SS.名残り雪
階段を上りきったホームで電光掲示板を見上げれば、電車の到着までもう少し時間があった。
身の回りの物を詰め込んだ二つのトランクを足元に下ろし、乱れた呼吸を整えようと深呼吸をしたら、吐き出した息が白く濁る。
顔を上げれば、灰色の空から白いものがふわふわと舞い降りてきていた。
悴む両手をポケットに突っ込んだ瞬間、頬にいきなり熱いものを押し付けられて僕は文字通り飛び上がった。
「うわっ!?」
驚いて振り返ると、音大の同級生で親友であり好敵手であった彼女が仁王立ちしていた。
部屋着にジャンパーを引っ掛けただけの格好、頭には寝癖が立っていて、今しがた僕の頬に押し付けた缶コーヒーとパン屋の袋を手に持っていた。
「……わざわざ見送りに来てくれたんだ?」
「てゆーか! ギリギリまで何も言わないで、今朝になっていきなり大学辞めて実家に帰るなんてメール送りつけてくるなんてマジありえないしっ!」
「……ごめん」
音楽を続けるにはお金がかかる。でも、ずっと元気だった親父が急に倒れてこれ以上の学費を出してもらえなくなった。
それだけなら奨学金を申請するという選択肢もあったが、僕は長男だから実家に戻って家業を継がないと母や、まだ高校と中学の妹達が経済的に困窮することになる。
僕は、音楽を辞めるという選択肢を選んだ。
「あたし、あんたが作る曲大好きだったんだよ。あの書きかけの楽譜、完成するのすごく楽しみにしてたのに」
彼女がくれたクロワッサンをかじり、缶コーヒーを啜りながら、僕は「ごめん」と繰り返すことしか出来なかった。
やがて、到着した電車に乗り込んだ僕が振り返ると、閉じた扉の向こうで彼女は泣いていた。
ゆっくりと動き出す電車。
本当は、あの曲が完成したら告白しようと思っていた。
僕は、ずっと君のことが……。
泣きそうになるのを堪えてぐっと唇を噛み締める。
遠ざかるホーム。
彼女の姿も、思い出の詰まった街も、僕の夢も、雪景色の中に次第に埋もれて見えなくなっていった。
Fin.