診察 XX フジコの選択
「始まったぞ」
大型のモニター画面に中継の画像が映りアナウンサーの声が流れてきた。
どっと歓声があがるが、サッカー中継の時のような興奮気味のものとは違う種類のものだった。
行きつけのパブのカウンターでジョンはエールを飲みながらモニター画面を眺めていた。
自分のフラットで観てもよかったのだが、こういうお祭りごとは賑やかな環境で楽しむようにするべきかと思い出かけてきたのだが、同じように考えた者も多かったようで店内はほぼ満員だった。
「あの老人の着ているのもキモノなのか」
横で同じくエールのジョッキを片手にしている男が尋ねてきた。
「そうだ、ハオリハカマといって、儀礼的な場所で使われる正式な礼装だ」
「そうなのか、なんかカタナでも差していそうだな」
「さすがにそれはないだろう」
いや、儀礼としては有りなのかもしれない。そういえば腰のあたりに締めた帯に棒のようなものが挟まれているのがかすかに見えた。
ジョンは日本通としてここでは知られている。ロンドン大学の東洋学部で講師をしているのでアジア方面が話題になるときはデータベース代わりに常連たちから重宝されているのだ。
特に今日は専門分野が関係しているのでなにかと質問が多い。
「花嫁のスタイルはあれで良いのか」
「キモノでも正式なものはあるけれど、今日のところは花婿に合わせたんだろう」
画面に大きく写った花嫁は純白のドレス姿である。花婿は軍の礼装だからとりあわせとしてはこの方が良いのだろう。日本人の出席者はキモノとドレスが入り混じっているようだ。
日本文化を専攻して十年以上になるが、こういう公的な場でのキモノスタイルを見る機会は少ない。現場に行って、近くでじっくりと見たいものだが、ジョンの立場では望むべくもない。
モニターの大きな画面を食い入るように見ていると、一瞬知った顔が見えた。
(今のは……)
何年ぶりになるのか、だが間違いない。かつて半年ほどだが教室で机を並べた女性だ。名前は何と言ったかな、そうだエマだ。十年前とあまり変わってないな。
エマは花嫁の後ろに立って、なにか話しかけているようだ。立ち位置的には花嫁側の列席者なのだろうか。
モニターの画面が現場からの中継からスタジオに切り替わり、キャスターが二人で何事か話し始めた。
周りからは一斉にブーイングが起こる。
「なにやってんだよ、花嫁を映せ」
ジョンの隣からも声が出た。ジョン自身も同意見だが口には出さずエールを一口飲んだ。
キャスターたちが何をしゃべっているのかまったく判らないうちにまた画面が変わった。
おそらくコンサート会場で歌っている女性が大写しになる。ああ、これは。
「ダイアナだ」
またもや一斉に声が飛び交うが先ほどとは違う歓声だった。
「静かにしろよ、歌が聞こえないぞ」
お前がうるさいんだよ、とは思ったが口には出さなかった。そこにいた全員がモニターを食い入るように見つめていた。画面の下にテロップが流れ出した。
(1970年代初頭に歌手デビュー、当初はキャンディポップといわれるシンガーだったが徐々にケルト的な要素を取り入れた曲つくりを行い、ケルトの歌姫と呼ばれるようになった)
テロップに合わせるように、ステージで歌い踊るティーンの姿からしっとりと歌い上げる後年の成熟した歌姫の様子までシーンが切り替わっていった。
(若くして夭折した彼女には二人の遺児がいました。その一人が本日の主役フジコ・ハタノです)
画面には二人の子供を左右に抱き上げた男性のスチール写真が映っていた。
(父親はケンブリッジで走る魔術師と呼ばれ、ラグビーのイングランド代表にも招請されたトモノブ・ハタノ。彼はフォークランド戦争にボランティアの医師として従軍、ここではフライング・ドクターとして多くの命を救い、その功績によってガーター勲章を受勲。後にはアルゼンチン側からもアルゼンチン兵士の治療に尽くしたとして表彰を受けました)
