121話 叔位の斧折樺
花茨城から飛んでくる金属の玉を避けるために雲を低く飛ばしていると、城から少し離れた空き地で手を大きく振っている人影があった。周りは木で囲まれているから見つかりにくい。
空き地に下りると、乗っていた雲はすぐに儚く消えてしまった。元々乗る予定はなかったから急いで作ったそうだ。あまり丈夫ではないらしい。隙間があったのも納得だ。
「りりりりりり竜宮の方ですね! おぉお待ちしておりました!」
駆け寄ってきたのは体格の良い木精だった。滾さんを思わせるような体つきだ。けれど背は滾さんほど高くない。
ただ筋肉質な身体は重ねて着ている服の上からでも分かった。
「雨伯の依頼で応援に馳せました。貴方の名は?」
潟さんが一歩前に出て尋ねた。警戒をしているようだ。もしかしたら襲撃した甥の方かもしれない。油断は危険だ。
「は、はいっ。そそそそ某は叔位・おおおおおお斧折樺の桀と申します!」
……噛んでる。吃りがすごい。
そんなに切羽詰まった状況なのか。木精に多い緑の髪をやや乱しながら元気よく名乗ってくれた。
「こ、この度はごごごらごごらいご来訪っまこ誠に……」
「挨拶はもう結構。こちらは雨伯の末子で水理王の侍従長を務める雫さま。私は先々代水理王の子で現理王付の近衛、潟。雫さまの護衛を致します」
桀さんがヒィッと短く悲鳴を上げた。確かに肩書きだけ聞いているとすごい。ぼくまでどこか他人事のようだ。
潟さんは短い台詞の中で理王という言葉を三回も使った。相手を威圧して敵か味方か試しているのだろう。
敵なら怯むか、それとも開き直って向かってくるかのどっちかだ。けど桀さんは違う。演技とか驚いたふりとかではなく、感極まっている様子が感じ取れた。
「そ、そそそんな偉大な方たちが助っ人に……あばわはかぁやさら」
何を言ってるのか分からないけど、多分感動か恐縮しているのだと思う。味方で間違いない。
さっき叔位だと言っていたから、理王関連の高位精霊と関わること自体があり得ないことだ。僕も少し前まで低位だったから気持ちはよく分かる。
アワアワしている桀さんを宥めようとして肩にポンと手を置いた。
「僕たちが役に立てるかどうか分かりませんけど、頑張って芳さんを助けましょう!」
桀さんは一瞬目を大きく見開いて、瞬きをしないままポロポロと大粒の涙を溢し始めた。木精がそんなに水分を出したら枯れてしまう。
「そ、某にそそそんな言葉をか、かけっかけっ……うぉあおぉん」
会話が出来ない。結構熱くなりやすいタイプみたいだ。自分の世界に入ってしまった。早く詳しい話を聞きたい。
「それで桀。状況を説明してください。芳どのはどこに?」
潟さんも同じ気持ちだったのか、いきなり桀さんを呼び捨てにした。高位が低位を呼び捨てるのは普通のことだけど、それを躊躇うのは僕が高位に成りきれていない証拠だ。
「あ、は、はい」
現実に引き戻された桀さんが時々吃りながらも説明を始めた。花茨城の当主である芳さんは応接間で甥を迎え入れて、そのままそこに閉じ込められているらしい。
「おおおお襲ってきたのは芳さまの甥、薔薇の楚どのです。ご、ご身内ですから特に疑うこともなく歓迎し、芳さま自ら応接間に迎え入れたのですが、そそその直後に多くの精霊たちが敷地内に雪崩れ込んできて……」
慣れてきたのか、桀さんはつっかえながらもさっきよりスラスラと喋り始めた。
でも今の話でひとつ気になることがある。薔薇の精霊……聞いたことがあるような、ないような……誰だったか。
「そそそそ某は庭掃除のために外に出ていました。な、なのでなんとか逃げられたのですが、助けを求めに行くにも根の道は切られてしまい、ちちちょうどそこへ竜宮城の端が見えたのでお願いに上がった次第です」
なるほど。だから桀さんだけ逃げられたのか。竜宮城へ来た件は雨伯から聞いていた通りだ。
「そんなことは分かってます。応接間はどこにあるんです」
潟さんの口調が少し荒くなってきた。何か怒ってるみたいだけど顔はニコニコしているままなのが怖い。淼さまも前は笑ったまま怒っていることがよくあった。
あ! 思い出した!
