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水精演義  作者: 亞今井と模糊
五章 木精継承編
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113話 嫉妬

「よし! あと十周!」

「ぜぇ……はっ……ひっ……」


 汗が目に入ってしみる。服も鉢巻きも湿っている。おそらく絞れるほどに。


 もう何周走ったか分からない。淼さまとの朝食後、久しぶりの先生の授業は……授業というよりもランニングだった。ただひたすら演習場を走っている。


 体力をつけたいと僕がうっかり口を滑らせたのが原因だ。言わなければ良かった、と少し後悔している。


「よろしい! 休憩」


 地面に倒れ込んだ。もう何も考えたくない。息をするのが苦しい。もういっそのこと息をしない方が楽なのではないかと思ってしまう。


 ようやく息を深く吸えるようになったのを見計らって、先生が氷飲器アイスグラスを差し出してくれた。喉がカラカラだ。


 水精が水分不足で倒れたなんて笑えない。ありがたく頂いた。


「途中でをあげるかと思ったがよく耐えたの」 


 帰って来てからも先生はやっぱり鬼教官だった。途中でやめたらもっとキツいしごきが待っていたに違いない。


「走り込みはここまで。午後は資料室で講義の続きじゃ」


 地面から身体を離すとズシリと重さを感じた。濡れた服だけではなくて、僕自身の身体の怠さが手伝っている。このまま午後の授業を受けるのは辛い。


「さて、では理術の訓練に移る」


 午前中まだやるの!? と声に出して言う勇気はなかった。座ったままで良いと手で示されたのがせめてもの救いだ。


「服は乾かせるな? 蒸発させた理力を回復に当ててみよ」

「えーと、水分を体内に戻すってことですか?」


 何か嫌だ。汗を体に戻すのは不衛生さを感じる。


「そうではない。まずは浄化じゃ。その上で空気中に送り出した理力を取り入れるのじゃ。そうじゃな……泉から生まれた霧を再び泉に取り込む感じじゃな」 


 分かりやすい例えがありがたい。先生の教えはいつも的確で僕に合わせて説明を変えてくれる。


 先生の言うように霧を泉に取り込むイメージをする。目を閉じて霧に包まれた涙湧泉を思い描く。泉の真ん中に渦を立たせ、そこから霧を吸い上げてしまう。一面真っ白だった景色が草の緑に変わった。


「見事じゃ。流石に飲み込みが早くなったの」


 目を開けると先生は満足そうな顔をしていた。それを見て身体が軽くなっていることに初めて気づいた。服も乾いているし、身体の怠さがない。この分なら午後の授業も問題ない。


「ここは王館じゃからの。理力は満ちておる。外で回復する際には泉のイメージを忘れるな」


 先生の声が少し優しい。最近、帰ってくる度に先生が厳しく、そして優しくなっている。さっきまで鬼教官だったのに今は慈愛に満ちた表情をしている。


「さて、そろそろ昼休憩にするかの。……せきも来るか?」


 先生が演習場の入り口に向かって少し大きい声を出した。顔をあげると潟さんが立っているのが確認できた。いつからいたのだろう。


「失礼します。授業の邪魔をしないようにと思いまして」


 潟さんは先生に軽く会釈を、僕に深々と頭を上げて挨拶をする。ボロボロの格好が恥ずかしくて立ち上がって服の乱れを直した。


「何か用か?」


 先生がせきさんに短く尋ねる。潟さんはチラッと先生を見たあと、僕に向かって少し腰を屈めた。


「雫さま、御上から伝言でごさいます。本日は王館に戻らないのでお食事は不要とのことでございます」

「え、は、はい」


 潟さんは僕の護衛らしいけど、そもそも理王の世話係に護衛はおかしい。だから正式な役職は水理王の近衛だそうだ。


 この数日、潟さんと会ったのは淼さまの執務室だけだ。食事の時も、呼ばれたときも、いつも潟さんが淼さまの側に控えていた。


 せきさんが淼さまの伝言を持ってきたのもずっと淼さまの執務室にいたからだろう。


 ちょっとだけモヤモヤする。大きく息を吸っても吸えていない感じだ。


「御上はいつ戻るのじゃ?」

「雫さまの出発前にはお戻りになるそうです」


 僕の出発ーー淼さまから雨伯のところへ行くように言われている。けど正装が出来上がってないのでそれを待ってからの出発だ。


「そうか。雫の装束はまだ出来んのか?」


 林さまのところで採寸をしてから、まだ三日ほどだ。そうすぐに出来るわけがない。


「仮縫いが終わったので、午後にでも試着に来て欲しいと先ほど伝達がございました」


 早い。林さまが自分で縫うと言っていた。まさかとは思うけど、また徹夜したのかもしれない。


「そうか。では雫、午後の講義はなしじゃ。木の王館へ行って参れ。せきも……分かっておるな?」 


 せきさんは軽く頷いてから人差し指で額にかかった前髪を払った。今日も白い手袋をしている。


「雫さま。午後より雫さまに同行いたします」

「え、護衛って……木の王館にですか? 大丈夫ですよ」


 流石に三回目だから行き方は分かる。うっかり金精二人を倒してしまったような問題も起きないと思う。王館内で護衛が必要だとは思えないし、何より潟さんと二人でいることに自信がない。


「雫よ。御上がそなたの身を案じてせきを付けたのじゃ。王館内とは言え油断するでないぞ。大人しく従っておくが良い」


 先生にさとされてしまっては従うしかない。潟さんは相変わらずニコニコしているけど、実際僕のことをどう思っているのだろう。


「さて、ではわしは御上が戻るまで執務室におる。何かあったら参れ」


 そう言うと先生は大きな水柱を立てて姿を消してしまった。一瞬で移動できる先生が羨ましい。


 潟さんと二人残されて沈黙が流れる。ひとまず演習場から出ると、潟さんも黙って付いてきた。気まずい空気が漂っている。


 いや、気まずいのは僕だけかもしれない。


 どうしよう、何か喋らなきゃ。


「イイテンキですね」


 不自然な片言になってしまった。それには何も突っ込まずに、そうですねと返されて、余計に気まずくなってしまった。


 


 ◇◆◇◆


 


せきじゃないか! 戻ったのか!」


 簡単に昼休憩を済ませて木の王館へ行くと、前に採寸をした部屋に通された。僕たちを見て開口一番、潟さんを歓迎した。


「お久しぶりです。木の太子」

「やめてくれよ、堅苦しい。君がいたときはまだ太子じゃなかったから驚いたろ?」 


 林さまはせきさんの肩をバタバタ叩いているけど潟さんは動じない。


「私が去ってすぐに太子になったと聞きましたが、いずれ勝ち取ると思っていましたよ」

「よく言うよ」


 二人は仲が良さそうだ。先生が教えてくれた話だけど、先生が理王だったとき潟さんも王館に勤めていたそうだ。だから結構知り合いが多いらしい。


 僕なんかよりもよっぽど王館勤めが長い。……何か息が苦しい。


「それよりも雫さまの衣装を」

「ん、あぁそうだな。雫、こっちに来てくれ。合わせてみよう」


 林さまに呼ばれて帳の陰に入る。林さまは目の回りに隈が出来ていた。また徹夜したに違いない。


たけゆきも大丈夫だな。キツいところがなければこれで仕上げるが、どうかな?」


 一段と豪華になった衣装はたもとが短く、より動きやすくなった。襟は詰めてあって少し苦しい気もするけど、こういうものなのだろう。


「大丈夫です。これでお願いします」


 指を二本襟元に突っ込んで喉に少しだけ余裕を持たせる。息苦しさが少しだけ紛れる気がした。

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