診察 6 サロン・ド・ナツコ
中学校から帰宅してみると家の中が妙に華やいでいる。これは、と思い様子を伺うと案の定母がお客様を接待していた。玄関をチェックすると四名様ご来場だな。
母は筋金入りのヅカファンだ。私の名前は菫子になっているし、しきりと音楽学校への入学を誘導してくるし。おかげで小さい頃からのお稽古ごとはピアノにバレエに声楽だ。それなりに楽しんでるから良いけれど。
でもこのまま音楽学校受験に突き進むというのもなんか抵抗がある。ここらで少し冷水を、と思って先日のことだが冗談を装って留学話を持ち出してみた。その時の母の反応ったらもう見ものだった。顔色が変わるというのはあの事だな。大喧嘩になりかけたのを居合わせた父と祖母にとりなしてもらって事なきを得たのだが。ちょっとこの方面の話になると母の行動力はあなどれないからなあ。どうしたものか。
兄が帰ってきているのはなかなかチャンスだとは思うんだが。
母は兄には弱い。
母はいわゆる後妻なので兄とは血がつながっていない。いわゆるなさぬ仲と世間では言うそうなのだが、私から見ても関係性には問題はないと思う。姑たる祖母ともうまくやっているようだし。
まあ言ってみれば家族全員が兄には弱いのだ、我が家では。強い弱いで言えばたぶん私が兄には強いんだろうけど。今でも兄は私を見ると抱き上げて高い高いをやろうとする。あのね、私もう中学生なんですけど、なまじ力持ちだから私ぐらい持ち上げるの平気なんでしょうけど、人前でやろうとするのだけはやめてね、特に友人たちの前ではね。
そんなことを考えていると不意打ちのように応接間(母はここをサロンと呼んでいるのだが)の戸が開いて兄が出てきた。
「おー。ちょうど良い所にいたな、ちょっと手伝ってくれ」有無を言わせず私を部屋に引きずりこむ。
中にはやはり大変派手派手しい人たちがいた。また今日の顔ぶれは豪華だな。いつも贔屓にしている組のトップさんプラス別の組の副組長さんまでいるじゃないか。
私も母の手前公言はしないようにしているが、母に隠れて「グラフ」や「歌劇」を常に熟読するぐらいのことはしているからね。さすがに目の前でお会いすると固まってしまう。
「あらスミレちゃん帰ってきてたの、こんにちは」こちらの緊張に気づいているのか気にしないのか、トップさんは気軽に声をかけてくれるのだがそのウィンクは止めてください。一部では子宝観音と異名をとっているこの方の男役としての色気は女子中学生の身には強烈すぎるんです。
「やめなさいよ子供をからかったりして」みかねた別のジェンヌさんが、かばうように私におおいかぶさる。やめてください貴女もたいがいなんですからね、私気絶してもいいですか。
「だめですよ菫子にはお手伝いしてもらうんですから」何故兄はこんな人達に囲まれて平気なんだろう、先年に亡くなった奥さんで美人には耐性が出来ているのか。いや、このひと達は美人とかそういう範疇でくくれる分類じゃないし。
兄に引っ張り出されて私は部屋の隅にある電子ピアノの前に座らされた。
「ちょっとメロディ拾って楽譜に落としたいんだ」そう言って兄はギターを使って歌い出した。なぜかとなりにいるのは副組長さんだ。デュエットではなくて兄が教えているのか、いや現在進行形で曲作りをしているのか。ひょっとしてこれが…。
私は二人の歌声からメロディを拾い楽譜に書き込む。一通りできたところで二人は少しずつ手直しをしていく。歌詞についてもそのつど変えていく。うーん、なんか腹が立ってきたな「どうしたのスミレちゃん、顔が怖いよ」トップさんがからかい気味に言うが今度は私もメロメロにはならない。
「聞いてくださいよ」それどころか、前に聞いたことがある兄の噂話を言ってしまった。
「ダイアナさん。死んじゃった奥さんなんだけど、昔知り合ったころに二人で一杯曲作りをしてすごく親密になったんだって聞いたことがあるんです」
「ほう、それはそれは。いつごろの話なの」
「なんでも、中学生のころにイギリスに行って…」私は兄の先輩さんで歌手をしている人から聞いた話をそのまま伝えた。先輩さんはダイアナさんの親友だったローリーさんから聞いたと言っていたからたぶん本当の話だ。
「へえ、君のお兄さんはそんなころから…」「それは、もう、天然ね」「あのミーさまがこれだものねえ」そうなのだ、二人はずいぶんと良いムードなのだ。
「これは参考になるな」はい?「使えるんじゃないか」「そうね、今度の口説きのところで良いかも」「演出の先生に提案してみよう、私もギターを持ってさ」「ああ、いいかも」
あー、この人たちもプロだわ、こんなことまで演技に活かそうというのか。いらぬところでスイッチを入れてしまったのか私は。気配を感じてふりむくと、カウンターの向こうで母が食い入るようにこちらを見ていた、口が半開きなのがだいなしだが。
もう決めたからね、私絶対に留学してやるんだから。