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三日目

「お……おはよう」

 僕が来てから5分ほど後に着席した富田さんに、勇気を出して挨拶をしてみた。因みに今日の富田さんは、なんちゃって制服って感じのファッションでこれまた可愛い。

(出会って三日で挨拶は、やっぱ早すぎか……?)

 などと考えている僕に彼女は、

「あ、おはよ」

 と、人の好さそうな笑みを浮かべて返してくれた。

 ステキな笑顔だった。

 それだけで僕は嬉しくなり、ニヤニヤしながら授業開始の鐘を聞いた。


***


 ……分かる。とてもよく分かる。

 昨日の予習が功を奏して、今日の授業内容は難なく理解できる。いつもはこんなことしないのだけれど、周りのライバルたち……というより富田さんに僕の理解力を顕示できるかと思い、僕は講師の説明にいちいち大きく頷く。楽しい。

 一方、富田さんはちょっと躓いているようで、額にペンのキャップの辺りを当てながら難しい顔をしている。可愛い。

 優越感と富田さんの可愛らしさを同時に堪能できた僕は上機嫌に授業を受け、食事休憩のための昼休みを迎えた。


***


 講師が教室を出ていった後、僕はメンチカツサンドを食べ始めた。講習期間中に利用している、この校舎の最寄り駅の中のデイ〇ーヤマザキで調達してきたものだ。うーん、安っぽい味がするなこれ。

 むしゃむしゃと咀嚼して、僕が二つ目のパンを食べ終えたところで、

「あの、浅間君」

 との声が右から聞こえた。因みに僕の苗字は浅間である。

「え、僕?」

 富田さんの方を向いて聞き返すと、彼女はこくりと首肯した。

「この、(三)の(ア)、教えて貰いたいんだけど、いい?さっきの授業の解説だと、よくわかんなくて」

 ………………。

 ……まさか本当にこんな機会があるとは……。これ、僕ならこの問題分かるって前提で訊いてくれてるよね?

「ちょっと待って」

 心の中では舞い上がりながらも僕は、できる限りのポーカーフェイスを保ち、自分のノートを取り出す。

「えーっと(三)の(ア)……ああ、これ難しいよね」

 最終的には解けたけど、僕も予習段階でかなり悩んだ問題だ。三時間くらい。

「分かんないところは色々あるんだけど、特に主語が……」

 おお、僕と同じところで詰まってる。なんか嬉しいな。

「主語は……まずは敬語から考えてみて。四行目がカギ」

「あ、この『せ』って尊敬の助動詞か。ってことは……」

 『四行目が』の時点で察しがついたらしい。頭の回転早いなこの子。

「そうそう、後は、リード文の……」

 ──そんな調子で、5分もかからずに彼女は疑問点を全てクリアした。

「ありがとね、浅間君」

「どういたしまして」

 そして、彼女はノートを仕舞い、弁当箱を取り出した。

 ……なんかあっけなく終わっちゃったな、会話。

 もうちょっと話したい……けど、話を続けて鬱陶しいと思われるのは嫌だな……しかも今ご飯食べてるし……いやでも勉強のこととはいえ、折角向こうから話しかけてくれたんだから、少しくらいなら……それに、今日と明日しかチャンスないし……そうだ、四日間のご褒美として、早めのお楽しみを貰っても罰は当たらないよな、いやしかし……。

 などと思考しているうちに、彼女は弁当箱を片付け始めた。はや。

 と思ったが、いつもつけている2000円もしなかった安い腕時計によると、彼女が食事を始めてから15分も経っていたことがわかった。どんだけ悩んでたんだよ僕。

「あの……」

「え?」

 うわ、いつの間にか僕は富田さんをじっと見つめていたらしい。彼女は不思議そうな目でこっちを見ている。

「どうしたの?」

 ……どうしたものか……。

 いや、これはチャンスだ。何でもいいから会話を繋げろ!

「あ、えっと、大学、どこ受けるの?」

 咄嗟に浮かんだ質問を口にする。我ながらけっこう適切な問いなんじゃないだろうか。

「――大学だよ」

「……へぇ」

 ちょっと驚いた。彼女が名前を挙げたのは、日本一賢い大学と評判の国立大である。

「目標高いなぁ……凄いね」

「そう?まあ、去年は落ちちゃったんだけど」

 富田さんは表情にやや暗い色を混ぜながら苦笑する。

「だから今年こそ、って頑張ってるんだよね、今」

 それでも、そう言う彼女の瞳には強い意志が宿っているのがわかる。

 ……かっこいい。

 彼女の魅力を目の当たりにして、自分の体温が上がるのがわかった。

「そっかぁ……僕も頑張んなきゃなぁ」

 予鈴が鳴る。

「うん、頑張れ。応援してるよ」

 ──マジっすか。

 応援された。

 応援された!

「……ありがとう」

 講師が教室に入ってくる。

 僕は、午前中以上に前向きな……というより、前のめりな気持ちで授業に臨んだ。


***


 三日目の授業が終わった。

 これでこの古文の講習はあと一日だけだ。今日までの三日間の学習だけでもかなり成果があったけれど、残りの一日で──

 ──できることを、全部やろう。

 そんなことを考えながら荷物を片付けていると、視界の端に水滴が映った。

「お」

 それは、窓に打ちつけられた雨の雫だった。そういえば今日は初日と違って眠くならなかったけれど、それは空が曇っていて、日光が当たらなかったからかもしれない。

 それにしても、今朝は殆ど雲なんてなかったのに、いつの間に降り始めたんだろう。僕は普段から折り畳み傘を一本持ち歩いている系男子だから平気だけど、今日は頭に鞄を載せて帰る人が大量発生するんじゃないだろうか。

 ……ということは。

 隣の席に目をやると、富田さんはちらちらと外を見ながらスマホを操作している。その横顔は、予想外の雨にふられて困っているように……見え、なくもなくもなくない。

 ……よし。

「富田さん」

 思いきって声をかけてみた。

「ん?」

「傘、ないの?僕は持ってるから、一緒に帰る?」

 そう言いながら、僕はリュックサックから折り畳み傘を取り出す。

 ぁあぁあぁあどうだ。流石に引かれるだろうか。

 すると、彼女ははにかむように言う。

「ああ、大丈夫。迎え頼めたから」

「そっか、それならよかった」

 そっか……それは残念だ。

「うん」

「……じゃあ」

 僕は教室を出て帰路についた。


***


 校舎のエントランスには、多くの学生がいた。帰ろうとしたところ、突然の雨のために帰ることができず、立ち往生している……そんな感じだろう。

 彼らと相合い傘をするつもりはないので、僕は一人で歩き出したが、その時正面から、何故か傘を二本持っている……大学生くらいの男性がこっちに向かってきた。

 顔は見えなかったけれど、僕のとは違って数万円しそうなカッチョいいシルバーの腕時計をしているのが見えた。

(何しに行くんだ……?)

 服装とかここに来る時間帯からして、彼が大学生であるという見立ては多分間違ってないと思うけど、何故予備校に大学生がくるのだろうか。

(いや……どうてもいいか)

 そんなことより、帰ってからの勉強の予定でも考えよう……。


***


 時間と集中力をたっぷり使って予習を終えた僕は、布団に潜りながら富田さんのことに思いを馳せる。

(また明日、会える)

 そう思っただけで、心臓が脈打ち、眠気はいっこうに訪れそうになかった。

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