123話 花茨城内部
「雫さま!」
「うわっ!」
壁沿いの廊下を歩いていると右側から木の幹が飛んできた。根っこも枝もなく成形された丸太だ。潟さんに、引っ張られていなかったら激突していた。左側は吹き抜けになっているから下まで落ちていたかもしれない。
花茨城の奥へと進むにつれて襲ってくる木精の数が増えてきた。正面から来れば分かるけれど、棚の陰や扉の向こうに待ち伏せされているとなかなか気づけない。
潟さんは僕を庇いながら空いた腕で太刀を振るっていた。一瞬だったけど丸太の上に誰か乗っていたように見えた。多分今、潟さんが払い落としたのはそれだ。吹き抜けから悲鳴が落ちていった。
「元侍従武官の名は伊達じゃないねぇ。坊も負けてられないなぁ」
ベンさんは、間延びした口調に合わない素早い動きで床を蹴ると、左側の手摺に足を掛けて飛び出していった。
「ベ、ベンさん!」
急に飛び出したベンさんを止めようとしたけれど遅かった。ベンさんは天井の電飾に向かって手を伸ばし、掴むと同時に足を蹴りあげた。
「邪魔だ、よぉ!」
短い呻き声が聞こえて木精らしき影がひとつ落ちていった。少し遅れて棒状の武器がその後を追う。高所から僕らを狙っていたようだ。皆良く気づけるなぁと感心する。時々振り返って桀さんを見ると、その度、足元に二、三人倒れている。何気に強い。
次から次へと下に落としているけれど、敵とはいえ、ちょっと心配になってくる。下を覗きこもうと手摺に触れた。
「何してるのぉ? 危ないよぉ?」
「ぅわ!」
ベンさんが天井から下りてきた。電飾に糸を絡ませて蜘蛛か簑虫のようにぶら下がっている。反動をつけて手摺を越え、廊下に足を着けた。カタンッと木のぶつかる音がした。
「敵の心配ぃ? 優しいねぇ。木精は衝撃に強い者が多いから、この高さから落ちても大丈夫だと思うよぉ。後でちゃんと全員シバくからねぇ」
シバく方法は聞かない方が良さそうだ。ベンさんは人形だからなのか、あまり表情が変わらないけれど、今のは不穏な感じがした。
「まぁその前に芳だよねぇ。えーっとぉ、そこの叔位は名前なんだっけぇ?」
「はっ! そ、某は桀と申します」
桀さんは斬りかかってきた木精を、背負い投げで倒していた。しかも槌を片手に持ったままだ。誰かが加勢するまでもない。
「ふぅん。で、花茨の応接間ってカラクリがあったよねぇ? 二ヶ所同時に開けないと入れないんじゃなかったっけぇ?」
せっかく聞いたのだから、名を呼んであげれば良いのに、と思ったけれど急に興味を失くしたみたいだ。桀さんには気の毒だけど、それはこの際置いておくとして、応接間にそんな仕掛けがあるなんて初耳だ。桀さんを見ると複雑そうな顔をしていた。
「そそそ某は存じません。そそ某は城外で生まれ、周りの木々が枯れて、ひひひひとりになってしまったところを芳さまに拾っていただいたので、詳しいことは……」
桀さんが自分のことを話してくれた。短い台詞の中に辛かっただろう過去が垣間見えた。
「ふぅん。坊の記憶だと、東と西にある応接間の鍵を同時に開けないと入れない作りだったんだけどなぁ」
「おおおぅおお応接間が二つあるのは存じております。ば、ば場所も分かりますが」
桀さんが喋りだすと、ベンさんは腕をくんで首だけぐるぐる回し始めた。怖いから出来ればやめて欲しい。
「木偶は木理皇上に仕えて長いですから、信憑性はあるでしょう」
潟さんが服の裾を直しながら話に入ってきた。背中の長い燕尾服は戦いには向いてないと思う。動きにくそうだけど、もしかしたら潟さんにとっては何てことないのかもしれない。
「そう長いんだよぉ。何代前だったからか、もう忘れちゃったよぉ。だって木理王すぐ代わるからさぁ」
ケタケタケタと鳴っているのはベンさんの笑い声だろうか。失礼だけど不気味だ。桀さんも少しだけ眉を顰めている。
でも、偏見はダメだ。初めて骸骨姿の鋺さんを見た時、驚いてしまって淼さまに注意された。見た目で判断してはいけない。
「それでは二手に別れましょう。雫さまと離れるのは不本意ではありますが、場所を把握している者と組んだ方が良いでしょう。桀と雫さまで西を。私と木偶で」
「坊は潟やだ! 雫と行くよぉ」
