122話 木偶坊来城
棍棒を大きく振りかぶって飛び降りてくる木精を、分厚い氷盤で防いだ。通常の氷盤だと薄いから氷壁を組み合わせた。
バキンッともガキンッとも表現しがたい音がして氷と棍棒がぶつかる。細かい氷の破片が散らばって顔に当たって思わず目を細めた。純度の高い透明な氷にヒビが入っていく。氷の向こうに相手の歪んだ顔が見えた。それに気を取られていると階段の方から詠唱が聞こえてきた。
「育む気 命じる者は 蒔の弟 まとわりつきて 行く手を阻まん『果実散乱』!」
詠唱の最中から刺が付いた無数の実が生じ始めた。全部僕に向かって飛んで来る。ひとつひとつは小さな実でも当たったら痛そうだ。向きを考えると目を狙われている。今から剣を抜いても間に合わない。
「白玉よ 命じる者は 雫の名 いざ類を呼べ 露をば作れ『水球乱発』」
全ての実を水球で受け止めた。顔にぶつかる前に水球に閉じ込めることに成功した。少しホッとして前を見ると、氷の向こうにいたはずの木精がいなかった。
「ハハッ! バーカ!!」
ひとりはどこに行ったのか分からないけど、階段の木精が降りてきたので身構えた。木精は一段残して足を止め、ニヤリと不適な笑みを浮かべた。その位置で指をパチンと鳴らすと、僕が作った水球が弾けてしまった。
「なん……え」
水球が消えてドサッと蔓状の植物が落ちてきた。
しまった!
あれだけ潟さんに言われていたのに実に水をあげてしまったらしい。育ててしまったようなものだ。受け止めないで氷球で弾いておけば良かったんだ。
後悔してももう遅い。落ちてきた蔓はとても生き生きと蠢いている。茎が刺だらけだから茨の蔓だろう。ところどころに小さい花が付いていた。花茨城と言うだけある。
「行け!」
木精が腕を振ると茨の蔓が勢いよく飛びかかってきた。離れていても針のような長い刺がたくさん見える。こうなったら理術はダメだ。剣術も得意とは言えないけど真新しい剣を抜く。
蔓は全部で五本だ。一本は上から、二本は左からで足を狙っている。残り二本の内一本は床を這い、一本は右から顔を狙ってきているようだ。
上と左の蔓は横に飛び退いて一旦かわした。左上から振り下ろされる蔓を剣で払う。スパッと大根でも切るようなあっさりした切れ味に一瞬驚く。見た目より意外と弱いのかもしれない。
ゆっくり驚いている間もなく右から影が迫ってきたので咄嗟にしゃがんだ。頭上を風が通りすぎていくのを感じて、立ち上がりながら剣を振り上げる。刺だらけの蔓が足元に落ちてきた。
「くっそ!」
木精が苦々しげに呟く声が聞こえた。でもそちらを振り向く余裕はなかった。剣を構え直そうとすると急に体が地面に引っ張られた。足と腕が片方ずつ蔓の刺に捕らえられていた。
少し遅れて風を切る音が耳に届く。一旦下ろした剣をほとんど勘で剣を頭の前に持ち上げた。大木でも倒れてきたかのような重さが腕にのし掛かる。
「ぅくっ!」
「うぜぇっ!」
衝撃に瞑ってしまった目を開けると剣で棍棒を防いでいた。自分でも驚きだ。肘は刺に引っ掛かったままで強引に棍棒を払った。手がビリビリと痺れて剣をうまく握れない。
「くそっ! 水精のクセに鋼なんか使いやがって!」
「どけ! 俺がやる!」
棍棒を持った木精が退くと、蔓が蛇のように鎌首を持ち上げた。足と腕に付いた蔓を切り落として二、三歩下がる。さっき切った蔓は切り口のすぐ横から新しい蔓が生まれていた。
……これはまずい。切っても切っても再生するやつだ。どうしよう。
「ぅおりゃーー!!」
茨の蔓を警戒しつつ次の行動を考えていると、野太い声と共に左側を何かが駆け抜けていった。
「あ、桀さん!?」
あまりに突然で動けないまま、呆然と桀さんの様子を眺めてしまう。桀さんは自分と同じくらいの大きさの槌を振り回している。向かってくる蔓を一本一本潰しているようだ。潰された蔓は再生する様子はなく、しばらくのたうち回っていたと思ったら変色して動かなくなった。
