100話 救済者 免
叫んだのは鐐さんだった。あの黒い鳥は鍇さんらしい。救済者は上品な笑みを浮かべて籠を撫でる。
「お返しに上がりました」
反動をつけて鳥籠を鐐さんへ向けて放り投げた。飛び出そうとする鐐さんを鋺さんが必死に抑えている。
誰も受け止めなかった鳥籠は乾いた音を立てて床に転がった。中で鳥が暴れている。
「あぁ、可哀想に。誰にも受け止めてもらえないとは」
口元を覆って憐れむような仕草を見せる。指の隙間からはうっすらとした笑みが見えていた。いつの間にか胸に刺さった矢は消えていた。
「金亡者も、立っているのもやっとの状態でよく動きますねぇ」
鋺さんのことも知っている。
鋺さんはさっき融ける液体をかけられてたはずだ。穴が開いても動けていたから大丈夫なのかと思っていたけど、ひょっとして辛いのか。
鋺さんが鐐さんをこちらに突き飛ばしてきた。滾さんがそれを受け止める。鋺さんは答える代わりに斧を振り上げると、力いっぱいに振り下ろした。
床が地割れのように深く避け、中から赤いドロドロが吹き出した。何度か通ってきたドロドロのようだ。すっかり見慣れてしまった。
「還元牢!」
灰色の救済者が赤に包まれる。不気味だけど動きは止まった。姿を覆って固まった状態は人形でも見ているかのようだ。
ここまで焱さんの火の檻も、鑫さまの針の攻撃も大して効いていない。攻撃が駄目でもせめて捕まえられれば不安が一つ減る。
「ひどいですね、折角心配していたのに」
「っ!」
鋺さんの後ろに灰色の人影があった。救済者の姿がはっきり見えたときには、鋺さんの斧が片手で押さえられていた。鋺さんは斧を持ち上げようとしているけどビクともしない。
救済者はもう一方の手に淡く光る球体を持っている。焱さんが射った矢を避けながら、巻かれた布をそのままに鋺さんの脇腹の穴にぐっと押し込んだ。
「水蒸気爆発」
飛沫を伴った風が暴れだした。肌を打つ衝撃で目も開いていられない。滾さんが身体を反転させて鐐さんと僕を抱え込んだ。庇ってくれる滾さんも辛そうだ。見上げると歯を食い縛っていた。
近くで焱さんが鑫さまの腕を掴んでいた。鑫さまは風圧で倒れてしまいそうだった。髪は真横に靡いている。
少し離れた所で何かがぶつかる音がする。舞踏場の隅に塊ができていた。倒れていた金精たちが風で飛ばされて積み重なっているらしい。失礼だけど存在をすっかり忘れていた。
「融け続けるのはさぞ辛かったでしょう」
目を開けると視界の端をクリーム色が掠めていった。滾さんが倒れていく。僕たちを庇ったせいで背中はボロボロだ。服だけでなく、身体も切り傷や打撲傷があるに違いない。巨体を支えきれず、滾さんは床に突っ伏してしまった。
「た……ギルさん! ギルさん、しっかり!」
「おや、貴燈山の愛下温泉ではありませんか? 元気になって良かったですね。お姉さまの知上温泉はお変わりないですか?」
倒れた滾さんに親しげな声をかけてくる。救済者は滾さんのことも知っているらしい。それもそのはずだ。鋀さんを貴燈へ連れていったのだとしたら知っていて当然だ。
救済者は鋺さんの斧を掴んだままだ。鋺さんの腕も斧を放していない……けれど、腕の先は肩より上しかない。下半身が跡形もなくなっていて、上半身の一部が斧にぶら下がっている状態だった。
「鋺さん!」
「鋺っ!」
救済者は斧ごと鋺さんを投げ捨てた。鋺さんの腕も頭もピクリとも動かない。鋺さんを呼んだのは鑫さまか、それとも鐐さんか。ショックで僕の頭もどうにかなりそうだ。
「合成術まで使いやがって! てめぇ、何者だ!?」
顔を見なくても焱さんが怒りに満ちた表情をしているのが分かる。でもその感情の中には一種の戸惑いが読み取れた。
水蒸気爆発は、以前焱さんも使った術だ。僕も教えてもらおうとした。しかしそれは水球と火球を合わせた術で、例え混合精でもひとりで使えるものではないと言われた。
