104話 頑固な雫
「悪かったの」
雫が執務室から出ていくと師匠がすぐに謝ってきた。さっきまで遠方から来た孫でも愛でるように、雫に菓子を与えていた姿はどこへ行ったのか。謝っている割にはこっちを見ていない。
「何がです?」
謝られるようなことをされた覚えはない。それとも私の知らないことで何か後ろめたいことがあるのか。
「玄武伯……お父上のことじゃ。そなたの前で配慮がなかったの」
あぁ、父の話か。
「父よりも、免とやらが雲泥子のことを知っている方が気になりますね」
先ほど雫に渡した水晶刀は私の私物だ。王太子就任の際に父から贈られた物だが、あれは母の形見だ。
免は水晶刀を見て雲泥子の物だと判断したと言う。水晶刀は当代水理王の私物だと皆知っているが、実際は母譲りの物だ。そこまで分かっている者はほとんどいない。
「美蛇との関係も気になるしの。ひとりで合成理術を使うというのも分からん」
水銀の孤独につけこみ、混合精の金理王に不満を持つ月代を混乱に陥れた。目的は何なのか知らないが、その理由では私は裁けない。
水精の管理する場所ではないから、裁くのは金理の仕事だ。
「金理と鑫の関係も知れ渡っているとはのぉ」
「そうですね。慎重だったのですが」
鑫は金理と想い合っている。しかし鑫はわざと他の者に言い寄ったり、気があるような素振りを見せて、金理との関係を隠すこともあった。
おかげで水理王と交際しているなどという噂が立ったことも一度や二度ではない。まぁ、放っておけば七十五日と待たずに噂は消える。真実は王館の者しか知らない……はずだった。
「当代金理王は混合精だという理由だけで王太子時代から反対派が多かったからの。即位の際、釛が王太子につくことで反対派を黙らせたのじゃ」
それは私も知っている。当代金理王は金精と土精の混合精だ。所属は金精だから金理王になっても問題ないのだが、一部の金精はそれを認めていない。
その点、月代の釛ならば誰もが認める。いや、認めざるを得ない。その鑫が理王に絶対服従の姿勢を見せることで不満を抑える狙いがあったんだろう。
しかしその鑫が金理王と交際しているとなれば話は変わる。説得力がない。責務より自身の欲求を優先したとなれば金理だけではなく、鑫に対しても不信が生まれる。
「鑫のことです。身内だからと口を滑らすようなことはないと思いますが」
返答がないので不思議に思って顔を上げると、師匠は腕組みをしたまま静かに息をしていた。目はいつものことながら開いているのか怪しいが……もしかして居眠りか?
「いずれにせよ。その免、雫に目を付けたかもしれんの」
寝てはいなかった。疑ったことは秘密にしておく。確かに逃がした以上、免はまた現れるだろう。ずいぶん手の込んだことをしているようだからすぐには現れないだろうが。
雫の顔を覚え、わざわざ名を確認してきたらしい。あれだけの純粋な理力だ。狙われてもおかしくはない。何か対策を考えなくてはならない。
「外出を禁止にし……」
「護衛を付けるか?」
私の言葉にわざとぶつけたとしか思えないタイミングだった。ちょっと睨んでやった。
「王館から出さないと言うのもひとつの案ではあるがな。王館にいるべき御上が留守にすれば結界が弱まる。それにわしや焱がいつも付いていてやれるとは限らん」
数ヶ月前のことだ。浴室を掃除中に蛇に襲われたと言っていた。理王である私が王館を離れたときに、結界が弱まったのだろう。その隙間を縫って侵入してきたに違いない。
あの時は『ただ一滴の雫』そのものを結界で守っていたから大事には到らなかったが、もう雫は泉に戻っている。あの時とは事情が異なる。
「護衛と言っても信用できる者がそう簡単には……」
「それはわしが選定する」
急に積極的になった漣にこちらが動揺する。あれだけサボり……元へ、のんびりしたいと言っていた爺がどういう風の吹き回しだ。しかし護衛と言っても高位精霊ならともかく……。
「叔位に護衛は流石に」
「その書類は何じゃ?」
急に話が変わった。絶対に見えていないはずなのに、私の手元を指さす。
「話を変えないでください」
「変わっとらんじゃろ?」
この爺。全部、お見通しか。
「先ほど漕に渡したのは貴燈の温泉双子への褒賞じゃろう? 今回の騒動への協力にタダ働きとはあっては理王の名が廃るからの」
全て見透かされているようで悔しいが仕方ない。この爺も理王経験者だ。どういうときに裁き、どういうときに賞するかはこの爺に教わった。
