98話 救済者との繋がり
「あの……」
滾さんが声を上げた。とても小さな声だったけど皆を振り向かせるには十分だった。片手を少しだけ上げて固まっている。
「どうした、滾?」
滾さんは皆に注目されて緊張してしまったのだろう。焱さんはまるで親戚の子供に話しかけるような調子で話しかけた。
「あ、の、その救済者って、貴燈山にも来た、かも」
鋺さんだけは全然聞いていない振りをしていた。少し離れたところから破れた布を拾ってきて腰に巻いている。空いた穴も反対側の融けた穴も見えなくなった。
その布から小さい声が上がる。金蚊……ではなく、蜣螂が布にしがみついていた。玻璃を割って帰ってきたらしい。
「どういうことだ。貴燈に来たのはこいつらの妹の銅だろう?」
焱さんの言う通りだ。黄金虫の姿をした銅。それなら妹で間違いないと鑫さまがそう仰ったんだ。
「銅は叔父の足に付いて監視してました。父を手にかけて、俺に毒入れたのは別の奴で……」
鋀さんの最期を思い出す。
ーー新しい本体があれば復活できる。火山の本体が貰える。そう言われたのにーー
言われたって誰に?
焱さんを見ると腕組みをしたまま顎に手を当てていた。幅の広い眼帯をしているせいで表情は窺えない。だけどもしかしたら、同じ事を考えているのかもしれない。
「多分、魄失だと思います」
「多分?」
焱さんが問い詰めるように聞き返すと、滾さんは大きな身体を精一杯小さくした。そういえば沸ちゃんもおなじようなことを言ってたかもしれない。
ーーアイツはお父さまを手にかけた上、ギルの温泉に鉱毒を流し込んだ。
助けたければ、水精か金精の季位百体分の理力を集めろって。
叔父さまはやるしかなかったの。断れば滾が殺されて、あたしも……もしかしたら
アイツは叔父さまが裏切らないように足を銅に変えた。もし、誰かに喋れば銅が叔父さまを飲み込むってーー
あの時沸ちゃんが言っていたアイツとは、救済者のこと?
僕は……僕たちは鋀さんが貴燈を襲ったと思っていたけど、良く考えたら変だ。金精の叔位だという鋀さんが、仲位の煬さんを襲えるだろうか。煬さんの所属は火精だ。
叔位と仲位という点でも、金精と火精という点でも鋀さんの方がかなり不利だ。
「多分ってどういうことだ?」
「魄失に会ったことないから分からないけど、魄失って会った瞬間に、もっとゾッとするんじゃないのか? ……って姉さんが言ってました」
滾さんは夢中になって喋っていたらしく、途中で皆の視線に気づいて最後の方は何を言ってるのか分からなかった。勢い良く僕の両肩を掴み、後ろに回ってきた。隠れようとしているらしい。
「いずれにせよ、見ず知らずの精霊の意見を取り入れて、それで熔や多くの精霊の命を奪ったなんて……」
鑫さまの声にハッとして現実に戻った。鑫さまは口元に手を当てて顎を少し上げた。鐐さんは肩を竦めて身を小さくしている。腿の服を強く握りすぎて拳が少し震えている。
「こなたが何故しばらく帰れなかったか分かる?」
「そなたが金理王と現を抜かしていたからであろうが」
鐐さんに向けての言葉だったけど、代わりに汞が答えた。ふんと鼻を鳴らしながら顎をしゃくった。
いくら従姉妹だといっても金理王と王太子を侮辱しすぎだ。
「流没闘争の混乱に乗じて金理王を葬ろうとする不届き者を根絶するためよ」
鑫さまはいままで乱れたままだった長い髪を再び高い位置に持ち上げた。大雑把にまとめると白いうなじが露になる。
「混合精の王を廃そうとする不敬な輩をね」
混合精を侮蔑するなという淼さまの言葉が蘇る。汞はさっきから混合精への差別がひどい。滾さんをチラッと見る。怒りも悲しみも感じないけど、ただ小さくため息をついていた。
鑫さまは首を大きく振って、まとめた髪を払った。髪型だけで随分印象が変わった。威厳が増して威圧感がある。
鑫さまは汞を見下ろす様子はまさに王太子といえる。薄暗い室内で煌めく金髪は水面に映った月のようだ。誰よりも王太子の地位が相応しく見える。すぐそのにいる焱さんには内緒だ。
「汞、混合精を罵るのは止めなさい。彼らには彼らの……」
「五月蝿い! 釛、そなたに何が分かる? そなたに妾の苦しみが分かるか!」
ひっくり返った声で汞が言い返している。握った拳で床を叩いている。あんなに叩いたら手を痛めそうだ。
「そなたのように本体を切り離して動ける者ばかりだと思うな! 金精の多くが本体と人型が一体なのは分かっているだろう!」
本体と人型が一体ということは、やっぱり本体が極端に少ないと人型になれないという予想は当たっていそうだ。僕たち水精とは少し理が違う。
「触れればたちまち合金だ。妾は身内からも除け者よ!」
「除け者……」
僕と一緒だ。
無意識に汞の言葉を繰り返していた。焱さんの視線を感じる。
家族から除け者にされる。その辛さは僕も分かる。僕も王館に上がる前は毎日そうだった。うっかり同情してしまいそうだ。
「妾に親しかったのは鍇だけだ」
鉄は水銀に強い。鐐さんが教えてくれたことだ。僕も親しかったのは美蛇の……あれ、そういえば鍇さんはどうなったんだ。地下に閉じ込められてると言っていた……あれも嘘?
「鍇はどこへ? 地下にいるの?」
汞は床を叩くのを止めて横を向いてしまった。鑫さまが再び責めるように鐐さんを問い詰める。
「救済者が鉄を連れて行きました。金理王の退位に必要だからと」
「何ですって! そんな怪しい奴に鍇を預けたの?」
鑫さまの大声にびっくりして肩が跳ねた。……はずだったけれど肩に置かれた滾さんの手に阻まれる。また水晶刀に肘をぶつけたらしい。ビリビリと静電気のような痛みが走る。
「五月蝿い! あの方は偉大だ。怪しい者ではない!」
汞が金切り声を上げる。耳が大声に慣れてきてしまった。一方、肘は擦っても痛みが引かない。むしろ痛みが強くなっている。おかしいと思って視線を下げると、水晶刀が小刻みに揺れていた。
僕か滾さんが揺れているのかと思って、滾さんに手を避けてもらいじっとしてみた。だけど水晶刀は震えるのを止めない。
背後の滾さんと顔を合わせると滾さんも首をかしげている。近くの焱さんに声をかけようとしたとき、鑫さまの側に控えている鋺さんが僅かに斧を動かしたのが目に入った。
「妾に王水を下さったのはあの方だ。金理王と水理王しか扱えない王水をな! きっと理王に通じる高貴な……!」
鋺さんの肩に移動した蜣螂がブルブルと震えている。焱さんも何かを警戒するように弓に矢をつがえた。握る手に力が入っているらしく、指先が白くなっている。
「お喋りですねぇ」
穏やかに歌うような声が響く。優しい声の余韻の中に氷山が崩れるような音がした。