救済者は今、それをひとりで生み出し、鋺さんに使った。鋺さんは微動だにせず倒れたままだ。
「何者? あぁ、そういえば、私としたことがご挨拶と共に自己紹介をするべきでした」
少し大袈裟なしぐさで天井を仰ぐと、鋺さんを蹴り自分の居場所を広げた。灰色の足を斜めに下げ、片手を後ろに回す。
ひとまず攻撃が止んだのを見て滾さんの背中に回った。傷だらけであちこちに金属片が刺さっていた。
「私は免……と言ってもこれは仮名ですが」
胸に手を当てている。ちょうど矢が刺さっていた部分だ。服に穴も空いていない。いったいどうなっているのか。
一方、鐐さんはとても小さい声で詠唱を繰り返している。一回詠唱するごとに滾さんの背中から金属片が取れていった。
「そんな名は聞いたことないわ。真名を答えなさい!」
鑫さまが救済者・免にゆっくり近づく。鑫さまの周りには槍や剣などの無数の刃が取り巻いていた。刃は蝙蝠のように群れをなして免に襲いかかる。
「おや、ご自身以外の金属もお使いになる。あぁ、なるほどあそこの精霊たちですか」
免は部屋の隅で山になっている金精たちをちらりと見た。襲いかかる刃から逃げようとは思わないらしい。さっきも攻撃が通じなかったから、もしかしたら今度も無駄かもしれない。
「なら、折角なのでいただきますね」
顎の前に手を広げて指先を軽く曲げると刃は免の口に吸い込まれていった。刃を飲み込むのを見ているだけで喉が痛くなってくる。
「ごちそうさま……と言いたいところですか、少し頂くともっと欲しくなる。どうせなら全部いただいていきましょうか」
免が左手を高くあげる。ズンッと天井が落ちてきたみたいな圧力があって身体が重くなる。滾さんも呻き声をあげているけれど、鐐さんは平気みたいだ。
周りを見ると焱さんも鑫さまも何ともなさそうだけど、二人とも部屋の隅を見ていた。金精の山が免に引っ張られるように、宙を飛んでいく。近くに吸い寄せた金精を免は次々と飲み込んでいった。
「コ……ルト」
「鐐さん何か言いました?」
鐐さんは小刻みに首を振る。滾さんの治療に忙しそうだ。話しかけないでおこう。
「おっと危ない。返しに来た四の姫さままで吸ってしまうところでした」
鳥籠が少し引っ張られたところで動きが止まった。免が腕を下ろした時には金精は全ていなくなっていた。同時に身体の重さがなくなる。
「てめぇ……!」
焱さんは見たこともないほど太い矢をつがえている。今までの攻撃が通じていないけど効くのだろうか。
「やれやれ、攻撃は効かないと先ほどご覧になったでしょう?」
手をパンパンと軽く叩き埃を払うような仕草をしている。その余裕めいた様子の免に鑫さまが飛びかかった。長い槍を手にしている。
「金精を返しなさい!」
「お断りします。折角手に入れた理力ですから」
免は鑫さまの槍を素手で受け止めようとした。けど鑫さまは掴ませずに右腕を肘から手首にかけてバッサリ切り裂いた。
「おや、やられてしまいました。直接的な攻撃は効きますね」
初めて効いた攻撃に何故か僕がビックリしてしまった。理術や矢は効かなくても直接的な攻撃は有効らしい。
「ではお返しに……『火砕流』!」
「鑫っ! 退がれ!」
火砕流……も火と土の合成術だ。火の苦手な金精の鑫さまにはかなり不利だ。鑫さまは器用に右へ左へ跳ね回り、上手く躱している。けど決して退がろうとはしない。
舞踏場の太い柱が邪魔をしていて鑫さまは次第に追い詰められていく。槍を軸にして小さな足場にたどり着いた。片足分しかない小さな場所に火砕流が迫っている。
「姉さま!」
「さ……波乗板!」
鐐さんとほぼ同時に声をあげてしまったので滾さんがびっくりしている。咄嗟に作った波乗板は、ちゃんと鑫さまの足場になってくれた。
良かった! 間に合った。
鑫さまの足が波乗板に乗ったのを確認する。ほっとしたのも束の間。跳ねた水が目に入るように免と視線が交錯した。




