「ダニッチ」~インスマスになれなかった町~
オカルト、伝奇小説のシーンで金字塔とされる『クトゥルフ神話』。
もともと多くの作品を手に取って欲しいと望んだラブクラフトが自身の作品の登場人物や地名など様々な名称を使い回すことを着想したのが始まりと言われる。
取り分け自由度が高く設定を可塑的に使用しても良い点が便利である。
例えば「クトルゥフは、ラブクラフトの空想の産物」と書いても良い訳である。
SWのファン作品で「ダースベーダーは、銀河帝国の宣伝の産物で架空の人物。」と書いたらファンに怒られること請け合いである。
さて、ラブクラフトの作品でも比較したいのが『ダニッチの怪』と『インスマスの影』である。
まず先行作品が『ダニッチの怪』で1929年に発表された。
これは、28年に書かれラブクラフト御大も自信をもってパルプ雑誌『ウィアード・テイルズ』に発表した。
御大の作品の多くは、出来栄えに満足せず死後に公表されるパターンが多い。
生前に発表されるにしても何度も改訂を繰り返している。
その中で『ダニッチの怪』は、異例のスピード・デビューを果たした。
実際、反響も良く高く評価された。
内容も御大の他の作品と違い、怪物と主人公側の活躍が明確に描かれている。
何より主人公、人間側が怪物に勝利するのは、御大の作品では、珍しい。
次に後発作品の『インスマスの影』は、1936年に発表された。
この翌年にラブクラフトは、死去しており、体調を崩した御大にダーレスら友人が掛け合って発表を計画したというエピソードが伝わっている。
こちらは、代表作と呼ばれるほどラブクラフトの宇宙的恐怖のエッセンスが強い。
まず『ダゴン』、『クトルゥフの呼び声』で著された怪物要素。
宇宙は、人間に対して無関心で無慈悲な態度をとっている。
太古の人知を超えた存在の前に人間は、為す術なく圧倒される。
キリスト教の人間本位の世界観を嘲笑する要素として宇宙の主役は、神と人間から怪物に置き換えられる。
次に『無名都市』、『狂気山脈』で描かれた古代文明。
やや重複するが文明を築くことができるのは、人間だけではないという要素。
特に『インスマスの影』の深き者は、人間と交配できるとされ、より異物感が無くなっている。
拒絶する相手に自分たちと同じ価値があるという世界観である。
最後に『壁のなかの鼠』、『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』など、挙げればキリがない血筋の要素。
自分が嫌悪している存在と血筋という逃れようのない点で結ばれているという恐怖。
避けようのない結末を血の繋がった者たちから予め知らされる絶望感。
やがて自分自身も嫌悪する存在と似通った行動や性質を表していく頽廃の自覚。
これらは、宇宙的恐怖という御大の語と共に多くの作品が部分的に共有している。
取り分け『ダニッチの怪』と『インスマスの影』は、似通った点が挙げられる。
まず舞台がマサチューセッツ州エセックス郡にあるということ。
これは、ミスカトニック大学のあるアーカムの近郊の衰退した田舎としてダニッチもインスマスも設定されたためである。
車があれば、このラブクラフトの世界を1日で見て回ることが出来る訳だ。
幸いにして地理的な点も作品で読者は、知り尽くしているハズ。
ニューイングランドに取り敢えず到着できれば、言葉が通じなくともインスマス、アーカム、ダニッチを横断できるだろう。
問題なのは、都会が中間地点なのでインスマスかダニッチに一泊せざる得ない点だろうか。
次に呪われた血筋である。
『壁のなかの鼠』のド・ラ・ポーア男爵家。
一連のシリーズの主人公、ランドルフ・カーターのカーター家。
『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』のウォード家。
いずれも主人公たちが歴史上の恐ろしい人物と血縁にあることが明かされる。
『ダニッチの怪』に登場するのがウェイトリー家である。
セイラム魔女事件を切っ掛けにセイラムから逃げ出し、ダニッチに移住した。
