3 スタート
五分ほどで力尽きた自転車はのろのろと速度を落として道路からはずれると草原にひっくり返った。
「おい……大丈夫か?」
『はぁ――はぁ――はぁ――』
転んで怪我をした様子もないし大丈夫だろう。倒れた拍子にカゴから投げ出されたスマホも地面に刺さり難を逃れた。角でよかった……。
しかしあれだ……アンの顔が近い。くわえて赤い顔ではぁはぁと荒い息をはかれるとなんだかいけないことをしているような錯覚が……。
『はぁ……はぁ……わたし達ちゃんと……合体……できたかなぁ?』
「誤解をまねくからやめろ。あとお前と自転車は合体してないから」
ガクリとうなだれるアンを無視した俺は今後のことを考えてみた……。
どうやらアンがいる世界がファンタジーだということを認めるしかないようだ。それを前提にして考えるといろいろと絶望的な気分になる……。
しかし希望がないわけではない。何故だか繋がるスマホが生還の鍵を握っているように思える。感だけど……。
ともかくこれをうまく使えないものかと触ったりして悩んでいると重大な発見を――。
『うぐうぐうぐ――ぷっはぁー!』
「おい! なに飲んでんだよお前?」
『何ってお水だよー。ちょっと甘いやつー』
「そーじゃねぇよ! そのペットボトル鞄に入れてあったやつだろ?」
『そだよー』
「貴重な水をそんなぐびぐび飲みやがって……」
すでにボトルは空だった。熱中症で倒れられても困るが、安全で貴重な資源という認識があきらかに欠けている。幼なじみの浅はかな行動に辟易した。これは俺がしっかりせねばなるまい。
「いいかアン。現在お前のおかれている状況は非常にまずい」
『真面目なお話し?』
「そうだよ。そこに座れ」
砂利があるからだろうか、地面に直接座らずにしゃがみ込んでひざを抱える。不用意なパンチラはやめてほしい。やはり白か……。
未だに観覧者は俺だけだが、配信中だったことを思い出したようでふとももとふくらはぎの間にスカートをはさみこんだ。まだすこし見えているがゆっくりもしていられないので話しを進めよう。
「お前の考えていたとおりそこは異世界で間違いないようだ……ほらねって顔やめろ」
ムカツクが我慢だ。
「なので助けを呼ぼうにもどーにもならない。自力で帰ってくるしかないわけだ。わかるな?」
『うん。でもー……どうやってー?』
「それなんだがなぁ……」
バグだと思っていた地図だが、先ほどGPSの信号が地図にそって移動していたのを確認している。つまりこの地図がそちらの世界のものであることが証明された。そして……。
「地図を見てくれるか」
『わかったー』
てっきり目の前のスマホを手に取るかと思いきや、鞄の中からもう一台取り出した。
「何台もってんだよ?」
『二台だよー。こっちはデータ通信だけだけどー』
よく見れば以前使っていた一世代前の型だ。SIMカードだけ差し替えたのだろう。
『ひらいたよー』
「じゃあ縮小して西の方を見てくれか」
『はーい……あれーなにこのマークー?』
アンも気づいたようだ。ここから西の方角に移動した場所に旗のマークがしるされている。そしてそのしるしをタップすると……。
『ゴール? ゴール! ゴールって書いてあるよーみーくん!』
「ああ……俺もさっきみつけてびっくりした」
嘘か誠かここに辿り着けば元の世界へと帰れるらしい。何やら遺跡あとなのだと注釈までされていた。
「この情報を信用すれば帰れる……かもしれない」
『なら行こうー!』
即答かよ。昔から決断力だけはいい。何も考えていないだけなのかもしれないが、こんな世界でポジティブに前にすすめるならそれでもいいか。尊敬すらできるな。
『あーしわくわくしてきたよー』
「え?」
『夏休みはーこの子でーサイクリングするつもりだったからー丁度良いしっ』
「は? 何言ってんだお前?」
『異世界の名物とか食べ歩いたり観光名所をまわったり楽しみだなー』
「おお……」
アホだアホだとは思っていたがこいつは間違いなく本物だ。まさか異世界でモンスターに追われていながらこんな気楽に振る舞えるなんて……。
「お前そんな浮ついた気持ちで旅立ったら……死ぬぞ」
『大丈夫だよーきっとー!』
根拠はない。長年の付き合いでアンの考えていることはわかる。こいつは本気でサイクリングをするつもりだ。
どう見ても五百キロをこえるロングライドだというのにまるで気づいていない。こういうときは懇切丁寧に説明してやっても理解しないパターンだ。アンの頭はすでに観光旅行的な楽しみでいっぱいなのだ。ほら、お土産がどうのとか呟きだした……。
「おい……この世界の金もないんだぞ。土産どころか明日の食事も――」
『そうだよー。アルバイトしなきゃだねっ!』
「バイト?」
『こっちだとやっぱり冒険者かなー』
「正気か? さっきゴブリン相手に逃げたばかりだろ?」
『大丈夫だよー。武器さえあれば――ねっ!』
鞄か取り出したのはスプレー缶……。
「防犯スプレーか?」
『そうそう。さっきは忘れてたけどこれでえいやってやっつけるよー』
「よく知らんがそんなに効くのかそれ?」
『えっと……目に入ると涙が止まらなくなり、吸い込むと咳き込んだりくしゃみが止まらなくなるんだって』
「殺傷能力ゼロじゃねーか!」
『当たり前でしょー?』
「当たり前だけどさぁ……」
目がないモンスターとか呼吸器官がなさそうなやつに出くわしたらどうするつもりなんだ? ていうかその程度で倒せるわけもないし、こいつはそのへんのところを理解しているのだろうか?
そのへんのところを聞いてみると……。
『あーしは戦わないよー? これは護身用だよー。依頼は薬草採取とかにするつもりー』
「ああ……そうね。それならありかもね」
やっつけると言ってたくせに……。
まあいい。危険なことをしないならそれにこしたことはない。
「ならバイトしながらゴールを目指すってことでいいな?」
『はーい!』
嬉しそうな顔しやがって……。こいつは本気で楽しむつもりだ。俺が注意していなければあっというまに脱線しそう。しっかり手綱を握らなくては……。
地図を見るとここから十キロほど進んだ場所に街がある。まずはそこを目指すことに決めた。
こうしてアンと俺の異世界サイクリングがはじまったのだ。
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