103話 師と理王と雫
「合金相手でよく無事だったのぉ」
王館に帰って来た。鑫さまに水の王館まで送ってもらい、鑫さま自身は金字塔を連れて一瞬で金の王館へ戻っていった。後日また来ると言っていたから、落ち着いたら会えるだろう。
久しぶりに入る執務室には淼さまだけではなく先生もいた。僕たちが帰ることを知っていたらしく、大袈裟なくらいに帰館を喜んでくれた。
「水銀が大きな悪さしたという記憶はないが、その気になれば金精にとっても水精にとっても脅威じゃ」
よく無事だったと繰り返す先生は、いつもと違って次々と僕にお菓子を差し出してきた。やっとひとつ食べ終えたときには目の前には焼き菓子の山が出来ていた。
「でも鋺さんは……」
僕は無事だったけど鋺さんはもう戻ってこない。この部屋から一緒に出ていったのに。
「金亡者は罪を償ったんだろう」
淼さまが執務席から声をかけてきた。安楽椅子を薦めたけど、動こうとしなかったので仕事が忙しいのだろう。
犯した罪と罰のことは鋺さん本人から聞いている。そう伝えると淼さまはゆっくりと瞬きをしてため息をついた。目が疲れているのか指を瞼に当てている。
「金亡者は傷つけた金精と同数の金精を救わないと死ぬことが出来ない、という付則を受けていたからね」
そう言いながら冷めたお茶をちょっとだけ雑に啜った。すぐに執務机に目を落とし、書き物をしている。最近はそこまで忙しそうには見えなかったのに、急ぎの書類でもあるのだろうか。書類は数枚程度に見える。
「最終的には金字塔が金精を回収したそうじゃが、鋺も救い手と見なされたのじゃろう」
先生が静かに語る。月代の金精は数が多いから、それで今回罪を償いきれたのだろう。
「半死半生の内は、例え本体が砕け散っても時間が経てば再生する。金字塔が誕生したのも鋺が死期を悟ったからじゃろうな」
硝酸生成という理術を使った後、再生に時間がかかると言っていたのはそういうことだったのか。
傷ついても死ぬことすら出来ないとは、それはそれで苦しそうだ。確か、死を迎えていないのは始祖の精霊と鋺さんくらいだとも言っていた。周りの精霊と多くの別れを経験してきたはず。
だから罰なのだろう。半死半生という罰には苦しみも悲しみも詰まっている。
「そうだ、先生。始祖の精霊っていうのは何ですか?」
鋺さんが言っていた言葉が気になっていた。先生は茶器を口に付けたままチラッと淼さまを見た。でもそれは一瞬だけで、すぐに僕に視線を移した。目が開いているのかどうか分からなくても、視線が分かるから不思議だ。
「始祖の精霊とは名前の通り天地開闢……分かりやすく言うと精霊界を作った方々のことじゃ」
精霊界を作った?
「その時が来たら詳しく教えるが、少しだけ教えてやろう」
先生の態度が完全に指南役状態に入ってしまった。質問したのは僕だ。真面目に聞かなければ失礼だ。
「始祖の精霊は全部で十二名おる。それぞれの属性に二人ずつと光と闇に一人ずつじゃ」
「光と闇? そんな精霊がいるんですか?」
聞いたことがない。五属性に分かれているとばかり思っていた。いるなら会ってみたい。けれど僕の質問に先生は首を横に振った。
「今はおらん。光と闇はそれぞれ昼と夜を生み出し理力を使い果たした」
何気なく一日を過ごしているけど、その二人の精霊のおかげで昼夜があるわけだ。それなのに全然知らなかった。すごく申し訳ない気がする。
「残り十名の内、五名は初代理王。他の五名は土の黄龍、火の朱雀、金の白虎、木の青龍、水の玄武のそれぞれ大精霊じゃ」
ゴトンッと音がしてビックリして肩がはねてしまった。淼さまが重厚な判子を机の上で取り落としたらしい。
「失礼」
判を押すのに失敗したらしく、紙を一枚小さく折り畳んでゴミ箱に捨ててしまった。淼さまにしては珍しい。
「階級は伯位じゃが、大精霊には理の例外がある。まぁ、あとは歴史の授業の時にでも教えてやろう」
