105話 幕開け
「それで? 何故こんなことになったのかしら?」
僕は今、金の王館のどこだか分からない一室で取り調べを受けている。顔を腫らした金精二人と少し離れているとはいえ、同じ席に着くのは非常に気まずい。
尋問するのが鑫さまなのが救いだけど、昨日別れたばかりの鑫さまにこんな形で再会するとは思わなかった。お疲れだろうに非常に申し訳ない。
「こ、こいつが急に暴れたんです!」
金精のひとりが声を上げた。僕を指差して向かいに座る鑫さまに訴えている。その内容は残念ながら嘘ではない。僕が良く覚えていないというのも不利だ。だけど多分暴れたのだと思う。辺りが水浸しだったから。
「そうです! 我々は立ち入りを許可したのに」
もうひとりも声を張り上げる。さっきまで王太子である鑫さまを目の前にしてガチガチに緊張していたのに、この変わり様はすごい。
立ち入りも許可されたから、こちらも嘘ではない。何とも肩身が狭い。
「坊や。今のは本当なの?」
「多分、本当です」
ここで嘘をついても仕方ない。嘘はバレるものだ。例え罰せられても正直にいたい。
「言い分があるなら聞くわよ?」
金精二人がチラチラとこっちを見ている。鑫さまが目の前にいるから大っぴらに睨んでくることはないけど、多分僕を威嚇している。
「騒ぎを起こしてしまったことは申し訳ありません。そちらの二人が水理王の悪口を言っていたので、つい」
敢えて淼さまではなく水理王と強調してみた。金精たちは一瞬息を飲んだようだけど、次の瞬間には怒りに満ちた形相で立ち上がっていた。帽子が脱げそうな勢いだ。
「っ貴様! 叔位の分際で仲位の我々を侮辱するのか!?」
「ま、全くだ! 初代水理王の庇護を受けているからって良い気になりやがって!」
金精の指先は僕の左胸に向けられていた。初代水理王の庇護というのは、この左胸の紋章のようだ。
これって庇護の意味だったの? 淼さま、気にしなくて良いって言いましたよね。
「座りなさい、二人とも。みっともない」
鑫さまに戒められてしぶしぶ席に着いたものの、二人とも納得いかない様子で鑫さまに言い縋る。
「鑫さま。水理皇上の悪口を言っていたのは我々ではなくこいつです」
は?
「そ、そうです。我らには水理皇上を貶す理由がございません。こいつが自らの王への不満を我らにぶつけて来たのです」
どうして僕が淼さまの悪口を言う必要があるのか。不満どころか感謝しかない。僕が戸惑って返答できないでいると、気を良くしたのか、金精はあることないこと鑫さまに語りだした。
僕が淼さまの悪口を言ってきたので聞いてやった。それから、水理皇上は素晴らしい方だと反論すると突然僕が暴れだしたのだと言う。
息の合った創作話にどうしたものかと鑫さまを見た。形の良い眉が痙攣したようにピクピク動いていた。
「坊や。それは本当かしら?」
多分怒っているだろうけど、表面上はそう見えない穏やかな声で僕に尋ねる。本当なわけがない。思いきり首を左右に振ると金精たちに鼻で笑われた。
「鑫さま。叔位ごときの言葉など信用するに及びません」
「左様でございます。この高貴な王館に低位精霊がどこから潜り込んだのやら」
潜り込んではいない。十年前に淼さまに連れてきてもらった。そう言い返したかったけど、水理王は何故、低位など連れてきたのかと、また言われそうだからやめておいた。
「なるほど、低位の言葉は信じるに値しないというのね」
鑫さまが改めて確認するように言った。すると、二人は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、すぐに鑫さまに頭を下げる。その隙に鑫さまが僕に片目を瞑ってみせた。
何か考えがあるらしい。鑫さまが僕のことを信頼してくれているのが分かってほっとした。
金精をうっかり倒してしまったのは事実だ。けど淼さまの悪口を言っていたなどという濡れ衣はごめんだ。
「ということは高位の言葉は信用できるのね?」
鑫さまがそう言うと二人の金精は顔を上げてもちろんですと言いきった。鑫さまは組んでいた長い足を下し、左を向いて声をかけた。
「鈿。入って良いわよ」
「はーい」
