107話 金の王館へ
いつもと同じ風景のはずなのに、見える景色が違う。
残った荷物を一箱にまとめて離れを出た。でもやっぱり少し寂しくて、閉めたあともう一度覗きこんでしまった。忘れ物の確認と自分に言い訳をする。
「お世話になりました」
誰にともなくそう言ってみる。それで気持ちを切り替えて本館に足を向けた。いつもの癖で執務室に向かってはいけない。行くのは執務室よりも一階下の部屋だ。
何度も掃除をして見慣れたはずの廊下なのに何か変な感じだ。見え方が違う。漕さんに言われるまで気づかなかったけど、僕は背が伸びたらしい。昨夜から今日にかけて何度も頭をぶつけている。コブになってないか心配だ。
漕さんが言うには茶器一個分は確実に伸びているらしい。ということは頭に茶器を乗せていると思って行動すればぶつけないはずだ。そう言ったら漕さんに微妙な顔をされた。
目的の扉を視界にとらえる。手が塞がっているので装飾の多い扉を背中で押して入った。新しく与えられた部屋は、今まで過ごしていた部屋と広さはあまり変わらない。
けれど壁の装飾が増え、調度品の質が良くなっている。備え付けの家具の中には美術品かと思うような物がいくつかあった。触っても良いのだろうか。
落ち着かない上、配置が変わったのでスムーズに動けない。机から箪笥、箪笥から寝台、といちいちぐるぐるしてしまう。
机の上の長くて青い壺を倒さないように荷物をそっと置く。荷物整理は後だ。淼さまに言われたことを片付けるために慣れない部屋を出る。
まずは金の王館だ。この間行ったばかりだから場所は分かる。行き方も覚えているけど僕にとっては嫌な思い出の場所だ。またこの間の金精に会ったら嫌だ。ただ同じ場所だから会う確率は高い。頻繁に持ち場は変わらないだろう。
他の行き方は知らないから、そこを通るしかない。足取りが重い。そこの角を曲がればいるはずだ。
「あ」
やっぱりいた。前回と同じように、深めに帽子を被って白い服を着ている金精の警護だ。でも前と違って一人しかいない。大きく息を吸い、意を決して声をかけようとした。
「君が水理王の新しい侍従か?」
思ったより親しげな話し方だ。この態度の違いは前と違う精霊だからだろうか。それとも僕が仲位になったからだろうか。
「あれ、違ったか?」
前の悪い印象が強くて警戒しすぎていたのかもしれない。返事をするのを忘れて、逆に相手を警戒させてしまった。帽子を軽く持ち上げ、僕を良く見ようとしている。
「す、すみません。そうです。僕、水理王付きの雫って言います」
「左様か、良かった。身共が案内しよう」
そう言うと帽子を取って片手に持ちかえた。長い袖を翻しながら白い王館へ入るよう示される。
後に続くとカツカツという靴底の音が変わった。金の王館へ足を踏み入れたのだろう。
「身共は、鋼の録と言う。以後、よしなに」
後ろへ続く僕を振り返りつつ挨拶をしてくれた。鋼の精霊というだけあって帽子を取った頭は真っ黒な髪で覆われていた。
瞳の色までは確認できなかったけど、きっと黒っぽいのだろう。
録さんは、落ち着くといったら失礼だけど、そう思わせる雰囲気があった。
夜空の天ノ川のように煌やかさのある淼さまに、赤い小蛙花を思わせる焱さん。皆整った顔立ちをしてる精霊ばかりだけど、録さんは整っていても派手さはなくどちらかと言うと地味だ。
でも、だからこそどこかホッとするような気持ちになる。こちらこそと返す自分の顔が自然と緩んでしまうのを感じた。
「先日は警護が失礼をした。身共からも謝罪する」
「い、いえそんな録さんに謝っていただかなくても! それに僕も怪我させてしまったので……」
良くみると、録さんの真っ白な服は前に会った二人の金精よりも豪華だった。袖にびっしり金糸で刺繍が施してある。裾も長くて後ろから踏まないかヒヤヒヤだ。
「あれらは自業自得だ。身共からも罰を与えている。君は気にしなくてよろしい」
「そ……そうですか」
罰を与えたということは、あの二人の上司か何かなのかもしれない。そういえば服だけではなくて、手に持った帽子も羽が付いていて豪華だ。
「あぁ、それと月代への助力も感謝する。本来なら王太子だけで済ますことではあったが君がいてくれて助かったと聞いている。この場を借りて礼を言う」
「い、いえ、僕は何も……頭を上げてください!」
録さんは立ち止まって頭を下げ出したので、僕の方が驚いた。振り返った瞬間に録さんの袖が僕の鼻を掠めていったけど、そんなことはどうでもいい。
録さんには謝ってもらう必要もないし、お礼を言われることもしていない。
「左様か」
再び歩きだした録さんにホッとしながら付いていく。しばらく進むと白い服を着た金精数人と擦れ違った。書類の束を持ったり、食器を運んだり、皆忙しそうだ。
けれど僕たちが近づくと皆、端へ避けて頭を垂れた。その間を通るのは気が引ける。録さんは何も気にせずにどんどん先へ行ってしまうので、止めそうになる足を強引に動かした。きっと録さんはかなり上位の精霊なのだろう。
木の王館で木精に囲まれたのを思い出した。でもあの時と違ってじろじろ見られることはない。振り返ってみると、僕たちが通りすぎた後は何事もなかったかのように皆仕事へ戻っている。
首を元へ戻すと視線の先に豪華で重厚な扉があった。警護が扉の両脇にひとりずつ。それぞれ槍を持っているようだ。
「通る」
録さんが警護に声をかけると、二人とも槍の刃先を下ろし跪いた。それを合図に扉が勝手に開く。
録さんに付いて扉をくぐった。ついつい気になって槍の刃先ばかり見てしまう。あれで刺されたら痛いくらいでは済まなさそうだ。
「釛、連れてきたぞ」
視線を上げるとそこは謁見の間だった。水の王館と同じ造りだからすぐに分かった。ただ水の王館と違ってほとんどが白いので、それがより広さを感じさせる。
思わず天井を見上げると電飾がギラギラと輝き数秒と見ていられなかった。目を瞑って下を向く。すると聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、早かったわね」
ゆっくり目を開けると遠くから鑫さまがこっちに向かって歩いてきていた。相変わらず露出の多い服を着ている。寒くないのだろうか。
「坊やよく来てくれたわね。この間はうちのおバカどもが失礼したわ」
「いえ、鑫さま、その節は……」
僕こそ謝った方がいいのだけど、鑫さまが僕の手を握って左頬に接吻してきたので固まってしまった。
「あら、背が伸びたわね。接吻しやすいけど、こなた抜かれそう」
ついでに頭を撫でられる。確かに鑫さまと目線がほとんど一緒だ。焱さんにはまだまだ届かないだろうけど、鑫さまを抜かせるかも……と、王太子相手になかなか無礼なことを考えてしまった。
仲位になったからって調子に乗るんじゃない!
僕が自分を戒めている間に、録さんは歩を進めて奥へと進んでしまった。その様子を見て少しだけ冷静になる。
「そうだ、鑫さま。僕、淼さまに言われて徽章を受け取りに来たんですけど」
「えぇ、水理皇上から依頼があって出来てるわよ。金理王から渡すわね」
金理王さまから?
鑫さまが部屋の奥を示すと衣擦れの音が聞こえた。ちょうど録さんが長い袖を捌いて玉座に座るところだった。