同じくウォード家に連なるジョセフ・カーウィンがプロヴィデンスに、ランドルフ・カーターの祖先エドマンド・カーターがアーカムに移住している。
この家系は、ネクロノミコンの部分的、不完全な写本を所有していることが特徴である。
というよりクロノミコンにまつわる魔術師の一族。
強いて言えばネクロノミコンのおまけ。
ネクロノミコンは、古代エジプトの神々に触れている書物である。
問題なのは、その中に蕃神の副王ヨグ=ソトトなどの召喚方法が書かれている点である。
ウェイトリー家は、ヨグ=ソトトの研究を行い、『ダニッチの怪』では、ウェイトリー家の老人が娘のラヴィニアをヨグ=ソトトと交配させるまでになっている。
ヨグ=ソトトは、外なる神、蕃神、旧支配者の中でも最強の力を持つとされる。
その上、他の神々より危険性が比較的、比較的に少ない。
このため万物の総帥アザトースより魔術師に信仰されている。
ラブクラフトの作品で最も活躍する神が、このヨグ=ソトトである。
『ダニッチの怪』は、ウェイトリー家、ヨグ=ソトトが物語の核となっている。
対する『インスマスの影』では、マーシュ家、ダゴン秘密教団が物語の核となっている。
マーシュ家は、オーベット・マーシュという人物を中心に展開される。
オーベットは、貿易商人として太平洋のポリネシアまで航海した。
海外で魔術の知識を蓄えたという点で『チャールズ・ウォードの奇怪な事件』のジョセフ・カーウィンと似ていると指摘される。
先行作品の『ダゴン』、『クトルゥフの呼び声』でも航海に出て怪物と出くわした船員が主人公になっている。
だが、オーベッドの場合、主人公ではなく作中では、故人となっている。
またラブクラフトの作品では、怪奇に出くわして、そのまま破滅するのが一連の流れになっている。
いわば、『インスマスの影』は、怪奇に遭遇した人物と、その後世界と言える。
オーベッドは、カナカイ族の酋長ワラキーと出会い海の魔神ダゴンとの契約の儀式を教わる。
彼は、儀式を実行して怪物・深き者と交配し、住民も差し出すように命令される。
やがて『インスマスの影』の主人公は、オーベッドの子孫であることが明かされた。
マーシュ家は、その後の様々なファン作品に登場した。
原作同様、主人公がマーシュ家の末裔というパターンやインスマスを支配する町の支配者としてオーベッドの子孫たちが活躍する。
挙句、マーシュ家とルーツを同じにするウェイトリー家のキャラクターも現れた。
インスマスも邪悪な信仰の拠点として広く取り上げられる。
ダゴン秘密教団も同じく数々のファン作品で登場した。
対してダニッチを舞台とする作品は、あまり耳にしない。
ウェイトリー家に連なる登場人物を採用する物語やゲームは、少ない。
どちらも発表と共に好評を博し、ラブクラフトの作品の傑作と呼んでも良いハズである。
しかし『インスマスの影』が今日まで広く知られ、深き者たちが信仰するクトゥルフは、クトゥルフ神話というラブクラフトの作品の代名詞にまで成り果せてしまった。
なぜダニッチは、インスマスになれなかったのか。
なぜヨグ=ソトトは、クトゥルフになれなかったのか。
なぜウェイトリー家は、マーシュ家になれなかったのか。
勿論、最後の点は、ウェイトリー家に限らない。
ラブクラフトの創出した家系図は、作品ごとに存在する。
カーター家、ウォード家、ピックマン家…。
他にも家系図を引こうと思えば、どこからでも血筋を持ってくることができる。
ウェイトリー家もダニッチで滅びた家系だけでなく方々に分家がある。
しかしオーベッドほど子孫が多い家系図は、ない。
ある意味では、もっとも子孫が多い架空の一族かも知れない。
個人的にこれは、オーベッドのキャラクターだと考えたい。
オーベッドは、故人であり『インスマスの影』には、登場しない。
彼の人物像は、街の酔いどれの老人が仄めかすだけである。
しかし実際に活躍の描かれないオーベッドは、自由に想像を膨らませることが出来、後発作品で肉付けがなされた。
ある時は、名誉欲でダゴンと契約した傲慢な実業家。
