95話 vs合金精霊
鋺さんの作った空間を抜けた。薄暗くて良く見えないけどちゃんと床に足が着いた。今のところ近くに金精の気配は感じない。
少し遅れて滾さんが抜け出してきた。巨体を屈める姿はまるで岩が転がり出てきたようだ。
最後に鋺さんが出て来る。暗さに目が慣れてきて穴を閉じる様子が良く分かった。僕たちは太い柱から出てきたらしい。円柱状の冷たい柱は例え滾さんの両腕でも囲えないだろう。
他にも何本か太い柱があるようだ。舞踏場に出ると言っていたから、ここがそうなのだろう。鋺さんの話の通りかなり広い。暗いせいもあって舞踏場がどこまで続いているのか分からない。
「早速、気付かれましたね。こちらに向かってきます」
緊張が走る。確かに足下でゾゾゾゾと何かが動いているような微かな揺れと何とも言えない気味の悪さがあった。
水銀が貴燈に来ていたから僕たちが月代に戻ってくることはある程度予想していたはずだ。元々、この広間に集めるつもりだったから、逃げも隠れもしない。
「水銀の沸点はおよそ三百六十度です。そこまで温度を上げればほとんどの金精から水銀が抜けます」
滾さんを見上げる。顎の下しか見えないのでどんな表情をしてるか分からない。
僕の真横に見える滾さんの腕が少し震えているのが分かった。恐怖や不安か、それとも武者震いか。見た目から判断すれば後者だろうけど、恥ずかしがり屋な一面を考えると前者かもしれない。
「水銀が抜けたら冷却し、有毒な気体を抑え込むのですが……」
カタカタカタと鋺さんの甲冑が鳴っている。最初は鋺さんが震えているのかと思ったけどそうじゃなかった。合金になった金精が徐々に近づいて揺れているのだ。
「雫さま。可能なら過冷却水をお願い致します」
過冷却水。水は摂氏零度で凍るけど、それは氷の核となる不純物がある水だ。僕は純水を持っているから零度を下回っても凍らない過冷却水を作れる。……はず。
「水銀は零下三十九度ほどで凍ります。水銀は常温で液体なので固体化してしまえばそのまま捕縛も可能です」
何故こんなことを僕が知っているのか分からないけど、過冷却水なら氷点下四十八度まで下げられるはずだ。それなら水銀を固体化するのに十分だ。
水精は凍っても動けるけど金精は同じではいようだ。それとも水銀だけだろうか。
鋺さんが斧を脇に構えた。僕も滾さんも円柱の柱に背を預けて備える。薄暗い室内に鋺さんの斧の刃が輝いている。白銀色の刃にほんの一瞬だけ、金の煌めきが映りこんだ。
「鑫さま?」
「え?」
口に出してしまったのがまずかった。僕の言葉に反応した鋺さんは斧を僅かに下ろし、無防備になってしまった。一瞬の隙を突かれた鋺さんは床から伸びた槍に脇腹を刺されていた。
「鋺さん!」
「っ大事ございません」
鋺さんは自分に刺さった槍の柄を斧で切り払った。刃の方はまだ脇腹に刺さったままだ。鋺さんは動じることなく、残った槍を引き抜いた。
腹から腰に巻き付けていた布が、槍の刃と一緒に取れてしまった。穴が露になって見ているのが痛々しい。
でもそんなことを言っていられなくなった。床がボコボコと変形し出したのだ。床が何ヵ所も盛り上がって土竜が出ようとしてるみたいだ。
月代から逃げるときにもこれと似た経験をしている。壁から出てきた手に捕まったのだ。この柱も気を付けなければならない。背後の柱に目を向けるとその過程でまた金の煌めきが視界に入った。
初めて部屋の端が見えた。壁の一部が玻璃張りになっている。そこに映っているのは、やっぱり鑫さまだ。金の巻き髪を靡かせている。手に何か持っているみたいだけど、長いこと見てはいられない。僕も目の前のことで必死だ。
床から金精が飛び上がった。人型なのに皆振り上げた腕の先が錐のように鋭く尖っている。僕たちを目掛けて飛びかかってくる。