ベンさんが僕の腕を掴みながら後ろに回った。まるで潟さんから隠れるように。二階に上がるときも潟さんから離れるように遠回りをしていたし、よっぽど潟さんが苦手みたいだ。さっきは少し対抗意識を持っていたような気もするけど、何がそんなに嫌なのだろう。
でも、木理王さまに仕えているということは今後も王館で会う機会があるだろう。僕としては、出来れば仲良くしておきたい。
「潟さん。僕はベンさんと一緒に行くので、潟さんは桀さんと行って下さい」
「やったぁ! 流石、侍従長だねぇ!」
侍従長が関係あるかどうかは別として、ベンさんは僕の背中から離れて飛び回っている。その様子を潟さんは呆れたように見ていた。一方、桀さんはベンさんを不思議そうな目で見ていた。
「桀さん? どうかしましたか?」
「はっ、はははぅはゆつこたまいえなんでも」
中間が聞き取れなかった。桀さんもかなり慣れてきてくれたようだけど、突然話しかけるとこの調子だ。芳さんを助け出せたらもっとゆっくり話したいところだ。
「じゃあねぇ、じゃあねぇ。潟たちの方が近いからぁ、先に着いたら蕾が付いてる蔓を引っ張ってねぇ。坊たちも引っ張れば、同時に扉が開くからそれまで引っ張っててねぇ」
蔓を引っ張ると開く鍵か。仕組みが気になるけど、僕では分からないかもしれない。木精にしか分からない仕掛けの可能性もある。
「では雫さま、お気を付けて。何かあればすぐに参りますので」
「こっちだよぉ。足元に気を付けてねぇ」
潟さんに返事をする前に、ベンさんが僕の腕を引っ張った。壁沿いの廊下を道なりに曲がると吹き抜けを挟んで桀さんと目があった。何か言いたそうだけど潟さんが一緒だから大丈夫だろう。
「やっと雫とゆっくり話が出来るよぉ」
ベンさんが僕を引っ張りながら楽しそうに話しかけてきた。まだ木精から襲われるかもしれないから油断はできないけど、ベンさんの足取りは軽い。
「ベンさん。あまり大きな声を出さない方が……」
ベンさんからやんわりと手を回収して話しかけた。木精たちに気づかれるかもしれない。口元に指を当てて声を抑えるように示す。
「何でぇ? 襲って来たいなら来れば良いよぉ。坊が返り討ちにしてあげるからぁ」
ベンさんは自信満々に答える。でもベンさんの明るい様子と周りの様子とはかけ離れている。特に目立つのは廊下の壁についた傷だ。刀か剣で戦ったのか、それとも槍か。何か鋭利な物で引っ掻いたみたいだけど全て傷が短い。刃物で傷ついたらもう少し長いはずだ。試しに指で触れるとひとつひとつの傷が幅も広くて深い。
「坊は木理王の理力で動いてるから強いよぉ」
「木理王さまの理力?」
壁の傷に手を這わせていたら坊さんが首を回してきた。固い木の顔のはずなのに少し不機嫌そうな表情をして、僕の手を壁から外し再び引っ張る。
「そうだよぉ。木偶は何代も前の木理王が作った人形でぇ、木理王が代わる毎に受け継がれて来たんだけどねぇ。最近の木理王は弱いから、理力を貰えなくて坊はほとんどお休みだよぉ」
ベンさんは不満そうにカタカタと首を振る。木理王さまは病気なのだから仕方ないだろう。それでもベンさんを送り出した……木理王さま大丈夫かな。
「ねぇ、雫の理力ってすごいんでしょ? ちょっと見せてよぉ」
「いや、見せるって言われても」
理力は見えるわけではないし、木精にはあまり効かない。だからこの場で役に立つかと言うと微妙だ。
「坊にお水ちょうだい。雫の水が良いなぁ」
僕の水……泉の水球を欲しいということか。それなら出来る。歩を進めながら詠唱をして小さめの水球を作った。
「ベンさん。どうぞ」
水球をひとつベンさんに手渡した。多分飲むのだろうけど、人形なのにどうやって飲むのかと思っていたらベンさんは水球を足元に投げ捨てた。いきなり何をするのかと見ていたら、ベンさんは濡れた床の上に足を置いた。
「わぁ! すごーい! すごいねぇ! 色々満ちてくるよぉ! あ、見て! 新芽ぇ!」
色々って何? と聞こうとしたけど、ベンさんの嬉しそうな様子を見ていると聞くに聞けない。ピョンピョン飛び回ってここが緊迫した場であることを忘れてしまいそうだ。
人形なのに新芽が出るのも不思議だ。ベンさんの鼻の頭に小さな新芽が出ていた。
「すごいねぇ、雫は! うん、これならきっと喜ぶよ」
「え? あ! ベ、ベンさん、後ろ!」
先の角から人影が見えた。




