鏡の中の私
「それは……お前だっ! ってあんま驚かないね」
「まぁ定番だからね」
蒸し暑い夜。月が冷たく浮かぶ中、私たちは夏の定番として怪談話に興じていた。
外は人気がなく、ただ虫の声だけが響いている。
大学進学を機に都心から地方の片田舎へと今年の春に引っ越してきた。最初の頃は初めての一人暮らしを楽しんでいた私も、今は楽しさにも飽き、ただ大変さだけを感じている。
大学生活には満足も不満もない。多くはないが友人もできた。ただ、都心に比べ遊びの少ない地方の暮らしに、期待していた大学生活とは違っている現実に、少し刺激を求めたのは仕方がないことだと思う。
刺激と言っても危険なものではない。薬物や爛れた生活なんてものは一部のテレビニュースだけのもので、少なくとも私には無縁だった。
子供っぽいかもしれないが、今は肝試しの真っ最中だ。元々はキャンプしながら夜通し女子会を企画していたが、さすが私と友人関係を保てるだけはあって、華々しい恋の話もお洒落な話も持ちあわせてはいなかった。女子会は1時間も経たずに終了し、今こうして女三人で怪談するという流れとなった。そもそもキャンプ地と女子会という組み合わせをした時点で、私を含め女子会を何か勘違いしていると今なら分かる。
「もぉ~ミキったら、いくら定番でも驚くのがノリってもんでしょ」
「しょうがないよ。あたしだってその話聞き飽きてるし」
大きな声と同時に指さされた私の淡白な反応に、先程まで怪談話を披露していたユッコが不満を漏らし、それをチサがフォローする。
友人のユッコもチサも地元出身の学生だ。二人は幼馴染らしい。珍しい東京からの人ということで二人から興味を持たれ、大学が始まってすぐに仲良くなった。
「じゃあ、次はチサの番ね」
「うーん。あたしが知ってるのって大体話しちゃったし」
「私ももうネタなんてないよ」
「なによ、二人とも。仕方ないわね。次もうちが話すから、その間に何か思い出してよね」
「わかったわよ」
「これはお祖母ちゃんから聞いた話なんだけどね……」
――昔、第二次世界大戦の頃なんだけど、この辺りって疎開地として東京とかから沢山の人が逃げてきたんだって。
東京からと言っても、戦争中でしょ。実家に戻ってきても、農家だから多少は食べ物があったけど、それでもね。皆、お金とか服とか殆ど無い暮らしでとても苦しかったらしいの。
逃げてきた人の中には当然子供もいたんだけど、その中にとても夢見がちっていうか憧れが強いっていうか、まぁそういう子供がいたんだって。
その子はいつも手鏡を大事そうに持っていたわ。その手鏡に映る自分をお姫様になった自分と想像して遊んでたの。他の子供たちが外に遊びに誘っても、いつも一人で手鏡を覗いていたらしいわ。それこそ、朝から晩までね。
ある日の夜、いくら田舎と言ってもここが襲われなかったわけじゃないから、ここにも空襲が来てね。その子の家が燃やされちゃったのよ。
死んじゃったのかって? 違うわよ。いいから聞いてなさい。
当然、その家族は皆寝てたんだけど、空襲を知らせるブザーのおかげでなんとか命だけは助かったらしいわ。でも、やっぱり被害はあってね。その子の顔に大きな火傷ができたらしいの。ひどい火傷だったらしくて、痛みがなくなっても痕が残ったみたい。
包帯が取れた頃かな、その子はいつものように手鏡を覗いて、空想の世界で遊ぼうとしたの。でも、そこに映るのは醜く焼け爛れた顔。いくら空想でも夢に見るお姫様にはとても見えなかった。
何時見ても、何処で見ても、そこにお姫様が映ることはなくて、焼け爛れた顔が映ってたの。
それから数日後、やっぱりその子は手鏡を覗いていたんだけど、突然、「こんなの本当の自分じゃない」って叫んで家を飛び出していっちゃったの。
その子にとって、手鏡を通してみるお姫様の自分が本当の自分だったの。戦争によるストレスに耐えられなくて、空想に逃げ込んでたって言えば簡単だけど、その子にしたら今まで見ていた世界が失くなっちゃったんだから。
それから、村中の人で探し回ってその子を見つけたの。でも、もう死んじゃってたんだって。自殺か事故かはわからない。高い所から川岸に落ちてしまったの。川岸の石に頭を強く打ち付けて、顔はとても見れたものじゃなかったって。手鏡は懐深く入れられてて無傷だったらしいわ。もしかしたら、手鏡じゃなくて、川の水で自分の顔を見ようとしたのかもしれない。
