118話 潟の昔話
「ここが雫ちゃんのお部屋よー。潟は隣の部屋を使ってねー。中の扉から行き来できるからねー」
「恐れ入ります」
霓さんに案内された部屋は、王館にある僕の新しい部屋と同じくらいの広さだった。やっぱりどこかしらに高級そうなものが置いてあって落ち着かない。もっと狭くて良い。出来れば宝石を散りばめていない卓が良かった。
「父上はしばらく来ないだろうから、お夕飯の時に呼びに来るわねー」
そう言って霓さんは部屋から出ていった。
雨伯は花茨城の使者に会いに行ったきり戻ってこなかった。雨伯はそれを見越して霓さんに僕を部屋へ連れていくよう指示してくれたのだ。
花茨城がどこにあるのか、何が起こっているのか分からない。でも襲撃にあったというのは聞こえた。良くない状況にはちがいない。
「雫さま、お掛けになっては? お茶でも淹れましょうか?」
潟さんが無駄に豪華な椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます。潟さんも座ってください。少し休みましょう。お茶は僕がやります」
潟さんは僕の護衛として付いてくれているだけだ。決して僕の使用人ではない。護衛以外の仕事をさせてはダメだ。
「そうですか? ですが王館の茶葉と種類が違いますので些か難しいと思いますが」
そう言いながら、潟さんはすでに茶葉の瓶を手に取っていた。やる気満々だったみたいだ。そうなると断るのは逆に申し訳ないので、お願いすることにした。その間に改めて部屋の様子を確認する。
部屋には浴室や洗面台も備え付けてあるみたいだ。背の低い本棚にはすでに何冊か入っている。これは勝手に読んでいいのだろうか。無駄に宝石の多い卓と椅子の他に、机も設置してある。窓際で雨が降っている様子がよく見えるところだ。置かれた真っ新な紙の束を試しに一枚めくっても湿気を感じない。雨雲の中なのに乾燥している。
「雫さま。お茶が入りましたのでどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
潟さんと二人でテーブルに着いて、用意してくれた赤っぽいお茶を観察する。浜茄子という薔薇の実をお茶にしたものだと潟さんが教えてくれた。爽やかな香りが鼻をくすぐる。爽やかな味を期待して一口飲んでみた。
「……なんか酸っぱい気がしますね」
「おや、失礼しました。扶桑花を抜いておけば良かったですね。淹れなおしましょう」
僕の茶器を下げようとする潟さんを止めた。飲めないほど酸っぱいわけではない。これはこれで口の中がスッキリする。僕が飲み続けるのを見て、潟さんは瓶を二つ持ってきてくれた。
「こちらが蜂蜜、こちらがジャムです。お好きな方をどうぞ」
手際よく進める潟さんに感心してしまった。前にも思ったけど潟さんの方がよほど侍従みたいだ。
「潟さんは、どうしてこんなに色々分かるんですか?」
見慣れないお茶の淹れ方からジャムや蜂蜜の場所まで、無駄のない動きが不思議に思えてきた。何か僕の知らない細かい規則があるのかもしれない。
「以前、滞在したことがあるのですよ。こういった物は、どの部屋でも置場所が決まっているのでその時に教えられました」
潟さんが自分の茶器に蜂蜜を落としながら答えてくれた。指で宙に小さな円を描くと、お茶の中に渦が出来て蜂蜜が溶けていった。
「先代水理王が王太子だったころ、王太子付き侍従武官として勤めておりました。しかし、王太子はひとりで戦い抜くべきと言われます。武官としての出番はあまりありませんでした。……表立っては」
付け足された一言が気になったけれど、それには触れなかった。潟さんの昔の仕事はさっき霓さんが言っていたから知っている。でも先代水理王さまの話はあまり聞いたことがない。先々代の漣先生の話はよく聞く上、何ならよく会っている。普段聞くことのない潟さんの昔話についつい前のめりだ。
