114話 理王の子
「架どのは立派になられました」
架というのは木の太子・林さまの真名だそうだ。木の王館からの帰り道、潟さんは割と機嫌良く昔のことを語ってくれた。
緑の木々に囲まれた庭の道を、僕の斜め後ろに控えるように歩いている。まさに護衛なのだけど落ち着かない。
「ただ目が悪くなったようですね。理力分けの影響でしょうか」
林さまは昔、眼鏡をかけていなかったそうだ。思い返せば、木理王さまが危篤の時、林さまが眼鏡をしていた記憶がない。木理王さまに理力を分けたのはその後だ。削ったのは王太子の名前だけではなく、視力もだったようだ。
「木理王は代々病に侵されます。父の代だけで二人の木理王が譲位しました」
潟さんとしては教えてくれるつもりなのだろう。けど僕は無知を指摘されているみたいでチクチクした。
「そうなんですね」
その都度、相づちを返しているけど自然に返せているだろうか。潟さんは続けて喋っているけど、僕の耳にはあまり届いていなかった。正直、今はひとりになりたかった。
正式な侍従になった途端、淼さまの側にいられなくなった。代わりに潟さんがいつでも淼さまの執務室に控えている。
「それにしても『氷雨の釧』が直るとは思いませんでした。あれだけ粉々だった物を修復するとは金理皇上は流石です」
次から次へと語られる僕の知らないこと。
別に潟さんが悪い訳ではない。でも急に居場所をなくしてしまったようだ。折角、正式に淼さまの側でお役に立てると思ったのに……。下働きでも良いから淼さまの近くで役に立っていたかった。
こんなことなら、昇格なんてしなければ良かった。
そう思った瞬間、何かが背中をゾゾゾと這い上がっていった。鳥肌みたいだけど少し違う。蛞蝓があり得ないスピードで這うような……そんな気持ち悪さがあった。
すぐに気持ち悪さは落ち着いたけど背中に這われた感触が残っている。肘を曲げて肩を回し、背中の違和感を誤魔化した。
「雫さま……」
潟さんがためらい気味に声をかけてきた。でも待っても待っても次の言葉が来ない。何か変だ。水の王館に差し掛かったところで足を止めて振り向いてみた。
「どうしたんですか?」
「私が何かご不快なことを申したでしょうか?」
潟さんは眉を下げてあからさまに困った顔をしていた。さっきまで饒舌に過去を語っていたのに、突然そんなことを言う意味が分からない。
「今、理に反することをお考えになりませんでしたか?」
「え?」
僕が理に反する? そんなことしていない。
ちょっとだけムッとした。けど反論する前に潟さんが畳み掛けてきた。
「雫さま。もし私が何か気に障ることを申し上げたのでしたら謝罪いたします。どうかお考え直しを」
潟さんは完全に膝を付き、謝罪の体勢に入ってしまった。ピンとした姿勢が徐々に低くなっていく様子に慌てて腕を掴んだ。
「せ、せっ潟さん。どうしたんですか?」
腕を引っ張って立たせようとする。でもビクともしない。それどころか逆に腕を強く掴まれて少し痛い。
「雫さまの不軌を感じました。理への反逆とまではいきませんが、不服なことがございましたか?」
ドキッとした……というよりギクッかも知れない。直前に『昇格なんてしなければ良かった』と考えていた。これが理に反することになるとしたら……。
でも、良く考えればそうかも知れない。僕の昇格を決めたのは淼さまだ。その決定に不満を持ってしまった。
僕はもしかして理王に……淼さまに楯突こうとしたのか?