真相は誰にもわからないけど――
「えっ。それで終わり?」
「違うわよ。もう、ミキったらちょくちょく邪魔しないで」
「ゴメン。東京から来たってところでちょっと親近感湧いちゃって」
「夢見がちってところも似てるかもね」
「チサ。私は別に夢見がちじゃないわよ。ただまぁ、そうね。ちょっとは似てるかもね」
「いい加減にしてよ、二人とも。話の途中なんだってば。それじゃ、続きいくね……」
――葬式の時、普通はその人が大切にしていたものとか、好きだったものとかを一緒に棺に入れて灰にするでしょ。
だけど戦時中でものがなくて、ましてや、いつも一人で遊んでた子だから、棺に入れるものがあんまりなくて。唯一のものが手鏡だったの。
最後まで大事にしていたものだからね。でも、棺に入れなかった。その子の家族にしたら手鏡がたった一つの形見だったから、燃やすなんてできなかった。
その手鏡はとても大事に飾られていたわ。お姫様を映すわけじゃないし、見た目も普通の手鏡だけどね。
しばらくした頃、戦争も終わって家族も東京に戻っていった。ただ、その子のお墓はこの地元にあるし、手鏡は実家に飾られたままだったの。
それから何年後かな。その家族に新しい子供が生まれて、ちょうどあの子と同じぐらいの年齢になった頃だと思う。里帰りで地元に来ていた家族は実家に泊まっていたの。そしたらね、夜、その家に子供の悲鳴が響き渡ったわ。
悲鳴を上げたのは新しく生まれた子供だった。鏡に知らない子が映ってたっていうの。その話を聞いた親は、あの手鏡だと思ったわ。手鏡に死んじゃった子が映ったって。
でも、両親が何度手鏡を見ても、そこに映るのは自分の顔だけ。何の変哲もない手鏡のままだった。そしたら子供がね、それじゃないって言うのよ。この鏡だって、手鏡と同じ部屋にあった鏡を指差したの。
その鏡には顔に火傷をおった子が笑いながら子供を見てたの。鏡の端に映っている飾られた手鏡と一緒に。
その後、その家族は実家の祖父母共々行方不明になっちゃったんだって。手鏡もあの子が映ってた鏡もどこかに消えちゃったらしいわ。
それからよ。この辺りで不思議な手鏡の噂が囁かれるようになったわ。その手鏡は単体だと普通の手鏡でいつの間にか手元にあるの。だけど、深夜0時丁度にその手鏡に人と鏡が同時に映っていると、その鏡からあの子が映った人を見つめているの。火傷のない綺麗な顔を焼け爛れた顔で、まるでお姫様を見るように楽しそうにね。
信じるか信じ――
「なんか似たような話聞いたことあるよ」
「ちょっとチサ、最後まで言わせなさいよ」
「あたしが聞いたのは3時33分の合わせ鏡で、鏡の世界と入れ替わるってやつ」
「私は4時44分で、十年後の未来だったかな。合わせ鏡に映らないと未来にいないってことで、十年以内に死んじゃうんだって」
「似たような話とかってやめてよ。ホントにお祖母ちゃんから聞いたんだから」
「あははっ」
私たちはどこかで聞いた怪談話を続けながら、キャンプの夜を過ごした。虫の声が聞こえないくらい、私たちの笑い声が響いていた。
***
キャンプからの帰り道、強い日差しが降り注ぐ中、私は一人自転車を漕ぎながら家路についていた。実家暮らしはこういうとき羨ましい。私は疲れた身体でご飯の支度をしないといけない。キャンプ地では微塵も感じなかった疲れが今は身体を強く蝕んでいる。
「今日はもう何もしたくないな。お弁当で済ませちゃおうかな」
疑問形で私は自分自身に提案しているが、心は既に決まっていた。自宅近くのスーパーマーケットに寄る。コンビニの方が家に近いが、距離と値段を分子に、私の疲労をそれぞれの分母において比較した結果、スーパーに軍配が上がっていた。
買い物を済ませ、スーパーの駐輪場に戻ると、自分の自転車の籠に何か入っていた。確か空だったのに、ゴミでも入れられたかもしれない。疲れた身体にこの仕打はないだろうと思い気落ちした。
自転車に近づくと、それはゴミではなかった。いや、ゴミかも知れないが空き缶の類ではない。綺麗な手鏡だった。
「ちょっとやめてよ。ユッコのいたずら?」
あたりを見渡して友人たちを探したが、誰もいない。もしかしたら、ユッコが飛び出してきて引っかかった~とか言うのを期待してみたが、待てど暮らせど私のところに来たのは血に飢えた蚊ぐらいだった。