続き間から入ってきたのは金字塔だった。昨日別れた時とは服装が違う。服というよりも鎧だ。鋺さんを思わせるけど、鋺さんの銀色の甲冑に比べ、金字塔の鎧は金ぴかだ。電飾の光を反射して眩しい。
「おひーさま。持ってきたよー」
金字塔は小さな手に大きな銀色のお盆を持っていた。金字塔には重そうだけど意外と軽々持っている。お盆の上には黒い小さな巻物と装飾の多い鏡が乗っていて、落とさないように慎重に歩いている。
あの黒い巻物には見覚えがある。
「鈿。王館ではお姫さまじゃなくて鑫さまと呼びなさい」
「あ、そうだったー」
のんびりした会話に少し和んでしまった。その間に鑫さまが金字塔の耳元で指示を出している。何が始まるのか、多分金精たちも分かっていないだろう。二人で顔を見合わせている。
鑫さまがお盆から鏡を手に取った。手を翳して聞き慣れない言葉で短く詠唱をする。しばらくじっと見つめて、鏡を僕たちに向けた。
「その信用できる高位精霊の言葉がこれかしら?」
鏡の中には二人の金精と僕が会ってから、事件に至るまでの様子が鮮明に映っていた。どういう仕組みなのか知らないけど、金精が淼さまの悪口を言う声までしっかり再生された。
チラッと目線を送ってみた。金精は僕の視線を気にしてる余裕はなさそうだ。反論しているのか口をモゾモゾと動かし、目も所在なく彷徨っている。
鑫さまはそんな金精の様子を見て鏡をお盆に戻し、金字塔に指示をした。今度はお盆を鑫さまが受け取り、金字塔が黒い巻物を僕に持ってきた。両手で横持ちにして僕に差し出す。
「お兄ちゃん。これあげるね」
「あ、ありがとう。えーと」
受け取ってからなんて声をかけようかと迷って変な間が空いてしまった。金字塔くんと呼ぶのも失礼な気がする。金字塔ちゃんも変だ。そもそも役職に敬称を付けることがおかしい。
「鈿って呼んでいいよ!」
「ありがと。鈿くん」
僕より小さいけど相手の方が位が上なことを考えると、『鈿さん』の方が良かったかもしれない。うっかり『鈿くん』と呼んでしまったけど、嬉しそうな様子を見ていると訂正できない。
金字塔、改め、鈿くんが隣に戻ったタイミングで鑫さまが立ち上がった。
「さて、今回の同行に深く感謝いたします。水銀による一連の騒動がひとまずの解決を見たのは、雫殿の尽力があったからに他なりません」
言葉が急に丁寧になって戸惑った。僕たちは見下ろされる形だけど不思議と威圧感はなく、代わりに澄み切った空気に包まれる。鑫さまの丁寧な言葉遣いがそう感じさせるのかもしれない。
「水理王から褒賞が出ておりますので受け取りを」
鑫さまは黒い巻物を指さしながら再び腰掛けた。足を優雅に組んで服の裾を直している。
「金精からの依頼なので、金太子から渡した方がいいだろうって水理皇上がこっちに回してくれたのよ」
いつもの口調に戻った鑫さまに開けるよう促され、小さな巻物の細い紐をほどく。前に同じような巻物を貰ったのは美蛇を倒した後だった。あの時は開きもせずに受けてしまったけど、何が書いてあったのか、今となっては分からない。
「僕も見たーい。見せて―」
鈿くんがのんびりした声を上げながら僕の側に寄ってきた。半分ほど開いた巻物を持つ僕の手を押さえる。自分の見える高さまで下げると、少し眺めてすぐに僕の顔を見上げてきた。
「読んでー」
あ、字が読めなかったのか。
「いいよ。えーとね」
僕もまだ見ていない。ゆっくり開きながら内容を音読する。月代での功績を称えるとか、品位と教養が相応しいとか、恥ずかしくて痒くなってしまいそうなことが書いてある。
淼さまが褒めてくれるのは嬉しい。嬉しいけど、どうして皆の前でそれを発表しないといけないのだろう。
「『従って、理の定めるところにより第三十三代水理王が命ずる。叔位の涙湧泉・雫を仲位に昇格とす……る』?」
頭の奥の方で細流が聞こえる。けれど耳を澄ますと、それは誰かが啜り泣く声のように聞こえた。
ここまで読んで下さってありがとうございます!
やっと雫が高位の仲間入りをしたところで四章終了です。
免のこと、鉄の鍇のこと、病床の木理王のこと、混合精の金理王のこと、まだまだ解決していないことがたくさんあります。
徐々に明らかになりますので、その過程も楽しんでいただければと思います。今しばらくお付き合いくだされば幸いです。




