色していく。
顔を上げると楚が胸を押さえていた。肩が上下に動いて苦しそうだ。どうやら効いているらしい。
「すごいねぇ。よく勉強してるねぇ。坊も知らなかったよぉ」
「でもこれ以上は止めた方がいいわ。この子がどうなってもいいなら別だけど」
安心したのも束の間。逸が楚の後ろに固まっている蔓をかき分けた。そこはまだ変色しておらず黒々とした薔薇の蔓が絡まりあって太い幹のようになっている。
その真ん中に人型の顔が浮き出ていた。無表情なその顔はまるで彫像されたかのようだ。予想外のものを見せられて少し動揺している自分がいる。
「その子は……?」
「あら? そこは意外とにぶいのね。鉄だって言ったでしょ?」
逸は浮彫の顔を頬から顎にかけて撫でた。勿体ぶったその言い方と仕草に嫌悪感が芽生える。でもそれ以上に逸の言葉が引っかかってしまった。鉄ならば思い当たることがあった。
月代の鉄。鑫さまの末の妹だ。
「誰かに似てると思わない?」
言われてみれば似ている。浮き出た顔は髪も肌も鉄色だ。目は閉じているけど、たとえ開いていてもきっと同じ色だろう。元々がこの色ではないだろうけど、鼻や眉の形など鑫さまに似ているところがあった。
「まさか、鍇さん?」
「ご名答ね」
行方不明になってた月代の鉄・鍇さんだ。月代に少し残された鉄のお陰で完全にいなくなった訳ではない。黒い金糸雀が鍇さんの一部として王館に保護されている。
鑫さまも金理王さまも鍇さんの行方を探して情報を集めていたはずだ。でも花茨にいたのでは分かるはずがない。木精の城にいるなんて誰が思うだろう。
「鉄が壊れたらこの子もどうなるか分かんないよぉ?」
「卑怯だ!!」
そんなことを言われてはこれ以上手が出せない。楚は倒せるかもしれないけど、鑫さまが悲しむ。僕がそれ以上動かないのを見ると莬が糸を楚の首に巻き付けた。
端から見ると首を絞めているようだけど、青かった楚の顔がみるみる健康的な肌に戻った。
「この子には十分役に立ってもらったわ。楚が太子になればこの子は月代へ戻してあげるわ」
そんなの信じられない。その保証がどこにあるって言うんだ。どうしよう、どうしたら良いんだ。
ここに頼れる人はいない。自分で何とかしないといけないのに良い考えが浮かばない。
「理縛」
逸の声を認識したときには遅かった。身体が動かなくない。顔をあげようとしても首が動かない。床から無数の糸で引っ張られているみたいな感じだ。
「さっ。そろそろ行きましょう。これ以上遅くなると本格的に怒られるわ」
見えない糸に引っ張られているのに、世界との繋がりがなくなってしまったような虚しさと寂しさがやってきた。まるで自分だけが取り残されたような孤独感に襲われる。
「怒ると怖いからねぇ」
視界の端の方で莬が楚から糸を回収していた。楚は舌打ちをしながらも立ち直り、逸に促されて部屋の隅に避けている。
逸は長い髪を一本抜いて輪を作り、楚が立っていた場所に落とした。すぐに床と薔薇の蔓を巻き込んでグニャリと穴が開く。
人型が二人ほど通れそうな穴だ。その中に異質な空間がちらりと見えた。
鋺さんと通った空間に似ている。でも色が違う。鋺さんと一緒のときは赤かった。でも今は逸のドレスと同じような明るい灰色だ。その先に何があるのか全く見えない。
あそこへ入ったら帰って来られない気がする。
ダメだ、ダメだ! 帰らないと! 木理王さまにこのことを伝えないといけない。潟さんたちの安否も分かっていない。
それに淼さまのところへ帰らないと……。淼さまをひとりにするわけにはいかない!
「じゃあ、理にお別れを告げたかしら? 莬、連れてきて」
「はいはぁい」
莬の糸が僕に向かって飛んできた。糸が首に巻きついた感覚があって絞められるのを覚悟して息を詰め、思い切り目を閉じる。肌に湿り気を帯びた空気を感じた。
「ギィヤーーァアアアァァアァアッ!!!!」
突然の悲鳴にビックリして目を開けた。でもあまりの眩しさに目を開いていられない。突然、身体が自由になって、思わず腕を組んだ。
目を閉じた上に顔の前で腕を交差しているのに閃光の激しさがよく分かる。光と一緒にバチバチとした音もしている。
何? 今度は何だ!?
「俺様の義弟に何してくれんだ。あぁ?」
上の方から降りてくる声は比較的記憶に新しい。この声は……。
「よぉ、雫! 元気か?」
組んだ腕の隙間から上を窺うと天井に大きな穴が開いていた。明るい日差しと共にそこから覗き込んでくるのは……。
「ら……雷伯!」
「ん? お兄ちゃんって呼んでいいぞ!」
逆光で雷伯の表情までは分からなかったけれど、ニヤリと笑った感じがした。射し込む光がなくなったと思ったらドスンッという音と共に雷伯が落ちてきた。
組んでいた腕を下ろしてから、身体が動くことに気づいた。眩しくて咄嗟に腕を組んだから気にしてる暇はなかったけれど、少し自由になった。お陰で状況を確認する余裕が生まれる。
逸の作った穴は一回り以上大きな瓦礫で塞がれている。多分、崩落したての天井だ。雷伯は僕に背を向けて瓦礫に片足だけ乗せている。
雷伯の大きな身体に遮られて楚の姿は見えないけれど、莬は倒れている。そこから僅かに煙が出ていた。
「雨の気よ 命じる者は 雷雨の名 氷の粒は 摩擦を生まん 『雷光直撃』!!」
雷伯は腕を下から上へ振り上げて目映い閃光を放った。目の前で炸裂した雷に再び目を瞑る。直後にドーンッという音と震動が伝わってきて、肌がビリビリと擽られる。
「グぅアーーッ! 燃えっーーーーーー!」
誰かの叫び声が聞こえた気がするけど今度は聞こえなかった。近くで雷が落ちた音の方がよほど大きい。掻き消されてしまったのだろう。更に足下がどんどん不安定になっていった。薔薇の蔓が痙攣しているように跳ねている。
痙攣に紛れて蔓が雷伯を狙い始めた。かなり太い蔓は避けているけれど、細いのは当たるに任せて無視している。いくら雷伯でも痛いに違いない。
蔓の刺に気を付けながら、新しく氷刀を作って雷伯のすぐ後ろに駆け寄った。跳ね回る薔薇の蔓を可能な限り弾き飛ばした。
「助かるぜ。雫!」
「こちらこそ! 雷伯は何でここに?」
雷伯は少し動く度に放電するような音がしている。うっかり触れたら僕も感電しそうだ。
「父上から聞いた。反撃するぞ!」
「は、はい!」




