診察 27 王家にて
「なんかしらんが気をつけて帰れよ」
わざわざ駅まで見送りについてきてくれた浩二が改札の向こうで手を振った。
フジコは無邪気そうに手を振りかえしている。タカノブはちゃんと立ち止まって一礼した。
坂道を下りながら浩二は、うちの母親たちのような暇人にはあまりかかわらないほうが良いぞ、と忠告してくれていた。そのことへのお礼と、このままでは近いうちに再訪するのは確定なので、せっかくの助言に応えられないお詫びを兼ねての礼だ。うまく伝わったかどうかはわからないが。
帰宅して今日の出来事を祖母に報告する。内緒にしておくという選択肢はない。そんなことをしても祖母はタカノブのうそなど簡単に見抜いてしまう。
「伊達に何年も接客業をしてはいない」と祖母は言う。祖父と再婚する前は、駅前で喫茶店をしていたそうだ。アルバイトではなく小さな店でもオーナーとしてだ。
祖父はたまたま散歩の途中でその店に入り、その後わずか数ヶ月で結婚に至ったそうだ。その数ヶ月の間、何を話していたのだろうと思い、タカノブは祖母に尋ねたことがあった。
「昔話よ」
驚いたことに、あきらかに祖母は照れながらそう言った。きっとその話の中にうそなど一つもなかったのだろうな。
「そう、美玲さんに会ったの」
さすがの祖母も、その偶然の出会いには驚きを隠せなかった。数年前に智信にたまたま紹介したことがあったがその後何事かがあったということもなかった筈だ。
「北野坂でねえ」
タカノブはずいぶん前から智信とダイアナが出会ったエピソードを聞いていた。それが神戸の北野坂だったことにはそう言われるまで気が付かなかった。
「それがもとでフジコがその豊田浩二さんに特別な感情でも持ったのならちょっとしたドラマなんだけどね」
確かにフジコは特別な感情を彼に持ったように思うのだが。
「あのね、最初はね、熊さんが現れたように見えたの」
「お話してるとね、なんかねパディントン・ベアーみたいなの」
「毛色がね、ちょっと違うんだけど」
何の話かというと浩二さんのことである。
結構仲良く会話していたのでこれは、とも思ったタカノブであったが、フジコは動くぬいぐるみを見つけたと思っていたようだ。
確かに、いまさら強さにあこがれもないだろう。兄妹の周りは強い人々と犬であふれている。今のフジコが惹かれるとしたら別の方向だろう。
「かわいいのよ、にいさま明日ぬいぐるみを見に行きましょうね」
そうだな。梅田の三番街でも行きますかね。
遅くなってから帰宅した父にこの話が伝わると、あろうことか父が動揺していた。
「えーと、豊田さんに王さんですか。それはまた偶然といいますか、なんとも……」
父が意味不明なことを言い、あまつさえ口ごもるなど初めて見る。
「そうですね、子供たちがお世話になったのなら一度お礼に伺わなくてはいけませんね」
タカノブから見ても、何やら一大決心を父が行ったように見えた。
次の休日に神戸に行くことになった。メンバーは兄妹に父と祖母である。またもや留守番となったエマとタローはすねるかと思いきや、意外と祖父に懐いていて、留守番にも妙に納得している。ここは自分のフィールドではないのだということかもしれない。
ともあれ初夏の晴れた日に祖母の車で神戸へと向かうことになったのだ。
一時の異人館ブームも去っているのだが、観光地としての北野一帯は、お店なども増加し年々賑やかさが増しているそうだ。
休日とあってそこそこ混み合っている道を駐車場に向かう。王さんの家につくと、近くの駐車場まで停めにいきましょうと美玲さんが運転席に乗り込んだ。祖母はあっさりハンドルを譲り、車を降りる。
「お前たちも降りなさい」と言って兄妹も降ろすと車は父を助手席に乗せたまま去っていった。
「こちらへどうぞ」と言って出迎えてくれるのは豊田さんだった。
とりあえず誘われるままに家の中にと残された一行は進んでいく。
家の主は不在だが、まずは挨拶を交わす。
「おば様、浩二さんはいらっしゃらないんですか」
いきなりフジコが言った。
「そうなのよ、私につきあうとなにかと仕事が増えるなんて生意気言ってね。反抗期なのかしらね」
「お会いできるのが楽しみでしたのに残念です」
「まあフジコさんは浩二のことが気に入ったのかしら」
「はい、私、浩二様大好きです」
「あらあらどうしましょ、いまからでも呼び出そうかしら」
互いの誤解について、タカノブは指摘はしないでおくことにした。もうすぐフジコと一緒にイギリスへ帰るのだし、このままにしておいても実害はないだろう、と判断したのだ。
「おや一番の功労者にお礼を言えないとは残念ね」
祖母の興味はそちらだったのか。
「まあそれはおまけよね」
違うようです。
父と美玲さんはなかなか帰ってこなかった。




