診察 5 三春さんの休日
この話は本編とは違う設定になっています。こちらのほうが書いたのが古くて、もともとのプロットではこんな感じになっていたわけです。
でも本編を書きすすめるうちに設定も変化して、このエピソードも使えなくなってしまいました。
そのまま消去してしまうのもさみしいのでここで使ってしまいました。
私が宝塚に行こうと決めたのはいつだっただろう。小学校の高学年の頃にはそのつもりになっていた記憶がある。理由は覚えていない。母はあまり興味がなかったと思う、たぶん生の舞台なんて見たこともなかったはずだ、お芝居全般にね。となると父かな、芸事が好きだったからなんらかの影響はあったのかもしれない。二人共私が宝塚を受験すると言い出しても反対一つしなかったから、逆に色々と聞いてみる機会がなかったのだ。
父は私がダンスや声楽のレッスンに通うことに積極的だった。芸事好きの面目躍如である。母はよく分かっていなかったのだと思う、宝塚に合格するとどうなるのかということを。
二回目の受験で合格を果たし入学の準備が終わろうかという頃になって「どうしても行っちゃうのかい」と涙を流した。もちろん十七歳の私に家を離れることに躊躇などなかったのだが。
身長もあったし、なにより憧れがあったので、最初から男役を希望した。本科を終え入団を果たした頃は一端の男役スターを目指していたのだ。壁にぶつかるまでは。
私達の同期は実は不作の年だったのではないかと気づくのにあまり時間はかからなかった。何年経っても自分のみならず、同期全体を見回しても目立つ人が出てこない。新人公演にしても大した評判にもならず、気がつけば下級生たちが次々とスポットライトを浴びているではないか。
こうなると早くも退団を選ぶ者も出てくる。
「ミーちゃんは頑張ってね、私達の最後の望みなんだから」などとつまらぬ遺言を残して去っていったのも一人や二人ではない。パッとしないなりにキャストにつくようにはなっていたのだ。男役として燕尾服をまとい列の端っこに並ぶ程度には。
それでもね。予科の頃憧れていたトップスターには程遠い事にはいくらなんでも気がつくよ。いるんだなあ桁の違う人って。もう憧れるしかない、あらためて。そしてサポートに徹するのだ憧れのスターたちのために。私はそういう気持ちでモチベーションを作っていった。だって私はやめたくなかった、この舞台から降りたくなかったのだ。
気がつけば十年が過ぎていた。驚いたことに私にもファンがつき、有ろう事かファンクラブまで出来ていた。スターさんたちとは規模が違うけどね。おかげであまり気をはらずにお付き合いが出来た。たまには差し入れもいただけるし、バレンタインにはチョコレートも届く。
「ミーちゃんがいるとノリが良くなる」「ドジってもミーさまがなんとかしてくれる」「あんたは芝居がうまいよね」
おお、いつの間にか私の立ち位置はそんなふうになっているではないか。
そして男役一筋十五年、私は副組長になっていた。もう私より年上は組長しかいない、他の先輩方は専科に行ってしまった。同期は他の組を見回しても数人しかいない。これでは私が退団するときに誰も花束を渡してくれないのではないか。
私は基本的に内弁慶だと思う。結構古株になっているので劇団の中では大きな態度も出来るのだが、一旦外に出るととたんに借りてきた猫のようになる。
ちなみに私は自分の愛称である「ミーちゃん」が好きなのだ。実は子供の頃に家にいた猫を私は「ミーちゃん」と呼んでいたのだ。だから「ミーさま」より「ミーちゃん」がいいのだが、ここらへんのことはファンクラブの人達にも言ったことがない。だから内弁慶なのだ私は。
今日も私は猫をかぶっている。休日のジェンヌのお出かけ先は、あまりパターンが多くはない。大体が人目につくからね、私などは練習に行くか、家でおとなしくしているかなのだが本日は大阪まで出てきてしまっている。
あまり知られてはいないが、ジェンヌ専用のサロンというものがあって、その一つにお邪魔しているのだ。要は普通の民家でお茶会をしているだけなのだが、ファンとの交流会とは違って身内だけのまことにだらけた集まりなのだ、ただしここのサロンは違う組のジェンヌさんのたまり場なので私としてはアウェイ感があるのだ。
