97話 金精たちの思惑
「焱さん!」
ニィッと口角を上げ焱さんはまだ片目に眼帯をしていた。でも腕と足はちゃんとある。軽く腕を振りながら僕たちに向かって歩いてくる。涙が出そうだ。
「良いところ持っていくわね」
「良いから、早く固めろ」
そうだった。煙を慎重に冷やす。重い音がして固体化した水銀が落ちてきた。一方、鐐さんは火の中で倒れている。大丈夫だろうか。
「燃焼牢」
焱さんが水銀を火の檻で覆った。溶けてしまうんじゃないだろうか。
「金精は火に弱い。溶けても逃げられねぇ」
焱さんはそう言いつつも、弓に矢をつがえていた。念には念をと言うことだろうか。水銀を一回固めただけで気を緩めた僕とはやっぱり違う。
「大丈夫?」
「えぇ、姉さま。ちょっとめまいはするけど、なんとか」
滾さんが鐐さんに水をかけていた。湯気が上がる。銀はまだ融けない温度だって言っても熱いものは熱い。鑫さまが鐐さんを支え起こす。
「おのれ……おのれ貴様ら」
汞が呻いている。すぐに液体になったかと思えば今度は人型になった。
「妾は間違っておらぬ。混合精が金精を治めることが間違っているのだ」
諦めが悪いのか、檻の中でまだ抵抗を試みている。檻に向けて理術を放ったけど壊れるはずもなく、自身に跳ね返っている。その衝撃で後ろに転んでいた。
「金理王の末裔たる妾が日陰で生きておるのに、何故混合精ごときが金理王に成り上がるのだ!」
焱さんが弓をひこうとするのを、鑫さまが手を重ねてそっと止める。焱さんは一瞬鑫さまの顔を見たあと、大人しく弓を下ろした。
「いい気になりおって。皆で妾を蔑ろにしおって……許さぬ」
「汞。誰も貴女を蔑ろになんてしてないわ。大事な一族のひとりよ。こなたたちは従姉妹でしょう?」
従姉妹だったんだ。鐐さんと汞が似ているわけだ。
鑫さまは火の檻にギリギリまで近づいてしゃがみこむ。その後ろに鋺さんが立った。
鋺さんは脇腹に大きな穴が空いたままだし、反対側の脇腹は槍が刺さった跡がある。さらに冑は蹴られて凹んでいる。満身創痍でとても痛々しい。
「そなたもそなただ! 何故直系嫡子のそなたが下賎な混合精に心を寄せるのだ!」
「混合精は下賎じゃないし、こなたと金理王は本気よ」
心を寄せるって? 本気って? こなたたちってことは、鑫さまは金理王さまと想い合っているってこと? 理王と王太子が? そんなことあるの?
焱さんは僕の顔を見て良くあることだと囁いてくれた。一緒に王館で過ごしてたら仲良くなれる気はするけど。それより僕は相変わらず顔に出やすいらしい。
「姉さま。私も反対です」
鐐さんの声に振り返る。滾さんが鐐さんを支えていた。鑫さまが立ち上がって振り向く。
「当代金理王は努力家で素晴らしい方だとは思います。実力も認めます。混合精が理王になることに反対もしません」
遠慮気味に言う鐐さん。出会ったばかりの勢いの良さはない。やっぱり水銀が影響していたのだろうか。
「しかし、姉さまのお相手には相応しくないかと……姉さまにはやはり水理皇上のように家柄がしっかりしている方が」
「黙りなさい、鐐」
決して大きな声ではないけど冷たく言う鑫さまに鐐さんは黙ってしまった。
「絆されたか、愚か者が」
汞が忌々しそうに格子を握る。ジュウッと音がしても格子を放さなかった。
鐐さんが滾さんの支えを解いて鑫さまの前に跪く。汞の檻を背にするのを鋺さんが止めようとする。それを鑫さまが遮った。
檻の中の汞とその手前に跪く鐐さんを見ていると本当にそっくりだ。鐐さんはチラッと汞を振り返ると、跪いた姿勢から床につくほど頭を低くした。
「姉さま。私は今回合意の上で合金になりました」
皆で息を飲んだ。どういうことだ。水銀に入り込まれたのではなくて、進んで合金になったということ?
