虫の息
ある夜のこと。市立の総合病院に、一人の急患が運び込まれた。
患者は三十代の男性。交差点で交通事故に合い、意識不明の重体であった。
すぐさま止血と応急手当が施され、とりあえず一命を取り留めることには成功した。だがまだ予断を許さない状況。
そんなところに、男性の妻がやって来た。
「先生、夫は大丈夫なんでしょうか」
憔悴しきった様子の彼女に、医師は静かに頷いてみせた。
「なんとか一命は取り留めましたが、危ない状況です。旦那様はまさに虫の息といったところでしょう。ですが、ご安心ください。この状況から一息に持ち直す画期的な方法を、私は知っているのです」
「そ、そんなものがあるんですか?一体それは・・・・?」
「簡単なことです。キャベツをミキサーで液状にし、それを飲ませる。たったこれだけです」
医者は自身に満ち溢れた表情でそう言い切った。
「っ!ふざけないでください!」
「ふざけてなどいません。まあ落ち着いてください。ちゃんと科学的な根拠があるのですから」
「根拠?」
「最近の研究によって、体内には多数の微小な虫が住んでいることが発見されました。例えば、『腹の虫』。あるいは読書好きの方にのみ見られる『本の虫』等が挙げられます。古代の人々は直感的にこれらの虫の存在を認識し、様々な分野に応用していたのですな」
「はあ・・」
戸惑いながらも、女性は頷いた。
「つい先ほど、私は旦那様の容態を『虫の息』と言いました。これはまったくもって比喩なんかではない。言葉通りの意味なのです。人の生命の根幹をつかさどる『命虫』という虫が、事故のせいで弱ってしまっている。この虫を回復させることが出来れば、旦那様の容態は元通りになるはずです」
「では夫は・・治るんですね!?」
「もちろんですとも奥さん。簡単なことです。再生できるだけの十分な養分を虫に直接与えればいい。だからキャベツを使います。命虫はベジタリアンですからな」
はっはっは、と、笑って手術室に戻っていく医者を、妻は頭を下げて見送った。
※
だがしかし。三十分後に部屋から出てきた医者は、頭を抱えてうなだれているのだった。
「せ、先生」
不安そうに駆け寄った妻に対して、医者は首を横に振ると言った。
「申し訳ありません・・・・私の不手際です」
その意味を理解するや否や、妻は両手で顔を覆って泣き崩れる。傍らで、医者は誰にともなく呟いた。
「キャベツの産地を確認するべきでした。中国産だったのです」
「・・・・・だからどうしたんですか」
「・・・・残留農薬が強すぎた。あれでは食べた虫が死ぬのも当然です」