「練る金よ 命じる者は 錺の母 硬さに震え 打ち叩かれよ『守壁硬化』!」
壁があるようには見えないけど、鋺さんの理術が金精の攻撃を全て防いだ。前面からの攻撃は全て弾かれている。相当丈夫な壁らしく、衝撃の振動も音すらもほとんど感じない。
それでも正面から攻撃されるのを見るだけでハラハラしてしまう。気が付いたら滾さんが僕の肘辺りの袖を掴んでいた。
前面は大丈夫だとして背後の柱が気になる。金精が出てくるのではないかと冷や冷やしている。
「雫さま、後ろも守壁があります。ご安心ください」
僕が後ろを気にしているのを見て鋺さんが一言くれた。ちょっと安心だ。けど後ろを見たことで再び鑫さまが目に入る。玻璃の向こうで鑫さまが何かと戦っている。
「鋺さん。鑫さまがあっちで戦ってます!」
「あれは……鐐さまと戦っているようですね。援護にいかねばなりません」
攻撃に失敗して倒れた金精は次々に倒れて重なっていく。それでも上に乗った仲間を押し退けて強引に起き上がり、再び攻撃を仕掛けてくる様子は不気味だ。
目は虚ろでどこを見てるのか分からないし、顔色は能面のようで表情はなかった。正気ではない。
「その前にここを片付けましょう」
「分かりました! ……ギルさん!」
滾さんはいつの間にか僕の袖を放し、すでに集中していた。慣れない環境で使う理術だ。それにここには火の理力はほとんど存在しない。火が苦手な金精の居場所に火の理力がある方がおかしい。
「……『火燃絨毯』」
滾さんの詠唱が終わると同時に炎の絨毯が敷かれていった。これには見覚えがある。以前、煬さんと対峙したときに使われた術だ。
火燃絨毯は床に重なった金精を次々に飲み込んで勢いを強めていく。悲鳴すら聞こえない。ただ炎の音だけが聞こえる異様な光景だ。
「出ました! 水銀です!」
ブワッと性質の異なる煙が上がったのを見て鋺さんが叫ぶ。あれが水銀だろう。有毒な気体だ。気を付けなければ。
「雫さま!」
「あ、『過冷却』!」
咄嗟に出た言葉だった。詠唱も何もない。ただ冷やさなければという思いが先走った。
今まで何もなかった空間から大水球が現れた。もやもやと逃げ回る水銀の煙を追いかけ回し、飲み込んでいく。
「やった!」
飲み込まれた水銀はみるみる固まった。自由に動けていないのを見ると無事に固体になったらしい。これで安心だ。床の方ではまだ金精が滾さんの絨毯に転がっているけど、皆沸点は高いみたいだから大丈夫だろう。
「あれ?」
大水球の動きが鈍くなった。逃げる煙に追い付けなくなっている。透明だった水球は今、真っ白になっていた。水銀の色かと思ったけど違う。これは……凍っている。
遂に大水球が全て凍って落下した。割れたり、壊れたりはしていないようだ。落下場所が絨毯の上ではなかったのが幸いだ。火燃絨毯の上に落ちたら溶けてしまっただろう。
まだまだ水銀の煙は残っている。目などないはずなのに目が合った気がした。身の危険を感じる。
「……『氷結』!」
滾さんの声にビクッと自分の肩が跳ねる。ボトリと不格好な氷の塊が落ちてきた。残った水銀の煙と空気中の水分をまとめて凍らせる作戦らしい。
でも残念ながら水銀は凍ってはいなかった。温度が下がって液体になっただけだ。氷の隙間をぬって這い出てくると水銀は再び金魚の姿を取り出した。
もう一度、過冷却水を放とうとすると水銀の煙が動き出した。一瞬身構えたけど狙っているのは僕たちではなく、鑫さまの方だ。煙は狙いを定めて蜂の大群のように玻璃を目掛けて突進している。
「まずい!」
鋺さんが鑫さまに向けて走り出そうとする。それを邪魔をするように金魚が回り込んだ。どう見ても鋺さんを止められるサイズではない。ないのだけど……。
「くっ……!」
「鋺さんっ!?」
鋺さんは数歩進んだだけで倒れてしまった。