「姉・知上温泉には温度負担十年分、弟・愛下温泉には温度負担二十年分の沸騰石を下賜しました」
与えた褒賞を念のため漣にも提示しておく。もう与えてしまったから駄目だと言われても取り消せないが、漣なら理王の決定に文句は言わないだろう。
姉は場所の提供、弟はそれに加え実戦への助力分多くした。煬の休眠中は温度維持が難しい。沸騰石があればその分温度管理は楽になるだろう。
弟の方は雫を庇って怪我をしたとも聞く。私の気持ちとしてはもう少し与えてやりたいが、これ以上は不相応だ。
「妥当なところじゃろう。となれば雫も賞されて然るべきじゃな」
雫は金の太子から同行を正式に求められている。その上での今回の事件だ。解決はしていないが、月代の解放には雫も携わっている。
「金精に限らず我々水精とて水銀は苦手だ。にも関わらずわざわざ雫を行かせたのは、鑫に頼まれたから、というだけではあるまい?」
悔しいほどに見透かされている。今回は敢えて危険な相手に向かわせた。お守り代わりとして水晶刀は持たせたが危険なことに変わりはなかった。
「急いだ方がいいぞ? 体裁を気にする錆びた金精どもに何を言われるか分からんからの」
私は何を言われても平気だが、雫はそうはいかないだろう。素直なのは変わらないが、最近だんだん頑固になってきた。
爺の思い通りになるのは少し癪に障るが、送り出したばかりの漕を呼び出すことにした。精霊使いが荒いと文句を言われそうだ。
◇◆◇◆
次の日。
言われた通り例の服を着て欠けてしまった判子と封書を受け取った。水晶刀も腰に挿す。
金の王館までの道は教えてもらったけど、行ったことのない場所なのでちょっと不安だ。書いてもらった地図を頼りに長い廊下を歩いている。
隣の王館なので外に出なくても行けるらしい。周りが白くなったら金の王館だと言われたけど、窓から見える外壁はまだ黒かった。
地図を回したり、ひっくり返したりしていると角を曲がったところで二人の人影が見えた。ちょうどいいので尋ねてみようと、片手を上げかけたところで槍を交差された。
「え、えーと」
「叔位の水精と見えるが何用だ」
無抵抗を示すために、地図を持ったまま両手を上げた。二人とも深めに帽子を被っていて髪の色も目の色も分からないけど、同じような白い服を着ている。
「ここから先は金の王館だ。身の程を弁え……ん?」
二人の後ろの壁は白くなっていた。なるほどここから先が金の王館のようだ。ということはこの二人は金精だ。簡単には通してくれそうにない。どうしたものか。一回戻ろうか。
「っちょちょちょっと待て! 貴様、何者だ!?」
「え? 僕?」
片手で自分を指差してみる。貴様以外に誰がいるんだ! と怒られてしまった。もうひとりがすぐに同じ質問をしてきた。
「僕は雫って言います。えーと判子の修理をお願いに行くんですけど」
「判子?」
地図と一緒に手に持っていた判子を見せた。渡そうかと思ったらすごい勢いで後ずさってしまった。
「貴様。それはまさか水晶刀か?」
もうひとりの方は少し冷静だった。淼さまの水晶刀はそんなに有名なのか。そうだと告げる複雑そうな顔をしている。叔位が持っていて良い物ではない。僕もどうかと思う。
金精は僕のことをじろじろと見て左胸の紋章で目を止めた。ゴクッと唾を飲み込む音が聞こえる。見ているのは初代理王の紋章だ。
「通れ」
「お、おい、良いのか?」
あまりにあっさり通れた。退がってしまった金精が僕の気持ちを代弁してくれる。
「仕方ないだろう。水理王の使いなら」
道を開けてくれた。ちょっとだけ頭を下げて通り抜ける。慣れない白壁は眩しいけど少しホッとした。
「叔位の分際で良い気になりやがって」
あ、陰口言われてる。でも別に何とも思わない。例えばこれが、淼さまとか焱さんとかに言われたのだとしたら、立ち直れない自信がある。
けど僕のことを良く知らない精霊にそう言われても全然平気だ。僕もずいぶん神経が太くなったものだ。
「水理王も何故このような雑魚を寵愛しているのやら」
「全くだ。そういうご趣味なのかもな、ンヒヒッ」
淼さまの悪口を言っている。そう認識した瞬間、頭が沸騰した。目の前が壁の色ではない白さで埋まり、気づいたときには二人とも床と仲良くなっていた。
明日も11/10(日)更新します。
次話で四章完結です。