グラウンドでパスをまわし、時には隙を突いて前へ突進する小柄な日本人の動画が流れた。ユニフォームからするとオーストラリアとのテストマッチのようだ。そしてスチール写真、それもかなり粗い映像で野戦病院らしきところで治療を行う姿に変わった。一転してヘリコプターが降りてくる動画になった。空母の甲板に着地したヘリコプターのパイロット席からあらわれる男は意識のなさそうな兵士を抱えている。
(彼は日本での大地震に際しボランティアドクターとして活動し、倒れ、ついに帰らぬ人となりました)
今度は崩落した高速道路、燃え盛る民家の映像が流れ、白衣姿で笑う彼の写真が大写しになり、そして再びキャスターの映像になった。
両親を亡くした兄妹は英日それぞれにある実家の庇護の下学業に励み、兄は学問の道へ、妹は社会活動への道に進むことになった。
再びスチール写真が幾つも切り替わり、兄妹それぞれの様子が映る。比率は妹のほうが多く、アジア・中東・アフリカそして北欧と世界各地で活動するフジコの姿が映し出されていった。
何枚かの写真には、大型の犬と小柄なアジア系の軍人らしい男性が一緒に入っている。キャスターは特に触れなかったがジョンは知識として知っている。多くの学校や最近では病院なども作っている有名な篤志家だ。フジコは彼らの活動にも参加しているようだ。
凍った湖らしきところでのお祭りに参加しているところがあるかと思うと、ずいぶんときらびやかな舞台に立つ姿もあった。
「すいません、途中ですが現場でなにかトラブルがあったようです」
あわてた様子のキャスターの姿が映り、そして中継映像にと変わった。
走り回る警官たち、花嫁と彼女を取り囲む女性たち、その前には先ほどの映像にも出てきた犬と軍服姿の男性がいる。その横に着物姿の老人が立っている。カメラが少し動き警官たちが誰かを取り押さえている様子が見えた。
画像が切り替わり、建物から花嫁が出てくるシーンが映った。録画のようだ。
ウェディングドレスのフジコと花婿が手を組んで現れ、参列者たちがそれに続いている。全体を画面に入れようとカメラが引いたところで走りよってくる男の姿が映った。手に何か持ち、叫んでいるようだ。警備の警官たちも対応できずにいる。
新郎新婦まであと数メートルというところで男が倒れた。その前には着物姿の老人が腰を低くして構えている。
「なんだ今のは」
「斬ったのか」
男はうつ伏せに倒れ動かない。そこへ大きな犬が飛び込んできて倒れている男の背中を前足で押さえた。周りから集まってきた警備の人々もあきらかに怒っている犬の様子に手が出せないでいる。
今度は軍服の男が現れ、犬をなだめるように話しかけている。犬は押さえつけた男の首を一噛みするとようやく離れた。替わって警備陣が押し寄せてカメラからはなにも見えなくなった。
「暴漢を日本の老人が倒し、狼のような犬が押さえつけたようです」
「あの方は花嫁の祖父ですよね」
「なにか使って倒したように見えたんですが」
角度の違う映像が出て、駒落としのようなスロー画面になった。
暴漢から花嫁を守るように立ちふさがる老人を正面から捉えている。腰を落として構えているところへ男が突っ込んでいく。
ぶれてよくわからないが男は手にビンのようなものを持っていた。それを投げつけようとしたところで老人が踏み込んだ。腰から何か棒のようなものを取り出し下から上に向かって振りぬき、すぐにそれを振り下ろしたように見えた。刃物ではなく黒っぽい短い棒にしか見えなかった。
とにかく頭部付近を打たれ、男はそのまま倒れたようだ。
現場のほうは大騒ぎになっているようだが、こちらの店内も興奮した連中が口々に何かを叫んでいてTVの音なんか全く聞こえなくなってしまった。
「女王が出てきたぞ」
隣から声があがった。
そりゃ、出ても来るだろうよ。孫の結婚式なんだから。