別のパターンでは、寂れていくインスマスを再興する動機を持つ人物。
時には、深き者から得た魔術知識を動員する魔術師である。
何といっても、あの醜い深き者との間に三人も子供を作っているバイタリティを挙げたい。
ウェイトリー家の枯れ果てた人々にはないエネルギッシュな人物像である。
オーベッドは、アメリカ人にとって第2次世界大戦より多くの戦死者を出した英米戦争、南北戦争を駆け抜けた。
貧困と混乱の時代、貿易商人として彼は、幾つもの船を所有してアメリカ東海岸から太平洋の反対側まで航海した。
この行動力やサクセスストーリーは、人間的な魅力だと思える。
衰退するインスマスに金の精錬所を作ったり、復興にも力を注いだ野心家である。
何よりマーシュ家がインスマスの支配者になっているというのも面白い。
深き者との契約も「上手く出し抜いてやろう」というオーベッドの思惑が伺える。
結局、逆に深き者にしてやられてしまうのだが。
この強かさも悪役の魅力だろう。
この魅力がオーベッドの子孫としてキャラクターを設定させる動機になるのだと思う。
エネルギッシュな野心家オーベッドによりインスマスも滅びつつある町ではなく、野心と陰謀の拠点として姿を変えた。
地上では、滅びつつあるとされながら海底には、多くの住民が住んでいる。
物語の舞台として取り上げられ、幾たびもの攻撃にあってもインスマスは、復興している。
またこれは、完全に御大の趣味なのだが、古い建物を見て回る空想が出来る。
まずヴィクトリア朝の建築物が見られる。
インスマスの南側は、新しく開発されているのだが、マニューゼット川の北側は、昔の繁栄を偲ばせる高級住宅地になっている。
上流には、工業地帯、下流河口付近の港の近くには、スラム街が広がっている。
ファルコン岬、悪魔の岩礁、町を囲む湿原、廃駅、ニューチャーチ・グリーンのダゴン秘密教団会館。
インスマスには、取材として旅行を繰り返していた御大の好古趣味が隠すことなく現れている。
ゲームやTTRPGでは、これらの場所が取り上げられる。
対するダニッチは、貧弱な廃村としてあるのみである。
特徴は、インディアンが儀式を執り行った遺跡、近親交配の習慣があるという点しかない。
わざわざダニッチに舞台を設定する動機が思い浮かばないのである。
何よりインスマスは、港町で海に近い点がある。
人間にとって海は、大量の水で阻まれた自由に行き来出来ない空間である。
そこに落ちれば死ぬ可能性もあることから死を想起する人もいるだろう。
記紀神話においても海の世界が登場する。
海は、人間にとって身近な異世界なのだ。
人間に制御できない巨大な存在。
身近にある問答無用の死。
クトゥルフは、宇宙というより海そのもののイメージなのだと思う。
上空100kmの真空は、やはり人間の視点からは、イメージできないのだろう。
最後にヨグ=ソトトとクトゥルフのキャラクター性も比較してみよう。
ヨグ=ソトトは、クトゥルフの祖父とされている。
といってもクトゥルフ神話の神々の家系図は、登場人間の家系図より煩雑である。
全ての神の血統は、総帥アザトースに辿り着く。
ヨグ=ソトトは、魔術師たちが研究する対象として力を貸してくれることが多い。
ラブクラフトの作品では、禁断の儀式がヨグ=ソトトの名のもとに執り行われる。
そのため、力を貸すといっても邪神、あくまで敵役としての登場が中心となる。
対するクトゥルフは、ルルイエで眠っているだけである。
夢のテレパシーで人間がおかしな行動を取る以外、接点はない。
何の御利益もないのだ。
しかし、これが宇宙的恐怖の端的なエッセンスと指摘できる。
つまり「神は、信奉者の存在など気にも留めていない。」ということがである。
この冷笑的態度こそ、クトゥルフ神話の最大のテーマと捉えべきだろう。
ヨグ=ソトトは、邪悪なりとも両手を広げて人間を迎え入れる用意がある。
ネクロノミコンなどで安全な接触方法なども確立されている。
挙句、人間と子供まで作っている始末である。