でも、このタイミングで昨日怪談にでた手鏡が手元に来るなんて、ユッコのいたずら以外にありえない。電話で確認したいけど、否定されたら気味悪すぎる。今度あった時に突き返そう。そう自分に言い聞かせた。
家に帰った時には食欲は既になくなっていた。ワンルームの部屋に設置している小型冷蔵庫に弁当をしまう。
初めてこの部屋をみた時は自分のお城のように見えたが、今は少し散らかった部屋でしかない。一日部屋に帰らなかっただけなのに、そんな変わりようを改めて突きつけられる。
「もう寝ちゃおう」
まだ夕方にもなったばかりの時間だというのに、何かしようとする気力が湧かない。疲れもそうだが、この手鏡の気味悪さも一役買っている。
私はさっぱりするためにシャワーを浴びたが、熱いお湯を浴びて噴き出る汗に更に不快になった。濡れた髪もそのままに不貞腐れてベッドに横になると、すぐに瞼が重くなった。
***
「んっ」
汗のべたつく気持ち悪さとともに目を覚ます。夢をみた記憶はなく、ぐっすりと寝てしまったようだ。時計を見ると深夜2時30分頃を指していた。
「変な時間に目を覚ましちゃったな。流石に早く寝すぎちゃったか」
一度眠ったからか、食欲が湧いてきたものの、こんな時間に何か食べるわけにもいかない。もう一度寝ようと横になっても、目が冴えてとても眠れたもんじゃない。
肌に張り付く髪をどかしながら、この気持ち悪い寝汗を一旦流そうと立ち上がると、手鏡が目に入った。
改めて見てみると本当に綺麗な手鏡だった。今は気持ち悪さも感じない。疲れてて思考がオカルトに走っていたのかもしれない。
シャワーを浴びて今度こそさっぱりすると、増々気が大きくなる。怪談話からくる気味悪さより非日常への期待感の方が大きくなる。時計を見ると深夜3時前。ユッコが言っていた怪談の時間とも異なる。
「ちょっと試すだけだから。時間も違うし、何も起きないって」
独り言をつぶやくと、本当に大丈夫な気がしてきた。怪談といっても噂話の範疇だし、現実に何かが起きるはずもない。少しばかりの期待感とそれに反する拒否感をもって手鏡を掴むと、洗面台へと向かった。
洗面台の鏡を背にして、手鏡を覗き込む。手鏡には私の顔と鏡に映る私の後頭部が映っていた。
「やっぱり映らないか」
ゆっくりと手鏡を下ろす。時間が異なるとはいえ何も起きなかったことで、安心感と同時に拍子抜けた感じがした。私はがっかりしながら洗面所の電気を消す。
ふと視線を感じて、背後を振り向き、洗面台の鏡を見る。
「何もないよね。びっくりさせないでよ」
そこには暗い部屋の中、私の顔を映す鏡があった。鏡に映る私の顔は少しぼやけていた。気になった私は再度電気をつける。すると途端に鏡に映る私の顔ははっきりとした輪郭を取り戻した。でも、何かおかしい。
背後を振り向く。浴室へと繋がるスリガラスのドアしかない。もう一度洗面台の鏡を見る。
そこに私の顔は映っていなかった。顔に火傷の痕がある少女が笑っていた。
声を上げること無く、私は気を失ってしまった。
***
次の日の夕方、携帯が着信を知らせる。私は布団にくるまりながら耳元のマイク付きイヤホンを操作して電話にでると、携帯を遠くに投げ捨てる。
「あっ、ミキ。ごめん、電話に出られなくて。どうしたの。朝から何度も連絡してくれたみたいだけど」
「ユッコ。助けて」
「えっ。何?」
「あの手鏡の話、家族はどうなったの? あの子に見られた人はどうなるの?」
「ちょっと、どうしたの。手鏡? 手鏡ってキャンプの話?」
「そうよ! あの手鏡よ。朝からずっとあの子に見られてるの。部屋中の鏡から。ううん、鏡だけじゃない。私が映るもの全てから私を見てるのよ。お願い、助けてよ」
「なに、うちを驚かせようとしてるの?」
「違うわよ! ユッコ、お願いだからまじめに聞いてよ! ホントに助けてほしいの。嘘でも冗談でもないのよ。お祖母ちゃんからの話なのよね。何か聞いてないの。対策とか、何でもいいから聞いてないの」
ユッコもこちらの剣幕にのっぴきならない何かをようやく把握してくれた。
「わかった。お祖母ちゃんに聞いてみる。チサとそっちに行くから待ってて」
