101話 金亡者から金字塔へ
免は僕を見据えたまま槍に貫かれた。鑫さまが波乗板から槍を投げつけたのだ。
槍は免の体を突き抜けて後ろの床にまで届いている。免は自分の腹から出ている槍の柄に手をかけると、ひと撫でして灰に変えてしまった。
「お返ししましょう」
免の右手には似たような槍が握られていた。鑫さまの物よりも少し短い槍だ。免は槍を一瞬宙に浮かせて握り直すと鑫さまに向かって投げつけていた。
逃げ場のなかった鑫さまは一瞬で盾を構成して防いでいた。だけど、僕の波乗板が小さすぎて、動きが取りにくい。波乗板の周りは火砕流に囲まれていて危険だ。
徐々に冷えてはいくだろうけど悠長なことは言っていられない。焱さんが鑫さまの元へ駆け寄るのが見えた。それを見た免が腕を大きく振る。水壁が焱さんの行く手を阻んだ。
「っ!」
水壁の直前で止まった一瞬を逃さず、焱さんは四方の水壁に閉じ込められた。何か言っているみたいだけど聞こえない。
「焱さん!」
僕が駆け寄ろうとするとグッと服の後ろを掴まれた。鐐さんが倒れた滾さんに手を添えながら、もう片方の手で僕を抑えていた。振り向いた僕の腕をさらに強く引っ張る。
「待って。救済者は全属性の理術を使うの。雫が行っても……」
「よくご存じで」
すぐ近くで声がした。鐐さんが息を飲んで僕の腕から手を放した。恐る恐る首を元の位置に戻す。なぜ一面灰色なのかと思ったら、免が近すぎて服しか見えていなかったからだった。
「二の姫さまの前で多属性理術を使ったことはなかったはずですが、水銀からの情報ですかね」
免が鐐さんに話しかけている間に距離を取った。しかし滾さんが倒れたままだ。僕だけ逃げるわけにはいかないので、大した間合いは取れていない。
それに逃げられる気がしない。こんなに至近距離にいるのに気配をほとんど感じないのだ。どうやっても追い詰められてしまうだろう。
免は鐐さんから視線を移して滾さんを一瞥すると、すぐに興味を失くしたようだった。瞬きひとつで僕に興味を移す。
「ご機嫌よう」
にっこりほほ笑んで挨拶をされるとうっかり返事をしてしまいそうだ。挨拶を返す代わりに精一杯睨んでみた。
「おや挨拶も出来ないのですか? 教育者の顔が見たいものですね」
免は片手を頬に当て呆れるように少し下を向いた。漣先生を馬鹿にされたような気持ちになる。けどここで怒ったらきっと相手の思うつぼだ。ぐっと我慢する。
僕が黙っているのが面白くなかったのか、免は手を下ろして顔を上げた。それとほぼ同時に距離を詰めてくる。歩幅が広いのか、動きが速いのか分からないけど、再び視界が灰色になりかけた。慌てて僕も少し下がる。
「さて、見たところ貴方は純粋な叔位のようですが、何故、私の魅了が効かないのでしょうか」
今度は笑ってはいなかった。顎を少し上げて見下すような目をしている。ただでさえ背が高いのだから、顎など上げなくても十分見下せる。
「仲位以上の方々やそこに転がっている混合精に効果がないのは仕方ありませんが、理の『例外』に魅力を感じないのですか?」
「魅力なんかない! 金精を返し……返せ!」
声がひっくり返ってしまった。さらに敬語を使いそうになって迫力がない。免がまた微笑みを見せた。口元が上品に弧を描く。
「残念。振られてしまいました」
免が肩を竦めながらゆっくり近寄ってくる。その度に僕も一歩ずつ下がる。しかし恐怖の前に違和感があった。免は確かにそこにいるのに気配どころか理力の流れを感じない。
「貴方は誰かに似ている気がしますね」
ゆっくりした動きだったから油断していた。急に首の痛みに襲われて目を瞑ってしまった。首が動かない。目を開けると免の整った顔が目の前にあった。顎を掴まれている。勢いよく持ち上げられたのだと気づいた。
「名前は何と言うんですか?」
答えたくないし、顎を固定されているので喋ることが出来ない。免の細い腕は意外と力が強くてびくともしない。
僕の抵抗など物ともせずに今度は髪をひと房掴まれる。気持ち悪いことこの上ない。
「綺麗な碧髪ですね。渾どのを思い出します」
