108話 月代のその後
母上、つい最近お会いしたばかりですが、お元気ですか?
僕は昇格したばかりで早速やらかしました。真名を軽く呼んで、気安く話していたのが金理王でした。先立つ不幸をおゆるし下さい。どうか末永くーー
「坊や。どうしたの?」
鑫さまの声で我に返った。うっかり心の中で母上に遺書をしたためてしまうところだった。玉座の近くに立つ鑫さまが怪訝そうな顔で僕を見ている。
すみませんと小声で謝罪をして顔を上げた。正面には録さ……いや、金理王さまが堂々たる様子で玉座に着いている。
「ん? 楽しい妄想の途中なら身共は待つぞ」
ブンブンと思い切り首を振る。決して楽しくない妄想だった。軽く鼻を鳴らす音がして笑われたのだと分かる。玉座は遠くて表情までは分からなかった。
「では改めて……余は第五十六代金理王である。仲位 水精 雫、近う」
さっき地味だとか思ってごめんなさい。低いお声に迫力があり過ぎです。近くに寄れと言われたのは良いけど、どこまで近づけば良いのか。
謁見など出来る身分ではなかったから分からない。淼さまにちゃんと聞いておくべきだった。
時間をかけてフラフラと玉座に近づくと足が勝手に止まった。動こうとしても動けない。
……なるほど。僕の立場で近づけるのはここまでのようだ。金理王さまの玉座が近くなり、顔も分かるようになった。
でも近くなったといってもまだそれなりの距離はある。竹箒を縦に十本くらい並べられるだろうか。
「この度の助力に感謝し、昇格を共に喜ぼう。水理王の委任を以て徽章をここに贈る」
肘掛けに腕を置いたまま、金理王さまが指をパチンと鳴らす。その途端、僕の服に少しの重みが加わった。服を下に引っ張られている感じがする。
重みに導かれるように視線を落とす。左胸の下の方に白銀の丸い徽章がぶら下がっていた。服に付けたまま手に取って見てみる。ずしりとした重さを感じる。
泉であること、仲位であることをそれぞれ示す印。そして恐らく中央に描かれている模様が僕の紋だ。さらに鮮やかな青い縁取りで加工されている。
「鉑製よ」
鑫さまがにこにことこっちを見ていた。鉑……まさか鋺さんの?
「残念ながら鋺の物ではないわ。彼女は残らず灰になってしまったから」
そっか、そうだよね。鋺さんはもういない。
「身共の故郷である庫場から取り寄せた。持ち主のいない鉑があったからな」
「縁取りは鈿がしたのよ。他はこなたが作ったけどね」
鈷は加工すると青くなるらしい。鈿くんはここにはいないけど今度あったらお礼を言っておこう。
「ありがとうございます。大切に致します!」
金理王さまと鑫さまは同じタイミングで一瞬視線を交わし、お互い微かに笑いあった。気が合うとはこういうことなのだろう。なんだか羨ましい。
「少し良いか?」
改めて徽章を眺めていると金理王さまから声がかかった。
しまった。うっかり見とれてしまった。用が済んだのだから本来ならさっさと下がるべきだった。でも金理王さまを見上げると退出を促すよりも少し話したい様子だった。糺していた襟元を少し緩めている。
「何でしょうか?」
「月代連山と貴燈山での出来事を語ってくれないか?」
二、三度ほど瞬きをしてから鑫さまを見ると真剣な顔で僕に向かって頷いた。
「勿論、太子からの報告は受けている。だが、太子は君たちと別行動だったんだろう? 身共は君からも詳しく聞きたい」
それもそうか。僕たちが貴燈に行っている間、鑫さまは月代に残っていた。
月代からの帰路で聞いた話だと、僕たちが貴燈にいる間、鑫さまはずっと鐐さんと対峙していたらしい。
他の合金は流石に鑫さまを襲うことはなかったらしく、遠巻きに見ているだけだったそうだ。