なるほど。切れば脇芽が出るけど、潰されればそこから腐敗していく。植物の特性だ。流石、木精の桀さんは良く分かってる。
「おい、こいつ。この間の……最後まで残ってた奴じゃね?」
木精が二人とも困惑している。さっきの僕と一緒だ。どういう行動をとろうか悩んでいるんだろう。でも残念ながら桀さんは悩む時間を与えてなかったようで、二人まとめて槌の餌食になっていた。
「ぎゃあぁぁあぁあ!!!!」
お手本のような叫び声をあげて、二人の木精が吹っ飛ばされた。踊り場の上に付いた天窓を突き破って姿が見えなくなった。後から窓の破片がパラパラと落ちてきて、風も入ってきた。
「桀さん、ありがとうございます。助かりました!」
お礼を言うと桀さんは真っ赤になってしまった。ズザザザッとすごい勢いで離れていく。
「かかかか叔位のそそ某に、れれれ礼などふっ不要です」
僕は低位だった頃からずっと、淼さまとか焱とか先生とか、たくさんの高位に囲まれて過ごしていたから感覚がおかしくなってしまったのかもしれない。高位に対する態度はこれが正しいのかも知れないけど、僕としては固くしないで欲しいし、何よりそんなに怯えないで欲しい。
「それより桀さん。なんでここにい……」
「遅くなっちゃってごめんねぇ」
ビクビクしている桀さんをなるべく刺激しないようにそっと声を掛けると、下の方から精霊がやって来た。見たことのない精霊だ。
「雫さま。大事ございませんか?」
遅れて潟さんも顔を見せた。潟さんが何も言わないということは知り合いのようだ。潟さんに大丈夫だと返しながら、先に来た精霊の様子を盗み見る。僕と同じくらいか、少し若そうだ。茶髪に茶目で失礼だけど少し前の僕に装いが似ていた。
「坊と会うのは初めてだねぇ。雫だっけぇ?」
「は、はい。貴方は?」
立ち止まった精霊に潟さんが追い付いた。そのまま通りすぎて僕のことを上から下まで眺めると隣に回ってきた。ついでのように桀さんの所在を確認している。
「坊は木偶。木理王の人形だよぉ。応援に来たから任せてねぇ」
あぁ、なるほど。木の王館から助っ人が来たから桀さんが案内をするために入ってきたのか。
ひとりで納得していると木偶さんは首を正面に向けたまま体をくるりと一回転した。思わず声をあげそうになるのを飲み込む。もう少しでみっともない悲鳴をあげるところだった。
「あれぇ、驚かないねぇ。皆これ見ると悲鳴あげるのにぃ」
驚かせるつもりだったのか。精霊が悪い。一回転した反動で手足がプラプラしていて、体にぶつかる度にカタカタと音を立てていた。
木理王の人形というのがどういう地位なのかはっきりは分からないけど、今までの経験からおおよその推測できる。
水先人の漕さん
火付役の颷さん
金亡者の鋺さんと金字塔の鈿くん。
理王付きだからきっと同じ地位のはずだ。
近くで見ると顔や手にうっすらと木目が見えた。体そのものが木で出来ているみたいだ。他の木精とはまるで違う。
「パペットさん、その」
「ベンって呼んで良いよぉ。すごいねぇ驚かないんだぁ。ふぅん」
ベンさんにじっくり見られている。
ベンは真名ではないのかな?
いつもなら教えてもらうとすぐに字が頭に浮かぶのに全く分からない。もしかしたら滾さんがギルって呼ばれるみたいに愛称かもしれない。
「木偶、いい加減にしなさい。遊びに来たのではないしょう」
潟さんの口調が荒い。潟さんのはるか後方では桀さんがうんうんと何度も頷いているのが見えた。ベンさんは少し不貞腐れて潟さんを睨んだ。
「分かってるよぉ。芳を助け出せば良いんでしょぉ? 潟は昔から冷たいなぁ」
そう言いながら僕の手を取り引っ張る。そのまま潟さんを避けるように少し遠回りをして階段を上がる。
「わ、あの」
「早く。行くんでしょぉ?」
それはそうだけど、ピョンピョンと跳ねるベンさんのペースに付いていけない。潟さんもため息を付きながら上がってきた。その後ろを桀さんが付いてくるのを確認して階段を上りきった。