「え?」
渾という美蛇の兄の名に僅かに反応してしまった。免はそれを見逃さなかった。
「なるほど渾どのの関係者ですか。だとすると」
美蛇と繋がっている。免が関係してるのは汞だけではなかった。
「狙っていた末の弟。名前は確か『雫』でしたね。良い響きです」
僕のことも知っている。美蛇が僕を狙っていたことも知っている。こいつは一体何者だ。
「渾どのは綺麗なお顔をなさっていましたが、貴方は可愛い顔立ちをしていますね。それでも似ているのはやはり兄弟だからでしょうか」
興味深そうに語りかけてくる免に顎を更に持ち上げられた。自然と視線がかち合う。服の色よりももっと濃い灰色の瞳をしている。室内が暗いからそう見えるのだろうか。
「しかし、ん?」
一方的に話しかけてくる免だったけれど、不自然に動きが止まった。一瞬、雷に撃たれたみたいに体を震わせると、僕から目を逸らして下を見た。
僕も不審に思って下を見ようとする。でも首が動かなかった。そのままの体勢でなんとか視線を下げると水晶刀が免の腹に刺さっていた。
免の驚いた顔を見たのは初めてだ。今までうっすら笑っていたり、大袈裟に悲しむような素振りを見せたり、全て余裕の表情だった。けれど今は……。
「何故……? 何故、水晶刀がここに」
心底驚いているみたいだ。動揺している。痛いとか苦しいとかではなく、純粋に驚いている。
「雲泥子の水晶刀。当代水理王が所有していると聞きましたが」
免は僕の顎から手を放し、引き寄せられるように水晶刀に手を伸ばした。けれど水晶刀は触れるか触れないかの内に免から抜け、衝撃波を起こして免を弾き飛ばした。免はかなり後方まで床の上を滑っていった。
水晶刀はまるで意思があるように、すぐ手元に帰ってきた。僕は開放された顎と首を擦りながら、無意識に水晶刀を撫でていた。何度も助けてもらって感謝している。
「金の子よ 命じる者は 金字塔 融け固まりて 基準へ戻れ『金精捕縛』」
腹を押さながら立ち上がろうとする免を銀色の流動物が飲み込んだ。聞いたことのない声で詠唱がされている。近くの鐐さんでもなさそうだし、波乗板の上の鑫さまでもない。
「くっ……!」
免の体から大量の銀色の煌めきが離れていく。その動きを目で追っていくと、流れて行った先には子どもがひとり立っていた。
「金字塔?」
鐐さんが口元を抑えている。その声に反応したのか滾さんもようやく首を動かした。
「鐐さんの知り合いですか?」
「いいえ。金字塔に会うのは初めてよ」
その割には何か知っていそうだ。滾さんが起き上がるのを助けながら続きを促す。
「金字塔は金亡者が亡くなる際に任命されるって聞いたことがあるわ」
金亡者が亡くなる時……鋺さん、亡くなってしまったのか。悲しみを実感する前にまた金字塔が《ピラミッド》喋り出す。
「金亡者から鈿の名付けを受け、その意思を継ぐ。鈷の鈿、金字塔の権限により、えーっと、墓送りとする」
途中まで格好良かったのに変に詰まったところがあった。急に不安になる。鈷……あの蜣螂だ。
「おひーさま、金精の皆は取り返したよー!」
どろどろした銀色を近くに漂わせている。あれが金精なのだろう。免から取り戻したらしい。ピョンピョンと跳ねる姿は小動物のようだ。鑫さまと鐐さんにそれぞれ手を振る姿はちょっと可愛い。
「えーとえーと、金の蔵 命じる者は 金字塔 冥界の壁 墓へ……トメさん?」
トメさんって誰? 思わず後ろを振り向いてしまったけど、当然誰もいなかった。
「『墓へと召さん』よ!」
鑫さまがさっきと色の違う槍を軸にして火砕流を飛び越えてきた。少し遅れて焱さんも氷の壁を突き破ってきた。手には大振りの剣を握っていたけど、外に出た瞬間にバラバラと壊れてしまった。
鑫さまは飛び出した勢いをそのままに槍を振り下ろす。免に躱されたようだけど、まだ水晶刀のダメージがあるらしく動きが鈍い。
続いて焱さんも殴りかかる。素手だ。予想してなかったのか免の左頬に見事に入った。免は背後の柱に叩きつけられるとそのままズルズルと落ちてきた。