恐らくは、汞に思考を誘導されて、ただの姉妹喧嘩として認識していただろうと鑫さま自身が説明してくれたのだ。
「月代の地下への扉で水銀の煙に覆われたそうだな? そこではぐれたと聞いているんだが相違ないか?」
今思えばあの時鋺さんが息を止めろと言っていた。水銀の有毒な煙を吸い込んだら危険だった。今なら理解できる。早々に気づいてくれた鋺さんに感謝しなければならない。
「ごめんね、坊や。こなたも少し疑ってはいたのだけど確信がなくて……」
「いえ、鑫さま。鋺さんが助けてくれたので怪我もしていないですし、毒の影響もなかったですから」
その後の出来事について順を追って説明する。
鋺さんと逃げこんだドロドロの中に水銀が入り込んでしまったこと。
合金から水銀を分離するために沸ちゃんと滾さんの力を借りに貴燈山へ行ったこと。
貴燈山で鋺さんが本体の鉑を使用して水銀を倒したこと。
「水銀と戦っている間に鑫さまと合流しました」
そこまで話すと鑫さまはうんうんと二、三度頷いてから口を開いた。
「水精の坊やを危険な目に合わせてしまったわ。身内に甘くなるのは王太子として恥ね」
ごめんなさいと告げてくる鑫さまにこちらが恐縮してしまう。
「そ、それよりも鐐さん達はどうなったんですか?」
鐐さんは一緒に王館に連れてこられたはずだ。その後、一度も顔を合わせていない。それにあの時鈿くんが回収していた金精達もどうなったのだろう。
「鐐は……」
何かを言いかけた鑫さまを金理王さまが人指し指一本で制した。鑫さまは黙って下を向いてしまう。そのわずかな動きで金理王さまの意思を読み取れることがすごい。
僕もそういう風に淼さまの意思を読み取れるようになりたい。
「銀は蟄居とした。釛が王館にいる以上、月代の管理者が必要だからな。被害を受けた君にしてみれば厳罰でなくて面白くないかもしれないが」
さっきからすごく気を使われている気がする。そこまで気にしなくても被害という被害はない。怪我もないし、僕自身が失ったものは何もない。
「ちなみに他の奴らは王館でただ働きだ。文字通り身を擦り減らして勤めてもらう。本体が擦り減ってなくなるのが先か。それとも理力を使いきるのが先か。はたまた心を改めるのが先か。今後が楽しみだな」
金理王さまがすごく悪い顔をしているように見えたのは錯覚だろうか。でも月代の金精は、金理王さまのことを良く思っていないはずだ。そんな精霊たちを側に置いておいて大丈夫なのだろうか。
「そもそもは身共への謀反から始まったことだ。身共が混合精なのは知ってるんだろ?」
悪いことを企んでいる表情のまま、ちょっと軽い感じで聞かれる。何か試されているのかもしれないけど素直に頷く。
「身共は金精と土精の混合精でな。それについて君はどう思う?」
「え?」
どうと言われても……困ったな。助けを求めたくて鑫さまをチラッと見る。鑫さまもこっちを見ていたらしく目がバッチリ合った。
「御上は怒ったりしないわ。思うままに言って良いわよ」
口許に手を当てて小声でアドバイスをくれるのはありがたいのだけど、今のは全部、金理王さまに聞こえている。フッと鼻で笑う音が上の方から聞こえてきた。
顔を上げずに目だけを玉座に向ける。金理王さまの堂々とした様子に怯まずにはいられない。取り繕っても見透かされるだろう。それなら正直に言うしかない。
「ど、どう思えばいいんですか?」
「は?」
金里王さまは表情がコロコロ変わる。金の王館に入ってから金理王さまの色々な表情を見たけど、ここまで目を大きく開いたのは初めてだ。
怒ってはいないようだ。でも頬杖をついていた手が、顔から離れたまま固まっている。瞬きもせずに僕を見下ろしていて、目が乾きそうだった。
金理王の出身地、庫場の『庫』は兵『庫』県から。




