診察 13 キャンディポップ
トーコのレコーディングはスムースに進んだようだ。
一通りの作業を終えて、帰国の前に屋敷へ遊びに来たトーコはご機嫌上々の様子だった。
「ちょっとコンセプトが変わっちゃったけどね」
プロデューサー的にはもっと今風にしたかったらしい。今風がどんなものかは私にはわからないけど。
オリジナルとカバーの二枚分録音が出来たとのこと。二回分を一回で済ませることになったのなら随分と経費の節約になったのだろう。そりゃ皆んな喜ぶよね。
「カバー曲があんなにあるとは思わなかった」
全部トモの曲らしい。名義を色々と変えているからわからないだろう、とは本人の弁。確かに名義ごとに曲調というか、カラーが違うからそうかもしれない。でもダイアナ絡みのものは自分の名前を出すと言ってたな。メモリアルのつもりかもしれないな。
いっそトモにプロデュースさせれば良かったのにね。
眼の前のドクターがくしゃみをした。
私は今、母と一緒に手術についてのカンファレンスを執刀予定のドクターから受けているところだ。
ドクターはアジア系の人で「ハタノといいます」と最初に合った時に言っていた。私が発音に苦労していると「トモでいいよ」と言ってくれた。見かけよりは優しそうな人だ。
母は執刀医が外国人だとわかると少し戸惑ったようだった。その後に病院の偉い人にそれとなく相談に行ったらしい。
「それがね、あの方は娘の症例ではかなりの権威らしいのよ」と父に話しているのを聞いてしまった。そういうのは人種的偏見ではないのか、少し私はがっかりしてしまった。
次にドクターと会ったときに私はわざと話題にした。
「何故ここでお医者様をしているの」と。
ドクターは私を見て、それからちょっと遠いところを見るようなそぶりを見せて言った。
「私はね、最愛の人を救えなかったんだ。だからね復讐かな、敵討ちってわかるかな。この病気の人を手がけることによって、この病気をやっつけたいんだよ。ここにいるのはここがその場所だからかな」
「ここ」と、ドクターはこの場所を強調して言った。この病院なのか、この国なのか、私にはよくわからなかったけど強い思いは伝わった。今ここで、と。
「だからね、君に手助けして欲しいんだよ。私の復讐の。ぜひ君の病気を退治させて欲しいんだよ」
私は「喜んでお手伝いします」と答えた。母はこのやり取りの間、目を白黒させていたけど、会話に口は挟まなかった。それなりに思うところがあったのだろうと思う。
ドクタートモがくしゃみをしたときに母はこう言った。
「お国では誰かが噂をするとくしゃみをすると言うそうですね」
トモは少し驚いたようだ。
「よくご存知ですね」
「調べましたの、少しでもドクターのことを理解しようと思いまして」
こともなげに母は答えた。そして。
「ドウカムスメヲヨロシクオネガイシマス」
私にわからない言葉で言ったのだ。
トモは大変驚いたようだった。
「手術中には私の噂をしないように友人たちに頼んでおきましょう」
それでカンファレンスは締めくくられた。
「ああそうだ」
追加で質問があった。
「何か好きな音楽でもあるかな。よければ手術室で流しておくよ」
麻酔で寝ていても聞こえるのだろうか。
「無意識下で聞こえているかも知れないし、私達もリラックス出来るかも知れないからね」
「それなら」私はちょっと前のポップスを幾つか候補に上げた。母も幾つか歌手名を出した。
だいたいアルバム一枚や二枚では時間的に足らないから沢山有ったほうが良いそうだ。一体何時間かかるのだろう。
病室に戻って私は母に抱きついた。
「お母さんありがとう」
母は偏見を持ってはいなかった。ただ娘の命を預ける人を理解したかったのだ。
「あのね、お母さんが言った人の曲もきっとかかるわよ」
私の知らない歌手の名前を言っていたのはどういうことだろう。
母は答えてくれなかった。
「あとでね」
手術はお昼すぎに始まり夜になって終わった。
私は病室に戻り、しばらくしていろいろなものを外されて自由に歩けるようになった。当分は病院の中だけだけれど。
窓の外を眺めながら鼻歌を歌っていると知らないおばさん(失礼!)が話しかけてきた。
「あらそんな歌よく知っているわね」
私の生まれる前の曲らしい。
「私の若い頃ね、ちょうど貴女ぐらいの娘が歌ってヒットしてたのよ」
歌手の名前を聞いてみると私も知っている人だった。全然曲のタイプが違うんだけれど。
「そうね結婚したぐらいから変わったのよ、民族調で、あれはあれで良かったわ」
随分前に亡くなった人だった。
この話を看護師さんにしてみると彼女はクスクスと笑いながら言った。
「あらまあ可愛そうに、手術中にあれだけ何回も聞かされちゃあね。麻酔がかかってても覚えちゃうかもね」
リズムを合わせて私の心臓を縫い合わせていたらしい。
本当かしら。
今度トモが来たら曲名をちゃんと聞いておかなきゃね。




