102話 二つの別れ
前話までの鑫の一人称を変更しました。
免が動かない内に焱さんが走ってきた。一方、鑫さまは槍の柄で鳥籠を引っ掛け、鈷の元へ駆け寄っていく。
「お前ら無事か? 無事だな!」
ひとりで聞いてひとりで答えを出した焱さんに返答する暇がない。僕たちの様子を軽く確認すると、すぐさま免を正面に向きを変えた。
少し遅れて鑫さまと鈷も合流する。鈷の背は雨伯くらいだろうか。男の子か女の子か分からない。頬を包むような銀白色の髪に、大きくて澄んだ青い瞳をしている。服も同じような銀白色で腰のベルトだけが青い。
片手は鑫さまと繋いでいて、反対側の小脇に何か抱えている。ぬいぐるみでも抱いているのだろうか。
「皆……ま……ご無事で」
鋺さんの声がした。途切れ途切れだけど鋺さんの声で間違いない。良かった、生きていた!
「金亡者、ごめんなさい。失敗しちゃった」
鈷が小脇に抱えていたのは鋺さんの頭だった。肩から腕まではちゃんと繋がっていて、腕はズルズルと引きずられていた。
小さな手で脇から両手に持ち直し、申し訳なさそうに話しかけている。鑫さまは鳥籠を鐐さんに預け、狭い背中を撫でた。
「気にしないで、鈿。いきなり『墓送り』は難しいわよ」
そうだった。さっき鈿と名乗っていたのを忘れていた。名が付いたから人型になったのだろう。
「最期の最期で金字塔へ理力の譲渡とは、金亡者の執念を感じますね」
免が起き上がっていた。パンパンと服の埃を払っている。後ろの柱は少し凹んでいるけど、免自身はまだまだ余裕そうだ。
「金精を頂いていこうかと思いましたが、これ以上の長居は無用ですね」
免の影が不気味に広がって、服と同じ深い灰色に変わっていく。
「二の姫さま、お約束通り四の姫さまはお返ししました。身体の損傷が激しいのでこれで退かせていただきます」
免は一見紳士的に見える動作で腰を折る。今日、何度も胸に手を当てる仕草を見たけど今が一番ぎこちない。少しだけ腹を擦ったように見えたから、もしかするとまだ痛むのかもしれない。
「興味深い水精にも出会えたことですし、伺った甲斐がありました」
「くそ!」
焱さんが弓を手にした。矢は効かないはずなのにと思っていると、焱さんは矢ではなく小さな瓦礫を撃ち込んだ。多分柱か壁の一部だったものだ。
小さなといっても片手で持てるギリギリの大きさだ。勢いよく放たれた瓦礫は免の顔を傷つけた。顔から血を流しているけど僅かに避けたようだ。
「っ……なるほど。理力を用いない直接攻撃ですか。やられました。これ以上、この身体を傷つけるわけにはいきませんので失礼します」
「待て!」
免が床に沈み始める。灰色の影の中にズブズブと沈んでいく。焱さんと鑫さまが床を蹴って飛び出したけど、免が沈み込む方が速い。多分追い付けないだろう。
もうすでに首から上を残しているだけだ。免の視線は焱さんでもなく鑫さまでもなく、まっすぐ僕に向いていた。
ーーまたお会いしましょう。
目だけで笑ってそう告げられた気がした。不思議と嫌悪感はない。
焱さんたちが着いたときには頭の先まで見えなくなってしまった。灰色の影が消えて床が本来の色に戻る。
「逃がしたか」
「掻き回すだけ掻き回したわね」
鑫さまが投げた槍は一歩遅れて免がいた場所に突き刺さった。今までそこに何もなかったかのようだ。広い広い舞踏場に僕たちの呼吸音だけが聞こえている。
「おひーさま。金亡者が消えちゃうよぉ」
幼い声にハッして振り向く。免に注目していたせいで鋺さんのことをしっかり確認していなかった。
軽くなってしまった鋺さんを鐐さんが受け取る。滾さんから金属片を除いたように鐐さんなら治せるかも知れない。
しかし鐐さんは僕をチラッと見ると、静かに首を左右に振った。
「鑫さ……そこ……いらっしゃ……か? 金亡者の権……によ……金字塔……託します」