理の例外というのが気になる。けれど、先生がチラチラと淼さまを気にしているので、何か不都合があるのだろう。今はこれ以上、掘り下げない方が良いかもしれない。
「そうじゃ。例外と言えば」
聞かないでおこうと思ったのに、今度は先生から話を振ってきた。突然思い出したというより、話を変えたい雰囲気だ。
「例外の魅力……救済者 免と申したか」
先生が腕組みをしてじっと固まっている。王館を出てから帰って来るまでのことは、全部話してある。月代で合金に襲われて、貴燈へ逃げて水銀と戦って、それからまた月代に戻って免と会って……。色々あって僕も頭の整理が必要だ。
「そんな名の精霊は、古今東西聞いたことがないの」
鑫さまもそう言ってたし、免自身が仮名だと宣言していた。人型だったから真名は別にあるのだろう。
「水銀を裏で動かし、煬を襲って銅を固定。となると水銀を仕込んで辰砂を構成し、壁を崩落させたのも免であろうな」
僕が辰砂――賢者の石を見たのは、多分煬さんに連れられて噴火で昇っていくときだ。その時から仕組まれていたということだろうか。
「免は美蛇のことも知っておったのじゃな」
先生の言葉に頷いた。免は僕の顔を見て美蛇に似ていると言った。ちょっと、いやかなり嬉しくない。
「そこも繋がっておるのか、それとも試されたか……」
「試された?」
「雫が流没闘争終結に一役かっているのは多くの精霊が知っておるからの。美蛇との繋がりを示すことで牽制した可能性もあるが」
ダンッと音がして茶器を落としそうになった。淼さまが判をゆっくりと持ち上げている。そんなに力いっぱい押したら机が壊れそうだ。
「漕。ここへ」
淼さまが指をひと振りすると水球が現れた。そこから漕さんが飛び出してくる。久しぶりに見た姿にホッとする。淼さまがいて、先生がいて、漕さんがいて……帰ってきたことを改めて実感できる。
「これとこれを貴燈の水精に届けて、帰りに華龍河に寄って、清どのが免を知ってるかどうか確認してくるように」
淼さまが紙を数枚漕さんに渡し、早口でそう告げた。漕さんはこっちには来ず、またすぐに水球に入っていってしまった。ちょっと忙しそうだ。
「雫」
「は、はい」
今度は僕が呼ばれた。慌てて茶器を置いて近寄ると、淼さまはさっきまで使っていた判子を持ち上げた。
「今日は疲れているだろうから、もう下がって休むと良い。明日、金の王館へお使いを頼んでいいかな。修理を頼みたい」
修理?
判子を見ると持ち手の細工に少しヒビが入っていた。さっき落としたせいか、それとも思い切り押したせいか。
「それとこれも持っていって」
淼さまは返したばかりの水晶刀を机の上にコトリと置いた。
「僕。もしかして水晶刀、壊しましたか?」
背中を嫌な汗が流れていく。まずい。水晶刀は淼さまの私物だったはずだ。
先生の茶器を置く音が、ずいぶん遠くの方で聞こえた。
「壊れてはいないよ。それが壊れた時には土理に頼む。刀は修理じゃないけど、まぁ持っていくといい」
淼さまの言っていることがよく分からないけれど、壊れていないなら良かった。腰に挿しておくように促されたのでそれに従う。
「その格好をしていけば、必要ない気もするがの」
先生ののんびりした声に振り向いた。改めて自分の格好を見る。帰ってから着替えていないので、まだ紋章が四つ刺繍された豪華な服のままだ。
「そういえばこの左胸の紋章ってどなたの物ですか?」
着用したままではよく見えなかったので、実は月代の鏡でこっそり見てみたのだけど、結局誰の物かは分からなかった。母上や淼さまのものなら分かるから、別の方のものであることは確かだ。
「あぁ、それはまぁ気にしなくてもいいけどね」
気にしなくてもいいと言われても、確か理王の紋章だと鋺さんが言っていた気がする。
そう言うと淼さまは楽しそうにフッと笑った。嫌な予感がする。
「初代水理王の紋章だよ」
あぁ……聞かなければ良かった。