「それは何となく分かってたわ。銀は確かに水銀に弱いけど、貴女の理力なら多少抵抗できるから」
鑫さまは気づいていたらしい。もしかしたら月代に来た時点で様子が違うことに気づいていたのかもしれない。
「汞は皆を吸収しないようにいつも皆から離れていたんです」
鐐さんがようやく頭を上げた。一呼吸置いて話を続ける。
「庭園立食会も舞踏会も自主的に欠席していました」
流石、名門の家系なだけあってパーティばっかりだ。でも汞にそんな遠慮気味な一面があったとは知らなかった。鑫さまが黙って聞いているので僕たちは口を挟まない。
「それを鍇が可哀想だと言って夜会にメルを連れてきたんです」
汞が格子から手を放して横を向いた。何かに耐えるように下唇を噛んでいる。
「元々参加を禁じていたわけではないので、皆に直接触らなければ良いと指示いたしました」
汞が自分の拳を握ったのが見えた。突然ピリッと静電気のような痛みが走る。水晶刀に肘がぶつかったらしい。
「鋀も汞に会うのは久しぶりだったので、最初は楽しく談笑していたらしいのですが……」
僅かに痛みが残って肘をさする。焱さんに不思議そうな顔をされたので、笑ってごまかした。
「私が鍇に呼ばれていったときにはひどい言い争いになっていまして」
「何を言い争うの?」
黙って聞いていた鑫さまが先を促すように少し早口で言う。
「鋀は元々、汞と意見が正反対でした。混合精の金理王でも偉大なことに変わりはない。姉さまが誰と結ばれても良いと」
鑫さまの顔は見えないけど複雑な気持ちが読み取れる。喧嘩の原因が自分だとは思っていなかっただろう。
「それで言い争っている内に……鋀が汞に掴みかかって、そのまま」
吸収されたんだ。
ちょっとの量なら合金になったのだろうけど、全部水銀に吸収されてしまったらどうなるのだろう。
「なぜこなたに知らせないの?」
「しようとしました!」
鐐さんの大声にびっくりしてまた肘を刀にぶつけた。さっきよりもビリビリする。打ち所が悪かっただろうか。
「醜い一族内の争いになってしまいました。急ぎ姉さまに啓上しようとしていたところで……救済者が現れたのです」
飯屋?
夜会にご飯でも売りに来たのだろうか。
何も言ってないのに焱さんが僕の肩に手を置いてゆっくり首を振った。どうやら理解を間違えているらしい。その後ろで何故か滾さんまで首を振っていた。
「『銅が水銀に弱いという理がなければこんなことにはならない』と言って……鋀は魄失に堕ちました」
「ちょっと待て」
焱さんが腕組みをほどいて越しに手を当てた。振り向いた鑫さまと首を上げた鐐さんを交互に見ている。
「合金になっても分離できるなら銅はまだ水銀の中に在るんじゃないか?」
確かにそうだ。まだたくさんの金精が倒れたままだけど、皆水銀をちゃんと分離できたんだから同じ方法で出来るはずだ。
「銅に水銀が入ったならともかく、時間が立つと銅の本体は汞の理力に吸収されてしまうわ」
つまり、銅に水銀が入ったくらいなら分離できるけど、水銀に銅が入ると分離が難しい……ということか。ひとりでうんうん頷いていると滾さんもうんうん頷いていた。
「本体を失った銅は導かれるまま火山に向かいました。救済者は更に『皆で合金化すれば強くなれる。強くなれば鑫の即位を後押し出来る』と皆に言い……」
向かったという火山はもちろん貴燈山だ。滾さんは大きく息を吸い込んで倍の時間で吐き出した。怒りを抑えたのかもしれない。
でも煬さんの足に付いていた銅は?
全部水銀に吸収されてしまったならあの銅は一体……。
「皆、姉さまの即位には賛成でした。元より混合精の王を快く思っていないものも多かったので」
もしかしたら鋀さんに貴燈を狙わせたのも混合精である煬さんが治めていたからかもしれない。それに沸ちゃんも滾さんもいる。数の少ない混合精が集まった貴重な火山だ。
「もう後には退けなくなりました。それで私も合金になることに同意したのです。姉さまを速やかに理王の座に据えるため、私自身を半分ほどメルに預けました」
鐐さんが口を閉じた。唖然としてしまう。しばらく動けない。鋺さんの甲冑がギシギシと軋む音を鳴らしていた。