鋺さんはもう見えていないのか、首は動かさないままで離れたところにいる鑫さまに向かって手を伸ばす。伸ばした指先からサラサラと灰になって床に散っていく。
「鋺さん!」
崩れる指先を止めたくて鑫さまに伸ばした手を掴んでしまった。でも僕が掴んだところで崩壊が止まるわけでもなく、握った手の感触がみるみるなくなっていく。
「あぁ……雫……ま」
鋺さんが僅かに首を動かした。目は見えてなさそうだけど、なんとか僕の気配を探してくれたようだ。
「短……間、おせ……にな……」
「鋺さん、鋺さん!」
どうすることも出来なくて名前を呼び続ける。呼んだら逝かないでくれるかもしれないと淡い期待を込めて。
握る手に力を込めたら遂に手がなくなってしまった。追いかけるように腕を掴む。
「雫さ……貴方は……父……」
「鋺さん、もう喋らないで! 一緒に帰ろう」
出会ってからの期間は短い上に属性も違う。もちろん性別も違うし、年齢だってかけ離れている。けれど一緒に王館から出て、一緒に汞から逃げて、一緒に戦って、それでここまで来た。だから一緒に帰る。絶対一緒に。
「……理王に……」
鋺さんの腕が崩れてなくなってしまった。反対側の腕は鐐さんが握っていたらしく、そこから手を伸ばして支えるように頭の後ろに手を添えている。
「錺……やっと」
そこからあっという間に顔の冑がなくなって骸骨が露になった。もちろん初対面の時の驚きはないけど、次の瞬間には骸骨ではなく、皮膚のある人型の顔が現れた。
くすんでいた金髪は艶が出て、肌も瑞々しく輝いている。若い女性のようだけど結局その状態も長くは続かず、あっという間に灰になった。
鋺さんがいなくなってしまった。
手の平に溜まった灰がそれを現実として認識させる。じっと見つめることしか出来ない。
「お兄ちゃん、それ僕にちょうだい?」
金字塔に話しかけられた。僕の手を……正確には手に溜まった灰を見つめている。
「こ……れ?」
うまく声が出なかった。けれど聞き返したのは伝わったらしく、小さく頷きを返された。
「金字塔が金亡者を受け継ぐために必要なのよ。渡してあげて」
鐐さんに言われるまま金字塔の小さな手に灰をサラサラと移していく。金字塔は手を口元まで持っていくと灰を吸い込んでしまった。
驚く僕の肩に手がかかった。いつの間にか鑫さまが戻って来ていた。
「鑫さま」
「鋺は心配しなくていいわ。鋺はやっと解放されたのよ」
焱さんはまだ免がいたところを調べていた。確かに僕も気になる。
「おひーさま、終わったよ」
「そう。じゃあ王館に戻らないとね。金理王の正式な任命を受けなくては金字塔を名乗れないわ」
金字塔はまだ仮か暫定のようだ。そういえば金字塔が回収した金精はどうなったのだろう。鍇さんも鳥のままだ。まだまだ解決していないことがたくさんある。
王館に行くと聞いて金字塔は急に落ち着きがなくなった。鑫さまは月代の出身だから馴染みがあるとしても王館となると話は別だ。緊張するのだろう。何だか気持ちが分かってしまう。
「鈿。月代の男ならシャンとしなさい」
金字塔は男の子だったらしい。鑫さまに背中を軽く叩かれると指先までピンと張って背筋を伸ばした。
「駄目だな、痕跡がない。俺も王館に戻る」
焱さんが戻って来た。免の跡には何もなかったらしい。結局免は何者なのだろう。淼さまか先生なら分かるだろうか。帰ったら聞いてみよう。
焱さんは王館に戻る前に滾さんを送っていくと言う。滾さんとはここでお別れだ。あまりゆっくり喋れなかったから、今度はゆっくり話したい。
そう伝えたら真っ赤な顔をして目を逸らされてしまった。
「さぁ、ひとまず帰るわよ。鐐も来なさい」
鑫さまに促されて月代を後にする。広い舞踏場には誰も残っていない。あちこち破壊されて異様な雰囲気を醸し出していた。