***
しばらくしてから、インターホンのチャイムが鳴る。何度も何度もチャイムが鳴った。埒が明かないと思ったのか、ドアノブがガチャガチャと音を立て、ドアが強く叩かれる。
「ミキ、大丈夫? うちとチサよ。ここを開けて」
「無理よ! ドアまで行けないの。あの子が見てるのよ!」
布団の中から大声で叫ぶ。既に外に逃げようと何度も思った。でも、ドアノブの金属部分からあの子が私を見ていた。とても楽しそうに。
「ミキ。よく聞いて」
ドアの向こうからユッコが叫ぶ。
「お祖母ちゃんから聞いてきた。手鏡だって。あの手鏡が原因じゃないのかって言ってた。手鏡を割るのよ」
「やってみる」
私の返事はユッコには聞こえていないだろう。囁くように返事をするとソロリソロリと布団を被ったまま這いずって移動する。もしこの布団の中に私が映るものが入ってきたら、あの子の笑い顔を見たら、私は怖くて動けなくなってしまう。
開け放たれたままの洗面所のドアをくぐる。この辺りに手鏡があるはずだ。おそらく洗面台の鏡からあの子は今の自分を眺めているだろう。
床を這いずる手元に硬い手応えがあった。私は何も見ずにその硬いものを掴み、床に叩きつける。ガシャンと何かが割れる音が聞こえた。
私は目をつぶり、身体中をぶつけながら玄関へと急ぐ。この部屋にはもう居たくない。被っていた布団は途中で投げ捨てた。
ドアにぶつかる。私は目を開け、チェーンロックと鍵を外し、ドアノブを掴む。一瞬、ドアノブに火傷のある少女の顔が見えた気がした。
ドアを開けると、そこにはユッコとチサが心配そうに立っていた。私は二人に飛びつくように抱きつく。
「ミキ、大丈夫だった」
「ゴメン。うちがあんな話しなければ怖がらせることなかったのに」
「ううん。来てくれてありがとう。ゴメン、ユッコ。電話越しに叫ばれてたよね」
「気にしないでよ。友達でしょ。今日は三人で過ごそう。うちの家でお泊り会しよ」
「ミキ、そうしようよ」
「うん、ありがとう」
ユッコ、チサ、ありがとう。こっちに来て初めてできた大切な友達に心の中で何度も感謝した。
***
翌々日の朝、家に帰る私を二人が心配そうに見送る。一泊だけのつもりが、楽しさのあまり二泊していた。流石にもう帰ったほうが良いだろう。
「ねぇ、ミキ。本当に帰るの。もう一泊ぐらいしていこうよ」
「あんまり長居するとユッコの家族に迷惑だろうし」
「だったら、あたしの家に泊まろ」
「大丈夫。もう大丈夫だから。ユッコのお祖母ちゃんも言ってたじゃない。幻覚だし、早く忘れろって」
心底心配そうに二人はまだ私を見つめていた。昨日の夜はユッコのお祖母ちゃんとも話をした。お祖母ちゃんは今のユッコほど私の話を信じていないのだろう。早く忘れることと言い含めて、どこか同情するような目で私を見ていた。友達の二人とは違う。二人は例え直接目にしていなくとも、あの怪談が真実だったことを察してくれていた。
家に帰り、部屋を見渡す。布団が投げ出されていたりと凄い散らかりようだった。だけど、火傷の痕がある少女の姿はどこにも見えなかった。部屋の鏡を覗き込むと、そこには私の顔しか映し出されていなかった。
事の始まりとも言える洗面所に目を移すと、洗面台の床に割れた手鏡が散らばっていた。
「ふぅ。まずは掃除しないと」
ふと洗面台の鏡を除くと私の顔が映っていた。
「きゃっ。驚かせないでよ」
鏡に映るその顔はビックリしたように変化している。そして、恨めしそうに、泣き叫ぶように変化している。
鏡が独りでにガタガタと揺れだした。私は咄嗟に大きめの手鏡の破片を握り締めると、洗面台の鏡に叩きつける。
「あなたなんて怖くないわ。だから驚かせないでよ。もうそっちになんて戻らないから」
私は改めて部屋を見る。解放された後だからだろうか、お泊り会の後だからだろうか。散らかっているワンルームが自分のお城のようだった。
だから、この部屋にすむ私はきっと。
部屋の鏡に映る私が恨めしそうにこちらを見ていた。
読んでいただき、ありがとうございます。楽しんでもらえたら幸いです。
気づいている人には全く無用なことですが、余談というか、真相というか、オチというか。
そういったことを一応書いておきます。
・ユッコとチサは幼馴染で同じ怪談話を昔に聞いています。
・怪談話について、ユッコとチサはそれぞれ違う箇所を間違って記憶しています。