「……ごめんなさい」
「私への謝罪は不要です。が、お考え直し下さいましたか」
考え直すも何も、自分が何故こんなことを思ってしまったのか。淼さまの考えに反感を抱こうとしたことにショックだ。
潟さんはホッとしたように見える。立ち上がって前髪を軽く払った。
「雫さまは……私の発言で不愉快な思いをなさったのでしょう? 私は雫さまの護衛として長く側に仕えたく思います。今後のために差し支えなければお聞かせ願えませんか?」
潟さんが目線を下げてくる。顔は真剣そのものだ。その表情を見ているだけで、申し訳なくなってくる。
「潟さんのせいじゃありません」
深呼吸をして自分を落ち着かせる。潟さんは中に入りましょうと言って、水の王館の奥を指し示した。
階段を上れば僕の部屋だ。今、執務室に行っても淼さまはいない。思いきって僕の部屋へ潟さんを招いた。
移ったばかりの部屋だから誰かを招いたことはない。ひとまず部屋の真ん中の卓に着いてもらった。
「僕が悪いんです。僕が『昇格なんかしなければ』って思ってしまったんです。僕は淼さまに助けてもらったから恩返しがしたいんです。淼さまの側で役に立ちたくて……だから淼さまの側にいられる潟さんが羨ましくて、つい」
自分でも何故ここまでペラペラ喋っているのか分からない。淼さまへ反感を抱いたことへの罪悪感かもしれない。
潟さんは時々相づちをいれながらも、ほとんど黙って耳を傾けていた。僕は一方的にそこまで話すと、潟さんにお茶を出すために一旦席を外した。
慣れない場所にある茶器は取り出しにくかった。背が伸びたとはいえ、棚の一番上から下ろすのにガチャンッと派手な音を立ててしまった。
「安心いたしました。その程度のことでしたら不軌にはあたりません。御上の決定に不服でも理そのものを否定したわけではありませんので」
いつの間にか潟さんは隣にいて茶葉の缶を取ってくれた。手際よく給茶機や盆を用意して音も立てずに置いていく。僕より余程、侍従みたいだ。
「理への不軌は魄失に繋がります。お気をつけください」
「魄失っ!?」
以前教えてもらった魄失になる条件は三つあった。本来の寿命が残っていること、未練があること、それと理を変えようとしたこと、だ。
なるほど……理に従わないということは、三つ目の条件『理を変えようとする』に繋がる。
「……気を付けます」
二人でお茶を用意して卓に戻った。お菓子はないから空茶で申し訳ないけど、少しゆっくり潟さんと話が出来そうだ。
「雫さまは昇格したばかりでいささか理力余剰でございます。お気持ち次第ですぐに理力が動くでしょう」
僕の気持ち次第で理力が動くというのはどういうことだろう。さっきみたいな高速の蛞蝓が這う感覚だとしたら、出来ればもう味わいたくない。
僅かな沈黙のあと潟さんが手を下ろした。自分から少し離して茶器を置き、空いたスペースに組んだ手を置いた。白い手袋が濃茶色の机に良く映えた。
「雫さまは私のことを羨ましいと仰いましたが、私は雫さまを羨ましく思います」
「へ?」
間抜けな声が出てしまった。潟さんの口元は笑みの形だったけど、別に僕の返事を笑ったわけではなさそうだ。
「父・漣からいつも教えを受けているのですよね?」
「そうですね。理術とか剣術とか体術とか……あ、あと、政治とか歴史とか」
潟さんは軽く目を閉じて小さく二、三度頷いた。目を閉じると先生にますます似ている。潟さんが年を取ったら目が開かなくなるのだろうか。
「私が父から直接教えを受けたのは、子供の時分のみです」
「どういうことですか?」
まさか僕みたいに虐げられてたわけではないだろうけど、そう言う潟さんの顔は少し寂しそうに見えた。急に太陽が隠れたからかもしれない。
「私が子供の頃、父が理王に就任いたしました。理王経験者は王太子を教育するという理があります。いくら息子とは言え、王太子でない者を教えることはできません」
「そう……でしたか。それは寂しいですね」
潟さんも案外寂しい精霊なのかも知れない。話せて良かった。でなければ潟さんのことを良く知らないまま勝手に恨んでいたかもしれない。
「……まさかお気づきではない?」
「何をですか?」
潟さんは複雑そうな顔で僕を見て、何でもありませんという言葉とともにいつもの笑顔に戻った。
「潟さんとちゃんとお話しできて良かったです」
「……私も雫さまとゆっくりお話が出来て幸いです」
潟さんは座ったまま身体の向きだけを変えて、僕に手を差し出した。恐らく握手だろう。握り返すと結構な力で絞められた。
「お互い元理王の息子同士。仲良くしていただけると嬉しく思います」
次回は閑話(美蛇編)の最終話になります。




