11話 理術復習
「気の理力 命じる者は 雫の名 理に基づいて 形をば為さん『水球』」
「白玉よ 命じる者は 雫の名 いざ類を呼べ 露と為りぬれ『水球乱発』」
「漂う気 命じる者は 雫の名 核をば作り 珠を磨かん『大水球』」
手のひらサイズの水球ひとつにそれよりも少し小さい水球が三十個ほど浮遊している。
でも大きい水球が見当たらない。失敗かなと思ったら、大きな水球が僕の足にまとわりついていた。西瓜ほどの大きさだ。
今日から一人で理術の復習を始めた。その理術がどういうものなのかちゃんとイメージできること。それと、詠唱を正確に暗記することがほとんどだ。
前ほど疲労感を感じたり、息切れしたりすることはなくなったけれど、それでも休憩が必要だ。疲れていることに気づかず、理術を使い込んでしまって気絶したことがある。
あの時は先生がいたからなんとかなった。今は一人なのだから自分で限界を見極めなければならない。
ちなみに先生はその時、淼さまからこっぴどく怒られたと文句を言っていた。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
先生は早くて一ヶ月で帰ってくる。だから半月で復習を終わらせて、その後の半月は淡さんと一緒に王館から出て外でも理術を練習してみる。当面の予定はこんなところだ。
淡さんが言うには、王館内は理力が満ちているから理術が扱いやすい。それに慣れてしまうと王館から外に出たとき初級理術すら扱うのも難しくなるらしい。
だからなるべく少ない理力で効率よく扱えるように練習する必要もある。
その前に一通りやってみたい。
大きく伸びをする。指南書の一冊目と二冊目は全て初級理術だ。種類は相当たくさんある。休憩を挟みながらだと、今日一日で終わる量ではない。
「よしっ! やるぞ」
顔を両手で軽く挟む。自身に気合いをいれるために軽く叩くと、その勢いでかどうかは分からないけど、先程の水球が全て弾けて消えた。それを横目に詠唱を思い出しながら練習を再開した。
それから数刻。
お昼休みを挟んだとはいえ、ひたすら理術を使いまくった。一冊にも満たない術数ではあったけど、疲労感でいっぱいだ。
よろよろしながら自室へ戻り、四肢を伸ばして寝床に倒れ込んだ。
数はこなしたけど精度が上がったのかどうかは怪しい。
まだまだだ。ただただ、繰り返し練習するしかない。
明日は、今日できなかった分と、初級理術を組み合わせる練習をしよう。僕はまだ上級理術は二つしか使えない。だから初級理術を組み合わせてカバー出来るように、先生からよく練習するように言われている。
例えば、水壁で作った透明な壁に氷盤で的を描いて、そこに水球を撃ち込むとか、大水球の中に氷球を作って、その中にさらに水球を作って、さらにその中に……といった練習だ。
比較的地味な練習だ。その割に、一度に色々なことをしなければならないので集中力が大切だ。
着替えもせずに寝床でうとうとしていたら、コンコンッとノックの音が聞こえた。控えめな音だ。気のせいかとも思ったけど、コンコンコンッと今度は三回聞こえたので、慌てて起きる。
僕の部屋に来る可能性があるとしたら淼さまか淡さんだ。
けど、淼さまなら僕を呼ぶだろうし、淡さんの可能性が高い。でもこの遅い時間に来るかな?
そう思いながら扉を開けると、僕の予想は外れていた。淼さまと淡さん、どちらでもなく、透明な魚が目の前で泳いでいた。口と思われる部分に紙を咥えている。
魚は体をしなやかに踊らせて僕の腕をつついた。受けとれということらしい。手紙のようだ。
「あ、ありが」
僕が手紙を受けとると、くるりと円を描いて、お礼をいい終える前に弾けてしまった。手紙は濡れたり湿ったりしている感じはしない。あの水っぽい身体でどうやって持ってきたのか不思議だ。
ひっくり返しても差出人は書いていない。ただどこかで見たことのあるような紋章が入っている。何の紋だったかちょっと思い出せない。
宛名も僕の名前は書いていない。おそらく淼さま宛だ。表面には淼さまの机の上にある書類と同じ紋章が入っている。
なんで僕のところに来たんだろう?
そう思いつつも封筒を開けようとすると、すでに封が開いていた。多分、淼さま宛の物を開けたあと、僕のところに送ってくれたのだろう。思い切って中身を取り出すと数枚の便箋が出てきた。いい香りがする。
「……母上」
十年会っていない母からの手紙だった。
『親愛なる我が子へ
貴方が王館にあがってから十年ほど経ちました。短い時間ではありますが、御上や皆様にご迷惑をおかけしてはいませんか?
貴方が健やかに、清らかに過ごせていれば母は安心です。
御上から近い内に一度里帰りさせるとのご連絡を受けました。母はとても嬉しく、貴方の元気な姿を見られるのを楽しみにしております。
しかし、ここまで来るのも穏やかでないかもしれません。母は心配しております。くれぐれも……くれぐれも用心して参るように』
「……母上」
いい香りだと思ったのは母の川の香りだったからだ。
便箋の下に持っていた封筒を改めて見直す。封筒の裏にある紋章。どこかで見たことがあると思ったら、母が使っていた紋章だ。
確か仲位以上になると紋章を使えるようになると言って、幼い頃見せてくれたことがあった。川を表す紋に位を表す印、そして……
ーーも、大きくナったラ
なんだ?
気持ち悪い。無意識に両腕をさすっていた。鳥肌が立っている。頭の表面がむずむずするような感じがして少し搔き毟った。
何だろう。優しい母の記憶なのに、何故か気持ち悪さを感じる。
「疲れたのかな」
手を額に当てる。疲れたのかな、ではなく確かに疲れている。きっと睡眠を欲していて気分が悪いのだろう。しっかり休んで明日も頑張ろう。便箋を封筒に入れると引き出しにしまう。
でも待てよ。これはもしかしたらあれが使えるかもしれない。
もう一度引き出しを開けて封筒を取り出す。
「守るもの 命じる者は 雫の名 壁をば合わせ 砦を造れ『水の箱』」
封筒を掴んでいる指を離すと同時に水の箱が完成した。大切なものをしまっておく理術だ。ちゃんと中に封筒がおさまっている。透けて見えるから入っているかどうかはすぐ分かるけど、取り出すのは難しい。
勿論、術者である僕はすぐに蓋を開けられる。隠すような手紙でもないのだけど、練習にはちょうどよかった。
それにしても、母上は何をそんなに心配しているのだろう。確かに僕は弱いけど、実家に帰るだけだし、淡さんが一緒に行って練習にも付き合ってくれると言う。
そんなに心配することないと思うんだけどなぁ。
寝巻きに着替え、寝床を整えた。体を潜り込ませるとあっという間に眠気が襲ってきた。もともと疲れていたから寝付くのは早そうだ。
……淡さんのご飯、今日も美味しかったな。淼さまは今ごろ何をしているのかな、お仕事終わったかな。そういえば先生は今どこにいるのかな。
周りの方たちのことを考えていたはずなのに、次に目を開けたときには、寝たときと同じ体勢のまま朝を迎えていた。
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