診察 20 タカノブの憂鬱
このところ孝信の周辺はなにかと慌ただしい。突然父が現れたかと思うと三日に開けず何処かに出かけまた帰ってくるという毎日である。それまでの祖父祖母との穏やかな日常が一気に賑やかなものに変化した。
はたから見れば祖母のサロンがあるだけで充分賑やかな家ではあるのだが、お館育ちの孝信からすれば落ち着いて勉学に集中できる理想的な環境だった。
してみると自分の父親という人は何かと周囲を騒ぎに巻き込む困った人なのだなあと結論付ける孝信であった。
そういえば初めて旅行に連れ出されたときも大変だった。旅行自体はほとんどが車によるもので、ただただ変わっていく風景を眺め、気がつけば雪と氷の国にたどり着いていた。
庭で遊んだり寝る前に本を読んでもらったりという母とのふれあいを持っていた自分と違い、妹はほぼベッドに寝たきりだった母しか知らなかった。それでも甘えたい盛りの妹は母の部屋に入り浸っていた。
母も目が覚めていれば楽しそうに妹の相手をしていた。時にはベッドに上がらせてちょっとした遊びもしていたようだ。だから妹はいまだにアヤトリやオリガミで孝信と遊ぼうとすることがある。こころよくお相手を務めるのも兄の役割だと心得ているから、一通りは出来るようになったぐらいだ。今でも考え事をする時にはついオリガミをしながらということがあるぐらいだ。時折祖母も面白がって一緒に新作に取り組んだりしてくれる。
そんな甘えん坊な妹と自分を連れて父は旅に出た。行き先も決めずに、ただ北を目指したようだった。
子供心に、ああこのまま母のもとにいくのかな、と思ったことを覚えている。一つのベッドに自分と妹を両脇にして眠る父の目に涙を見たこともあった。
そんな危うい旅も、たどり着いた北の町で変化した挙げ句に、犬という新しい家族が出来、帰英して終わりを告げたのだ。
あの時フランスまで自分たちを迎えに来たラジェシの顔といったら、言葉がなくても人は表情だけでも会話が出来るのだなあとしみじみ思ったものだ。その発見は館に帰り着いたときも繰り返された。
なんのことはない、自分も心を不必要に閉ざしていたのだ。
そして今日本にいる。
かなり怪しかった日本語の読み書きも上達し、学校の授業で戸惑うことも少なくなった。
友人も増え、クラスや学内での自分の立ち位置も確立出来て来た。
ところが今、その前提が覆られようとしていた。あろうことか父の手によって。
「じゃあ波多野さんは今日本に帰ってらっしゃるの」
「はい、大阪の実家におります」
「まあ、ご両親とご一緒なの」
「はい、それに長男もおります」
「あら、息子さんも。お幾つなのかしら……」
テレビの向こうで会話は続いている。
司会者が尋ねるままに答えなくても良いことまで話しているのは父だ。
父が来日してしばらくすると近況に気づいた人たちが次々と訪問してきていた。今テレビ番組に父と一緒に出演している人もその中の一人だった。
父の高校時代の先輩で、歌手としてのデビューを当時の父はサポートしていたらしい。というか今でも楽曲の提供などは続いていたらしいのだ。
日本にいるならこれ幸いとスタジオへ連れ出し、丸一日ほど父を独占した先輩さんはあっという間に新曲をリリース、もともとの地元である大阪でライブを行い、その会場から東京のスタジオへ生中継という流れでこの歌番組は進行していた。
あろうことか父はこのライブに出演していたのだ。先輩さんのデビュー時のメンバーの一人として。
もちろん他にも何人かミュージシャンがステージにはいるのだが、なぜか父はマイクの一番前でギターを抱えて歌った挙げ句、東京のスタジオからのインタビューを受けている。
なにしろ父が歌う画面ではわざわざテロップが流れていた。先輩さんとのデビューの話から渡英してケンブリッジに留学、母との結婚やら大学教授としての働きぶりまで、それはもう延々と流れた。
これ、自分の父のことだって丸わかりだよね。母を亡くして、イギリスから一人帰国して、大阪でなれない生活に苦労しながらストイックに勉学に励んでいる自分のイメージが丸つぶれのような気がするんですが違うかな。
「あらまあトーコちゃんも老けちゃったわねえ」
横でテレビを一緒に見ていた祖母が楽しそうにつぶやいた。大阪にいるなら遊びにくればいいのにって、そりゃ無茶でしょ。この先輩さんは紅白にこそ出演しないけど、アルバム売上が常に年間上位に顔を出す超大物さんなんですけど。
二時間ほどしたら父と一緒に先輩さん御一行がいらっしゃいました。
一応挨拶に出たら捕まって離してくれなくなりました。
「目元がダイアナそっくりね」と言って涙ぐまれたら邪険には出来ませんよね。
そのうち祖父も出てきて宴会状態です。もう早く寝たいんだけどな。しかし明日が憂鬱だな。
自分とってもかっこ悪いんじゃないかと思うんですけど。
母を亡くして一人ぼっちで日本に来て、孤高を気取っていたはずなのに、なんかイメージが……。
翌日の学校で何故かモテまくりました。特に女子から。
クラスや学年も関係なしに登校時から下校まで授業時間以外はとにかく常に囲まれました。いや授業中に先生の一人が父を雑談の話題にしたりしたのでもう心休まる時はなかったと言ってもいいよね。
もうイギリスに帰ろうかな。




