一日目
当日、授業開始の二十分ほど前に教室に着いた僕は、廊下に掲示されていた座席表を確認し、窓際の後ろから二番目の席に腰を下ろした。なんか日が当たって眠くなりそうだな。気を付けないと。
筆記用具やらテキストやらを取り出していると、周りの生徒たちの会話が聞こえてくる。
──ついに始まっちゃったよ夏期講習……ダルい……。
──まあまあ、終わったらプール行くんだし、それまで頑張れよ。
──そうだなー。
呑気だなお前ら。夏休みは勉強しろよ。
また別の所では、
──あー、ドキドキしてきた……。
──何で?
──俺、この講習が終わったら、あいつに告白しようと思ってんだ……。
などと話している。こっちも呑気だな。ていうかフラグ立ってるぞそれ。
授業の準備を終えて一息ついていると、隣の席に誰かがやって来た。その人は机に荷物を置き、席に座る。
その瞬間、体が熱くなり、心臓が跳び跳ねた。
隣に座った女子から微かにこちらに流れてくる、なんかもう超良い香りのせいだった。
(匂いだけでこんなにドキドキしたの、初めてだ……)
そして、僕はつい彼女の方を向いてしまう。
サイドテールというのだろうか、頭の左側に一房の髪を垂らしていて、ノースリーブの水色のワンピースを着ている。
視線を離せず、彼女の白い肩の辺りを見ていると、
「あ」
僕の机の上に、筒状の筆箱が転がってきた。彼女が滑らせてしまったらしい。
「……はい」
僕はそれを手に取って、できるだけ自然に彼女に差し出した。その流れで、彼女と視線を合わせてみる。
「ありがと」
自然にこぼれたという感じの、その人懐っこそうな微笑みとは対照的に、僕は不自然なほど俊敏な動きで彼女から目を逸らした。
***
結局、その日の最初の数十分は授業に全く集中できなかった。僕の右隣に座っている彼女は(富田さんというらしい。テキストの名前の欄にそう書いてあった)左利きらしく、ノートをとろうとすると白い腕が視界の端でぴょこぴょこしている。黒板の方を見ても、あの甘く清潔な感じのする香りが漂ってくるのは変わらないし、多分そのスメルの源のひとつである彼女の綺麗な髪がやはり視界に映って、僕の集中力を乱してくる。
ようやくそれらに慣れた頃には僕は疲れきってしまい、案の定、日光につつまれてウトウトしてしまっていた。というかほぼ完全に寝ていた。
***
司会者が叫んだ。
「軽佻浮薄の五十音ビンゴゲーム、次の文字は……『ふ』!不幸の『ふ』です!!」
周囲でいくつかの歓声が上がり、僕の手にあるのと同じようなカードを持った人達が何人か移動していった。
……ビンゴゲーム?
ていうかケイチョウフハクって何。
また司会者が叫んだ。
「さあどんどん参りましょう!次の文字は……『さ』!差別の『さ』です!!」
再び、周りにいた何人かが、嬉しそうにしながらどこかへ消えていった。
なるほど。
どうやら僕は夢を見ているらしい。手元のカードを見てみると、何故かクロスワードパズルのように複雑に並べられた平仮名の列は……「ん」が出ないと、どれもビンゴにはならないようだ。なんだこれ。
「それでは次の文字は……『こ』!孤独死の『こ』です!!」
ビンゴが決まったらしい人々がぞろっといなくなる。気付けば、もう殆ど人はいなくなっていた。
「さてさて、次の文字は……」
いつまでやるんだろう、と思うと同時に、いつまでやっても僕のカードにビンゴは訪れないな、とも思った。
何故なら、司会者が言っていた「五十音」に、「ん」は含まれないからだ。
つまり、僕には最初から──
***
右肩をつつかれた。
「……?……!」
目を覚ました僕は、とっさに右に視線を向ける。
そこには、苦笑しながらペンの先を僕に向ける富田さんがいた。どうやら起こしてくれたらしい。
「……ども」
僕が小声で礼を言うと、富田さんは講師の方に向き直った。
(……わざわざ起こしてくれるとは)
まずい、惚れる。
***
帰宅中も、僕は富田さんのことを考えていた。
惚れる、なんて思ったけど、正直一目惚れだ。すでに惚れている。
でも、富田さんとはたまたまこの講習で隣の席になっただけで、残り三日の授業が終わればもう接点はない。流石に彼女とどうこうなろうとするのは無謀だろう。
それに、女子のことを考えたり、居眠りしたりで授業の内容が頭に入ってこないのは困る。今日はもう仕方がないとしても、明日からは富田さんのことなんて考えてないで、しっかり学業に集中しよう。
家に着くと僕は、とりあえず今日の授業でちゃんと聞いていた部分の復習を始めた。
すぐにわからない所が出てきた。
まあ当然といえば当然だ。予習も浅くしかやってなかったしね。
(しょうがない、明日質問しに行くか……)
昼休みにでも、講師室を訪ねてみよう。
明日の分の予習を済ませた僕は、母親の用意してくれた夕食を摂り、シャワーを浴びて布団に潜った。
(富田さん……可愛かったなぁ……)
……さっき決意したばかりなのに、もう彼女のことを考えてしまった。




