診察 9 仕事探し
スティーブは道に迷っていた。
背は低いが似たような建物が続き、真っ直ぐなようで微妙に見通しの悪い道路。空は曇っていて方角もよくわからない。
人通りは多く言葉もわかる、看板も読める。だが微妙に慣れ親しんだものとは違い、よそよそしさえ感じるのだ。
大体彼は都会に慣れていない。田舎育ちで言葉だって最近ようやく訛りがなくなったところだ。
仕方がない、マネージャーに連絡して、と思いポケットを探るが連絡先のメモが出てこない。
「なんてこった」悪態をついても事態は進展しない。喉も渇いてきたが、どこで飲めばいいんだろう。パブに入ればいいんだろうが、このあたりはショッピング専門店が並びレストランらしき店構えも見当たらない。途方に暮れるとはこのことか。
「あれ、スティーブじゃないか。そうだろ」
なにか懐かしい声が聞こえた。砂漠でオアシスとはこのことなのか。
「まさかロンドンのど真ん中で道に迷っているとはね」
「そんなん言わんといて、こういうごちゃごちゃしたとこは苦手なんや」
「相変わらず日本語上手やね。もうずっとアメリカにおるんやろ」
「トモさんもあれからずっとこちらですか」
この人の前では微妙な丁寧語を使ってしまうスティーブである。若いときに染み付いた上下関係は十数年ぶりの再会であってもあまり変化はないのだ。
「それで、観光?それとも仕事なの」
とりあえずの窮状を訴えると旧友は快く近くのパブに連れ込んでくれた。こんなのわかるかよ、ちゃんと看板ぐらい出せよ、とスティーブは憤るがなによりもまずビールだ。
「なんだこのぬるい馬の小便は」
「行儀が悪いぞ、ここらの流儀なんだ。まあ我慢して飲みなよ」
冷えていなくてもビールはビールだ。半パイントを一気に飲み干し、とりあえず一息つけた。
「まあ仕事といえば仕事なんですが」会話が英語に切り替わると、雰囲気が少しだけ真面目になる。日本語だとビジネスにはたぶん向かない。
「そうか、でも身体はちゃんと鍛えているみただね」スティーブとトモはかつて同門の兄弟弟子だったことがある。慣れぬ外国でかなりの世話になったこともあって、道場でもプライベートでも頭が上がらなかったものだ。
「トモさんもね。でも雰囲気が違いますね、他流派ですか」
「ああ、そういうわけじゃなくて。こっちでは相手がいなくてどんどん自己流になっちゃったかもしれないな」
「いけませんね、師範に怒られますよ。私で良かったらちょっとお相手しましょうか」
「え、いいの。じゃあ用事がすんだら家につきあってよ」
別に用事のある外出ではなかったのでトモさんの家に行ってみることにした。
「ちょっと遠いけどね、車で近況でも教えてよ」
家じゃないだろうここ。
「おかえりなさいませ」
「ただいま。出先で友人に出会ったのでね。こちらスティーブさんです」
屋敷というよりは城に近いここで出迎えているのはどう見ても執事とメイド連なのだが。
「あ、スティーブです。お邪魔いたします」
「おや、アメリカのかたですか。珍しいですね」執事さんが言った。
「そうなんだけど知り合ったのは大阪だよ」
「大阪。ああ少林寺拳法の」なんでそんなことまでわかるんや。
お茶をご馳走になったあとで庭に出て型稽古をすることになった。道着はなくてどちらも体操服だった。
小柄な東洋人が犬を連れてついて来た。どう見ても子供にしか見えないメイドもタオルなどを持って控えている。
まあいいさ、稽古は稽古だ。深く考えるのはやめにして集中だ。
犬が一声吼えた。
「いい汗がかけたよスティーブ」うそをつけ、涼しい顔しやがって、この人は。
「だいぶ型が崩れてますね。でもちょっと怖いですけど」そうなのだ、妙に実戦向きになっていると思うぞ。
「最近はもっぱらそこにいるラジェシ君とやっていたからね。ちょっとネパール風になっているかな」
また犬が吼えた。
「すまん、タローも相手をしてくれているね」
犬が歯をむき出して笑ったような気がした。
「スティーブは少し動きが大きくなったね。お弟子さんでもとっているの」
「わかりやすいですかね」少し不自然に見えるのかな。
「悪いことじゃないだろう。きれいな型はそれだけで気持ちがいいよ」それって褒めているのかなあ。空手じゃないんだからなあ。
少女のメイドさんからタオルをもらってスティーブが汗を拭いていると別のメイドさんが現れた。
「セガール様。お電話でございます」なるほどコードレスの電話機を持っている。
「スティーブ、お前どこにいるんだよ」マネージャーからの電話だった。
「トモさんここはどこなの」住所を聞いて答えると「そうじゃなくてなんでそんなところにお邪魔しているんだって聞いているんだよ」すまんな勝手に外出して。
「どうした仕事ならすぐに送るが」いろいろと説教されそうだったので電話を切ったら心配されたようだ。
「大丈夫です。いや、あまり良くもないか」スティーブは車の中で話していたことの続きを語った。
日本で結婚して子供ができて、いろいろあってアメリカに帰って俳優業に就いて、役がつき始めて、アメリカでも結婚して、日本にいる妻と離婚して、今度大きい役が来そうでというような話だ。
イギリスでもオファーがないか伝を求めて来英しているが、なかなかうまくいっていないのが現状だった。気候の違いもあってムシャクシャしていたところに出会ったことは説明済みだ。結婚のことは随分と聞き直されたが「まあそっちの事は他人が口を挟む事じゃない」と言ってもらえてほっとした。
「俳優さんかあ、僕はちょっとその方面はよくわからないなあ」いえいえそんな期待はしておりませんから。昔からこの人は世話焼きだったからな。現在は医者で大学教授か、兼業とは意外と給料は安いのか。でもなんでこんなお屋敷住まいなんだ。ああ、入り婿したんだ、昔からもててたものな。でも病気で、そうか大変だったんだな。子供が二人か俺と一緒じゃないか、俺もちゃんと引き取らなきゃな。向こうがどう言うかな。
シャワーを借りてすっきりしたところでロンドンに帰ることにした。
トモさんは「泊まっていけばいいのに」とは言ってくれたが、それはまた今度だ。ちゃんとプライベートで遊びに来れるようになったらだ。
帰りは執事さんが送ってくれた。トモさんはこれから仕事で病院にいかねばならないそうだ。
ホテルの前で車を降りるときに封筒を渡された。
「トモノブ様からです」それだけ言ってロールスロイスは帰っていった。
「なんか紹介状をもらった」部屋に帰ってマネージャーに封筒を見せた。中を見たマネージャーは一度顔色を青くして、すぐに赤くした。器用なやつだ。
「スティーブ、これは」声まで震えてるぞ。たかが紹介状でどうしたんだよ。
「侯爵家がお前を全面的に後援するからよろしくって書いてあるぞ。それから英国を仕切ってるプロダクションへのアポつきだ」はあ、なんだよ侯爵家って。トモ、あんたなにしてるんだよ本当は。
「トモノブさま、仕事の斡旋はしておきました」
ドクターハタノは手術後の休憩中にジェームズさんからの電話を受けた。
「ありがとう、ジェームズさん。あいつ仕事にあぶれていたみたいだったからね。適当な就職先が見つかれば良いのだけれど」
「見つかりますよ、きっと」あなたのお弟子さんということにしておきましたからね。