「当時、私は王太子付きというよりも、当代水理王の息子という目で見られていることが多く、私自身もそう思っておりました。王館勤めになったのも元はといえば父が理王になったことが切っ掛けですので」
現役理王の子であって、王太子付きの侍従でもある。だけど侍従の仕事はほとんどないとなれば、理王の息子という立場の方が強くなって当然だ。
「私としては皆と同じように勤めていたいたつもりなのですが、ある日父である御上から出向を命じられまして」
「シュッコウって何ですか?」
初めて聞く言葉だ。
「私の場合、王館勤めから竜宮城での勤務に異動になったということです」
「そんなことあるんですか?」
突然知らない精霊の所に働きに行かされることがあるのか。尤も、雨伯のことを知らない水精などいないのかもしれない。もし、僕が淼さまに突然そう命じられることがあったら……そうなったら嫌だ。
「普通はありません。ご安心ください。王太子を守るために仕方なかったのだと思います」
「王太子を守る? それってどういうことですか?」
王太子を守るべき侍従武官が、どうして王太子の側から離されるのだろう。
「私は知らなかったのですが、一部の精霊に当時の王太子を廃して私を押そうという動きがあったらしいのです。父はそれを察知して私を王館から遠ざけました」
つい最近の月代と金理王さまの関係みたいだ。どの属性にも同じような話はあるらしい。あってほしくはないけど淼さまも王太子時代は同じ目にあっているのかな。
喋っているせいで喉が渇いていたのかもしれない。潟さんはお茶を自分で注ぎ足すと、僕にもお代わりを薦めてきた。少し残った中身を一口で飲み干して注いでもらう。酸味がクセになってきた。
「私が王館から出されたということには三つの意味があります。ひとつは何があっても王太子を変えないという理王の意思表明。二つ目は企てに気づいているぞという牽制です」
流石、先生だ。考えが深い。あとひとつは何だろう。
「三つめは私に対して『調子乗ってんじゃねーよ』的な意味ですね」
一瞬、口調が変わった潟さんを見返した。潟さんの顔はやっぱりニコニコしていたけど、今のは聞き間違いではないはず。ちょっとだけ怖い。答え方が分からないので、行儀は悪いと思いつつ、お茶を啜る音を立てて誤魔化した。
「ああ、それと霓はその時、父の秘書だったのですよ。当時はその縁で親しくしていました」
「そういえば仲良さそうでしたね」
潟さんが元の調子に戻ってくれた。今のは何だったのだろう。
「じゃあ、そのあと王太子になった淼さまとも仲良かったんですか?」
「あ、いえ……」
今度は潟さんが答えに詰まる番だった。目を合わせてこない。僕の知らない時代を興味本意で聞いてしまったのは不味かったか。
「正直申し上げて当代の御上とは接点があまりなく……」
潟さんが少しだけ申し訳なさそうに言う。もしかして淼さまが王太子になったときはもう王館で働いてなかったのかもしれない。
「父が引退して王太子が即位し、少しの間は王館に勤めていたので、新しく王太子になった当代御上もお見かけしてはいましたが、直接お話しする機会はありませんでした」
先生が理王を引退しても、淼さまの王太子教育があるから王館に留まっているはずだ。
「霓は父の引退と同時に竜宮城へ戻ったはずです。代わりに霓の姉である霈どのが王太子付きとして王館に上がったと聞いています」
霈さん、さっき絵で見た精霊だ。短い外跳ねの髪に活発な印象を受けた。霓さんののんびりした雰囲気とは真逆なイメージだけど、所詮僕の想像でしかない。
淼さまはああいう感じが好みなのだろうか。喉に声が引っ掛かってしまったみたいで、うまく音にならない。
「び」
「雫ちゃーん。潟ー、お夕飯よー」
やっと声が出ようとしたときに霓さんの声がかかった。夜にしてはまだ明るい。雨伯は夕飯が早いのかもしれない。
「あぁ、竜宮城は日の位置が違いますからね。明るいですが空腹ではないですか?」
潟さんに言われてからお腹がなった。潟さんの笑みが深くなる。恥ずかしさでいっぱいで何も聞けなくなってしまった。




