診察 17 手術
「それでは今日からのスケジュールを立てましょう」
そう言ってトモノブは三春の予定を聞き取りだした。このあといつまでに日本へ帰らなければならないのか。来年の公園までにはどういったことをやらなければならないのか。
もちろんまだ返答を保留中なのだから詳しい段取りはわからない。ただ公演そのものは日本だろうと外国だろうと基本的な準備は変わらない。初めて使う劇場だろうから裏方のやることは桁違いに多くなるだろうけれど。それでも三春は問われるがままにおおよそのことを答えていく。公演責任者に抜擢されるだけのことはあるのだ。
「じゃあこうしましょう」トモノブはにっこり笑って告げた。
「明日からアメリカです」
翌朝、ヒースロー空港から飛び立ったのはトモノブと三春、そしてアイリーンの三人連れだった。
さすがのアイリーンも色々と手続きに追われたので、無事旅客機が離陸した時は思わず神に感謝した。
「侯爵家がバックアップしてくださるなら、まずアイリーンさんをしばらくお借りします」
トモノブの要求はシンプルだった。自分だけならなんとでもなることでも、トモノブと三春を突然アメリカへ送り込むというのはハードルの高い仕事だ。その日のうちに某大学まで連れていき暫くの間滞在出来るようにすること。これが最初の任務だ。そしてその後もトモノブからの要求は続くことになる。
「そうね、望むところよ、トモ」先の読めない状況にわくわくするアイリーンであった。
トモノブの判断はこうだった。
「まず体調を整えられるようにしましょう」
かつての記憶では三春は数年後に心臓に変調をきたすことになっていた。ゆえにそれを予防すべく体調管理をしてきたのだが、最新のデータによれば不整脈が観測されていた。三春本人もそれに合わせて体力の急激な低下を自覚していた。
通常なら様子を見ながら投薬中心の対症療法を始めるところだが、三春も日本の主治医もそれには満足しなかった。現役の舞台に立つならそれでは不十分だと判断したのだ。
ならばそこからなんとかしましょう、というのがアメリカ行きの理由だった。
トモノブの記憶には発作で倒れた三春の心臓の状態が鮮明に残っている。ダイアナとは違って手術にも耐えられる心臓のはずだ。ただし普通の生活レベルならばだが。
「そういったことを望んでいるんじゃないですよね」そんなことならわざわざここまで来ませんよね、ということだ。ならば最新の治療を行いましょう。
「しかしドクターハタノは強引ですよね」
「下手なことは言うなよ、後ろで怖い目をして見張ってるからな」
もちろんわざと聞こえるように会話しているのだ。手術前の手洗い場で入念に手を消毒しているドクターたちの後ろに、手術着を着て手洗いの順番を待つトモノブがいた。
今から三春に行われる手術は「カテーテルアブレーション」という技法である。あと数年もすれば一気に世界中に広まるはずなのだが、今現在では開発チームのいるこの大学病院にしか実績がない。道具も術技も特殊なのでトモノブにも実施は不可能だ。
ゆえにトモノブはここに乗り込み三春への手術を直接依頼したのだ。
なにしろ太腿の動脈から専用のカテーテルを挿入し、心臓の特定部位に当てて一部を焼却、もって不整脈を根治治療しようという手術である。これなら術前術後の安静期間が少なく、結果もすぐに判明するという利点がある。
ただ乱暴に表現すれば、直接部位を見ることなく心臓に針金を突っ込むのである。術者の手元が狂えば心筋を突き破る危険性さえあるのだ。
だからバックアップとして心臓外科医が常に待機するのがこの手術の常である。
そして今回は当然のようにトモノブも参加していた。
もともとここのドクターたちとは学会での交流もしていたし、実は研究への提案や金銭的な援助も行っていたのだ。トモノブとしてもこの手術の見学は初めてではなかった。だからトモノブがスタンバイすると宣言しても彼らはあまり驚かなかったし、むしろ歓迎さえしていた。少しからかい気味に三春との関係を語る風潮さえ見せている。それが先程の軽口にもなった。
「あまりサムライをからかうなよ、ドジをふんだらハラキリものだぞ」トモノブのメス裁きの速さはここでも有名だった。
だがトモノブ自身が被経験者であるとはだれも知らなかった。そりゃ的確なアドバイスも出来るよな、とは内心の独白だ。なにしろかつては自分自身が手術されていたのだから。
道具が少し太いような気がするな、俺の時より。というのは感想の一つだ。
三春の血管は大丈夫だろうか。などと素人のような恐れさえ抱いてしまう。
三春の白い太腿にガイドがつけられ、手術が始まった。
「ご気分はいかがですか」
まだベッドに固定されたままの三春にドクターが声をかけた。
傍に控えていたアイリーンを介してドクターと三春とのやり取りは進んだ。
「いやあすべて順調で良かったです」ドクターとしても軽口で会話が出来るのは嬉しかった。
「なにか失敗でもしたらハラキリものでしたからね」横からナースも口を出した。
「後ろに彼が控えているというのはなかなかのプレッシャーでしたよ」
三春としてはどう答えて良いものか少し迷ってしまった。これは本当に冗談だけなのか、本音もあるのではないか。
「彼はサムライですからね、後ろからは切りませんから安心してください」アイリーンがにこやかに代わりに答えた。
ドクターは一瞬言葉に詰まってしまった。これはジョークだよな、イギリス風の笑えない奴だよな。
全員の会話が止まり、いわゆる天使が通った状況におちいった。