人間とラブシーンをやらかす神では、太古の人知を超えた存在として失格ではないか。
ヨグ=ソトトは、宇宙的恐怖から離れた凡百な邪神に過ぎないのである。
代わりを立てようと思えばサタンでもルシファーでも十分に務まる。
ラベルを張り替えただけの粗悪品とさえ断じても良いだろう。
クトゥルフは、ヨグ=ソトトに比べれば遥かに劣等である。
三次元空間に収まらず宇宙の外側に居ながら、その一部が太陽の何倍もの形で零れているヨグ=ソトトは、宇宙規模の怪物だ。
対するクトゥルフは、海水に包まれただけで身動き一つとれない。
オーボエのような神経を逆撫でする低い呻きも漏れない。
しかし肝心要なのは、人間との差異が天体クラスに達することではない。
両者の危険度である。
ヨグ=ソトトにとって地球も人間も取るに足らない。
誕生の瞬間に宇宙の終わりまで記憶している彼にしても意識することもない存在である。
しかし知られないということは、危険から逃げ果せる可能性が高いと見做すことが出来る。
対するクトゥルフは、いずれ目覚め地球を支配する。
彼の信奉者、深き者や眷属たちすらクトゥルフにとって彼が眠っている間に勝手に結成されたファンクラブとして不快と一蹴するだろう。
人間にとって逃れる術のない危険度である。
さて、ヨグ=ソトトと対等の力を持ち、クトゥルフにも増して危険なのがニャルラトホテプである。
こちらは、明確に人間を楽しみの目的で害することがある。
ただ、彼のコミカルな性格が、やはり太古の人知を超えた存在というイメージに結びつかない。
ラブクラフトの作品は、言ってみれば『インスマスの影』になれなかった作品が数多く散らばっている。
上記の通り、似通ったエッセンスを含む作品は、それまでに発表された。
『インスマスの影』とそこで活躍したクトゥルフとインスマスが広く知られるようになったのは、ここまでに書いた要素が盛り込まれたためと思う。
強烈なキャラクターを発したオーベッド船長。
アメリカ史を写し取ったような陰謀と頽廃の拠点インスマス。
そして人間の天敵クトゥルフとその信奉者たち。
この3つが『インスマスの影』で揃ったことが決定力になったのだろう。
『ダニッチの怪』のウェイトリー家、ダニッチ、ヨグ=ソトトは、貧弱で個性的な部分がまるでなかったのだ。
しかしラブクラフトは、『インスマスの影』を未発表のままに済ませようとした。
あるいは、この作品が世に顕れなければクトゥルフ神話の性格も若干、変わったかも知れない。
クトゥルフは、ただの怪物としてしか登場しないだろうし、マーシュ家のキャラクターは、オリジナルの家系図を引くことになるだろう。
物語も邪神ハンターが勇ましく対決する指輪物語のような類型が中心になる。
何よりクトゥルフと聞いて誰もがイメージする、あの港町の景色が永久に失われる。
ここからは、本題と無関係だが、もう一人なりそこないがいる。
ダゴンである。
ダゴンは、深き者の長老。
あるいは、全く別の宇宙生物と考えられている。
実は、ダゴンは、『ダゴン』において『クトルゥフの呼び声』に登場したクトゥルフより先に描かれた。
彼は、同じ海の怪物として設定されながらクトゥルフに、その座を奪われた。
『インスマスの影』では、逆にクトゥルフの眷属に零落している。
二つの作品も海で巨大な怪物に遭遇するという点では、リファインとも言える。
両者の差は、歴然。
ダゴンは、メソポタミアの神として伝承される神でラブクラフトのオリジナルではない。
対するクトゥルフは、ラブクラフトの創造物である。
実在の神の名前を組み込むことでクトゥルフ神話は、「あれ?この神は、本当にどこかの文明が信仰した神かも知れない。」と読者に印象付ける効果をラブクラフトは、狙っていた。
ダゴンは、邪神の崇拝者たちが、迫害を恐れ、その名を隠そうとして隠しきれずにキリスト教徒に知られてしまった”名伏しがたきもの”だったのだ。
そのためダゴンは、クトゥルフ神話の演出上の都合によってクトゥルフになりそこなった神なのである。
だが、彼がクトゥルフ神話全体に与えた効果は、大きかったと想像したい。