「一度ミーさまを連れてきてって前から言われてたんですよ」組違いでも休みが重なったばっかりに連れ出されてしまったのだ。私は男役界の超便利屋さんだから同じステージに立ったことのある人は多い。いわば同じ釜の飯を食った仲間だからつい気を許したばっかりに連れてこられてしまった。マンションの前に車を乗り付けられては逃げようもない。
ああこの人結構ファンの中では有名人だ。特定のスターさんのファンというより劇団全体のファン活動に熱心な方で、サロンも主催してるんだよ確か。何てったかな、夏子さんだっけ。まさにその夏子さん運転のワゴン車で私は他のジェンヌさんたちと一緒に連れてこられたのだ、サロン・ド・ナツコに。
しかしツボを押さえたサロンではあるな。もちろん下品さとは無縁だが、無駄な高級感もない心地よい空間を普通の民家の中に上手に作っている。画集や写真集、レコードもたくさんある、あ、私の好きな人のアルバムもあるな。もう亡くなっているから日本では発売しないのかな、洋盤だものな。ちょっと聞いてみたいな。
大皿に山盛りのお菓子を前につい気を許した私は「これ聞いてもいいですか」とつぶやいてしまった。
しまった、初対面の人に。聞こえてしまっただろうか、どうか空耳だと思ってください。
「どうぞ良かったら聞いてやってください」ああ、やっぱり。ん、ちょっと変な日本語だな。夏子さんの息子さんらしいけど、さっきからお茶のサービスをしてくれたり「リクエストがあればどうぞ」と言って軽食のメニューを出してくれたりしている。
彼はオーディオセットにレコードをセットして音の調整をした。なるほどこれはこの歌手さんの追悼アルバムに違いない。彼女のデビュー時のポップなものから最近の民族音楽的なものまで網羅的に構成されている。音楽性としては無理があるがファンとしては持っておきたいなこれ。
「気に入っていただけましたか」
息子さんがティーポットを交換しながら聞いてきた。
「はい、とっても。でもこれ日本で発売されてませんよね」
「そうですね、そもそもアルバムとしてはどうかな、という作りですからね」そうなのだ、これじゃあまるで便乗商品だよ。まさか「ひょっとして海賊版ですかこれ、いけませんよ著作権は守らなければなりませんよ」しまった、つい強い口調になってしまった。ここはホームグラウンドじゃあないのに。
「ああ、すいません誤解を招くようなことを言って。大丈夫ですこれは私家版なんです、販売用ではありません」ん、それだって同じことじゃあ「ミーさま。いいんですよこの方はお身内ですから」はあ「たぶん著作権もお持ちなんじゃないかしら」なに、どういうこと。
「その方ダイアナの旦那さんですよ」ええええええええ。
その後の私はすっかり内弁慶モードに切り替わってしまった。もちろんホームグラウンドのである。
「なかなか今日のサロンは有意義だったな、ミーちゃんのあんな姿は久しぶりだよ」
「私もミーさまがあんなにお話になるなんて驚きました」
「昔はいつもあんなだったんだがな、なんか怖いものなしで、どんな役でもやってみせますみたいな」
「そうなんですか、そういえば私覚えてます。ミーさまの新人公演のころ」
「一体幾つだったんだよ、君年齢をごまかして入団したんじゃないだろうな」
「まあ失礼な。小学校の頃でしたわ、もちろん。子供心にもこの人は危ういなって思ったんです。ガムシャラで強引で、周りが見えてなくて」
「ずいぶん辛辣な小学生だな。でもまあそんなところだよ。あれではすぐに頭を打ってしまう。下手をすると二年で退団コースだったな。よく方向転換出来たよ」
「どうやったんでしょう、ミーさまは」
「多分だけれど同期に恵まれたんだな。芸は下手な学年だったけど結束は強かったよ。皆んなあの子に希望を託したんだろうな。皆んなで諭し皆んなで持ち上げそして支えたんだろうな」
三春はダイアナのアルバムを胸に抱き幸せそうな顔で寝ている。夏子の運転するワゴンが、三春が母と暮らすマンションに着くまではもう少し時間がかかる。
だから夢の中でダイアナとお話する時間はまだたっぷりとあるのだ。