診察 8 宮様
二年ぶりの英国の空は青く晴れていた。
「こちらでも秋晴れと言うのだろうか」と聞くともなしに声に出すと「インディアンサマーという表現があります」返事をもらったことを思い出す。
「それは米国の表現では?」と問い直すと「おそらく語源はそうなのでしょうね。植民地から宗主国に輸入されたのでしょう」と彼は応えた。
何でも知っている人だった。
博学ですね、と言ってみると「とんでもありません、知っていることしか知りません」と、さらりとかわされた。
私が大学に在学中に英国留学をすることになった原因の一つであるこの人は、すでにそのとき大学を卒業していた。
しかし講師としての籍を大学に残して学生に授業を行い、医者として大きな総合病院に勤務もしているとのことで、誠に多忙な日々を送っていた。ラグビーのイングランド代表経験まであり、文字通り文武両道に秀でている上に結婚までして一児をもうけていた、密かに私が憧れたこともあったお相手と。
一年間という短期留学は、受け入れ先の大学関係者であるロッキンガム侯爵と英国政府そして我が日本政府との細やかな腹芸の末に実現した。
何故侯爵が私の留学を望んだのかは公式には表明されなかった。我が外務省の非公式見解によれば侯爵は英国内における自らの存在価値をより強固にし、日英関係における発言権を確保するための布石としたいのではないか。ということだ。
そこに私の希望も少しだが絡んでいる。私がケンブリッジに行くのなら、この博学のサムライの子孫がお相手に付いてきますよという侯爵の密かな提案に、つい魅力を感じてしまったのだ。
今でも鮮明に思い出す。夏の国立競技場での彼のマジカルでトリッキーとも言えるプレイを。そのあと東宮に侯爵一家の一員として現れたこの人と少しばかり憧れた彼女。侯爵との会話が少しばかり上の空になったのは秘密だ。ただでさえ芸能人の好みなど公表してはいけません、と強くたしなめられていたのだ。この上歌手に対する憧れなどばれる訳にはいかない。たぶん弟には知られていたかもだが。
もちろん留学中の世話をこの人がしてくれた訳ではない。かの大学には新入生をフォローするためのファミリー制度があった。上級生たちが学生生活にスムーズに溶け込めるようにと世話を焼いてくれる古くからある仕組みなのだ。途中参加の私は制度外になるところだったのだが、そこに彼が手を差し伸べてくれたのだ。
英国以外の国々から多くの留学生が来ており、日本人も少数だが存在はしてきている。だが文化・習慣の違いは多々あるだろうし、上手く馴染めるかは内心心配していたのだが彼の都度都度のアドバイスは的確だった。
寮に入って三日程はほとんどつきっきりで面倒を見てもらった。
「懐かしいですね、この部屋には私もお世話になったのですよ」壁には歴代の住人達の落書きやポートレートなどがそのまま残っていた。旅行で立ち寄った人々のものもあった。
「これは、あなたをスケッチしたものですか」鉛筆で描かれた小さな肖像画がその中にあった。
「ああ、捨てられずに残っていましたか。懐かしいな」描かれたのは七八年前らしい「少々美化されすぎておりまして、家に持ち帰るのが憚れると思ったのです」確かにこれでは少女マンガだ。
私がここの学生生活に慣れていくと、反比例するように彼の訪問は減っていった。そのかわり何回か外出に誘われることになった。
単に車でのドライブだったり、ナイトショーの映画を観に行ったり、評判の舞台やコンサートにも行った。彼一人の時もあれば友人が一緒のこともあった。一度などD&Lのローリーとご主人であるデービッド・ロッキンガム氏が同席したこともあった。そのコンサート帰りに侯爵の屋敷に立ち寄り夜中まで感想を述べ合ったりしたのだ。その場には彼の夫人もおられて楽しく会話ができた。
短い留学期間が過ぎ春の休みに帰国していたときのことだ。
「英国とアルゼンチンが戦争になりました」とんでもないニュースが飛び込んできた。そしてそこで私の留学は打ち切りとなったのだ。
しかし驚くべきことはその後に入ったニュースだった。彼が従軍して大西洋の小さな島を目指したことだ。外務省は私との関係を把握しており、逐一状況を伝えてきてくれた。
彼の行動は英国でも話題に登っているようで、タブロイド紙などには侯爵家のサムライとして面白可笑しくだが好意的に書かれていた。
この武勇伝を直接聞く事のできる機会は来るだろうか。
私は残りの学生生活を日本で行い、無事卒業した。そして再び英国留学の機会がやってきた。
今日の空港には彼の姿はなく、出迎えは英国政府の正式なものだった。行き先はケンブリッジではなくオックスフォードであり、期間も二年間である。
「良い秋晴れだね」と随行の者に話しかけると「はいこのところ気温が低く心配しておりましたが本日は良い天気に恵まれました」とにこやかな返事が帰ってきた。
「インディアンサマーだね」と言ってみたが特に返事はなかった。