笑いながら怒る淼さまの顔を想像していたら思い出した。少し前に淼さまが話してくれたこと。王太子時代の淼さまの話だ。
ーー木理が林を連れて駆け込んで来てね。外皮がボロボロに傷つけられていて、ひどい有り様だった。手を出したのは木理の遠縁で、同じく王館勤めの薔薇だった。
ーー薔薇は林を傷つけた罪を木理に着せて、自分がその地位を引き継ごうとしていたらしい。
ーーまぁ、そのせいで薔薇は下位に降格。下位だと王館に居られないから……。
居られないから? その後は?
……だめだ。その後の淼さまの言葉が思い出せない。その後の薔薇はどうなったんだ?
「では三階ですね。雲が狙われた以上、侵入はバレていますので正面から突っ込みます」
大胆だ。そして潟さんに睨まれた桀さんは涙目だった。体つきに似合わないつぶらな瞳が潤んでいる。可哀想になってきた。
「雫さま。ご存知かと思いますが、木精には生半可な水の理術は効きません」
水生木の理だ。
水は木を生かすから、例えば普通の水球だと吸収されてしまうはずだ。僕たち水精が木精と戦うのは難しい。土精を相手にするほど不利ではないけど。
「そうですね。気を付けます」
「もし対峙するようなことがあれば、氷系か物理攻撃をお薦めします」
そういう潟さんの手にはすでに太刀が握られている。潟さんのお洒落な燕尾服に似合わない丸々と太った鮭のような太刀だ。
「そ、某は何を」
「貴方は足手纏いです。木の王館から応援が来たら合流しなさい」
潟さんは容赦ない。もしかして僕が知らないだけで元々こうだったのか。桀さんはちょっとだけシュンとして、それからコクコクと何度も頷いていた。
潟さんが太刀を肩に担いで建物に足を向けた。僕も後に続く。本当は僕が後に続いてはいけない。気は進まないけど、前に出なければならない。
雨伯の子としてここに赴いたのは僕だ。僕が行かないと!
空き地から木々を抜けて、手入れされた垣根を通りすぎる。ここからが花茨城の敷地だろう。足を踏み入れた瞬間、僅かに空気が揺れた。
「ハッ!」
植え込みや木の陰から飛び出してくる影が見えた。二人だ。僕が玉鋼之剣に手を掛けると足元に転がり込んできた。
足を狙われると厄介だ。慌てて飛び退く。片手をついてバランスを取りながら顔を上げると二人が四人に増えていた。転がったまま起き上がる気配がない。
「あれ?」
「雫さま、どうしました? 先へ参りましょう」
立ち木の陰に入ってしまった潟さんが顔を見せた。僕に笑顔で語りかけてくる。右手で太刀を担ぎ、左手で木精を絞めながら持ち上げている。
「わぁー……」
つ、強い。
潟さんは木の棒でも投げるみたいにポイッと木精を投げ捨てた。それが近くに落ちたのを見届けて、二人で城内に踏み込んだ。
大きな扉を潟さんが押し開ける。広い空間の真ん中に大きな階段があって、途中から左右に分かれている。どちらから上がっても二階の広間に繋がっているようだ。
辺りを見渡すとひどい有り様だった。飾られていただろう絵や陶器は落ちたり、割られたりしていた。更に所々棚が倒れ、壁紙が破れている。上の階に行くとそれが更にひどかった。
「雫さま、十二名来ます。一階の十名を私が相手しますので、二階から来る二名をお願いできますか?」
「分かりました!」
割合がひどい。けど助かる。
潟さんが言った通りすぐに木精が飛び出してきた。僕の相手は階段にいるひとりと、二階の手摺に足を掛けているひとりだ。武器は持っていなさそうだから理術で攻撃してくるはず。
「てめぇら! 邪魔すんじゃねーぇっ!!」
手摺を踏み越えて木精が飛び降りてきた。
斧折樺はかなり固い木です。成長スピードが遅い分、木の密度が大きく、丈夫な木になるようです。
桀もきっと丈夫な体を持っているんでしょうね。




