第五幕 マガキ
こんにちは、お久しぶりです。葵枝燕でございます。
『妖捕ノ者』、第五話です。
本当に久々の更新ですね……お待たせしました。
今回は、前話の続きとなっております。
それでは、第五話の開幕です。
村は水底に沈んだ。家も、人を含むあらゆる生物も、残酷な美しい輝きを湛える水の底にいるのだろう。耳が痛くなるほどの静寂が世界を支配していた。
少年が一人、木の枝に腰掛けそれを見下ろしていた。背中に鴉に似た黒い羽を生やした、異形の少年だった。
「どうだ、清賀。これで満足か?」
異形の少年は、木の下で佇んでいる少年にそう声をかけた。
「満足だと? ふざけんな、こんなの……」
下から聞こえる声は、ただただ悲痛に歪んでいた。その声に、異形の少年は嗤った。おかしかった。ただただおかしくて、嗤いが込み上げてくる。自分でも止められなかった。
「どうして、晴乃を殺した!?」
「おれは、お前の願いを叶えたまでだ」
異形の少年は、嗤いをその顔に張りつけたまま言った。事実、異形の少年にとって少年以外はどうでもよかった。殺されようが、自死しようが、老衰で死のうが、興味も関心も湧かない。
「これが、お前の本当の願いだ」
「何で晴乃を殺したんだ!? 俺は、晴乃とこの村を出て行くつもりだったのに!」
異形の少年の顔から嗤いは消えない。
「お前はその女のことだって、本当は邪魔だったんだ。憎んでいたんじゃないのか? だからおれは、真っ先に殺してやったんだ。水に溺れる苦しみを感じないうちにな。そこは、優しさだと思ってくれないか?」
異形の少年にはわかっていた。晴乃という女に好意を寄せている一方で、少年がそれを諦めていたことを知っている。少年の内心に、恐らく周りの人々以上に気が付いていた。
「籬、お前は何様のつもりなんだよ!!」
「何様のつもり、だって?」
若すぎる、と異形の少年は思った。そしてそこで初めて、顔に張りつけていた嗤笑を消した。見た目こそ二人の少年は似ていたが、それでも全く別の生き物だ。異形の少年の背に生えた、闇の如く黒い羽がその証だった。
「その言葉、そっくりお前に返すよ。……忘れるな」
羽を拡げる。この場所に留まることが、異形の少年には苦痛だった。
「おれは、人じゃないってことを」
太い枝を蹴り、宙へと浮く。今はただ、少年から一歩でも遠く、離れた場所にいたかった。
それが無理だということは、彼自身がよくわかっていた。彼と少年の間で結ばれた紐は、それほどに固く纏わりついていた。複雑に絡んだうざったいものは、絆などでは決してない。そんな美しいものであるはずがない。それが、彼と少年を繋ぐものの正体だった。
異形の少年は籬、少年の名前は清賀という。
清賀の生まれ育った村は、その微かな片鱗さえ残さず、水の底に沈んでいた。
清賀の願いには、訊く前から気が付いていた。
周りから話しかけられ、それに応え、普通に暮らしている。そんな見せかけの自分を、清賀が常に演じていることにはずっと昔から、出逢った当初から、感付いていた。
籬は、人間とアヤカシの間に生まれた混血児だ。母親は既にこの世にいない。父親なぞ、どこの誰なのかさえわからない。籬が生まれてすぐに、父親は姿を消したのだ。愛したはずのアヤカシの女と、その間に生まれた子を置いて。当然のことだと、生まれたばかりの籬は思った。アヤカシとの間に生まれた子など、恐怖の対象でしかない。そう思えるほどの知能が、生まれたときには既に存在していた。
だから、清賀の願いなど、訊かなくてもわかってしまうのだ。アヤカシが見えることで好奇の目にさらされることを、清賀はいつも憎んでいた。同じ人間なのにどうしてそんな目で見るのかと、そう思ったこともあっただろう。
同じなのに。その部分に共感したのかもしれない。
アヤカシでも、人間でもない。微妙な中間点の存在な籬にとって、どちらの世界も窮屈で生きづらい。母親が死んだその瞬間から、籬はいつも独りだった。
どこか似た境遇の二人は、理解しあえなかった。度々、意見の違いで衝突をした。
それでも籬は、清賀の願いを叶えてやろうと思ったのだ。村を出たいと言うその裏側で、彼が本当に叶えたかった願いを。
とある家の前で、籬は足を止めた。あまり上等な造りでない家だったが、そこが清賀の密かに想う相手の家だと、籬は知っていた。
「どなたでしょう?」
扉を叩くと、中から顔を出したのは少女だった。この娘が晴乃か、と籬は直感した。顔の造型は悪くないな、とも思う。
「少しお訊ねしたいことがございまして」
「何でしょう?」
「清賀という少年を知っていますね?」
少女は目を数回瞬かせた後に、小さく頷いた。
「彼を、どう思いますか?」
少女は目を見開く。
「それは、素直に言ってよろしいのでしょうか?」
どこか迷っているような口調で、少女は言った。同時に周りを見渡す。
「どうぞ。誰にも言いませんから」
「それなら……」
そう言って少女は口を開いた。その口から迸り出た言葉の数々に、籬は思わず我を忘れた。
「嫌いだわ、あんな人。気味悪いもの。変なものばかり見て。しかも、あたしのことを好きだなんて迷惑だわ。あたし、来年の春には庄屋の御子息と結婚するんだもの。ああ、本当に嫌だわ。どうしてあんな人と同じ村にいなきゃならないのかしら。ところであなた、あの人の知り合いか何か?」
ああ、そうか。この娘も結局、周りの奴らと同じなのか。そんな落胆と同時に、別の黒い感情も湧き上がってくる。
「ええ、まあ。そんなところですよ」
そう言いながら、籬はそれを取り出した。闇色をした刀が、彼の手に握られる。籬はそれを、目の前の女の腹に突き立てた。その動作には、一分の躊躇いも感じられなかった。女は声もなく倒れる。息はもうしていないだろうと、籬は触れもせずに判断した。
もしあの女が清賀を好きだったとしたら、そう答えていたとしたら、籬は別の行動を取っただろう。生かしておいたかもしれない。
まあ、もう殺した後なのだ。どれだけ考えようが後の祭り、意味のないことだ。
そんなことを思いながら、籬はとある木の上に立っていた。清賀が茫然と村を見下ろしている様子がそこからはよく見えた。
「籬じゃないか」
自分の名を呼ぶ声に、籬は顔を上げる。栗色の猛禽類が、大きく羽を拡げていた。
「翅榠さん」
翅榠と呼ばれたその鳥は、籬のすぐ隣の枝に留まった。籬はすぐに、翅榠の違和感に気が付く。籬に見せている左側の顔、そこにあるはずの鋭い目が無い。最後に顔を合わせたのは三百年以上前だったが、そのときには両目とも存在していたはずだ。
「目は、どうしました?」
訊いていいのだろうかと内心で思いながら、籬はそう問うた。翅榠は何の反応もせずに、嗄れた老人の声でこう答えた。
「失くしたよ。式に降るなら身体の一部を置いていけ、とさ。酷い話だと思わんか?」
「貴方ほどのアヤカシが式に? 一体どんな人間です?」
ただの鳥に見える翅榠だが、それは見せかけの姿だ。彼曰く、「鳥の姿の方が色々と都合が良い」とのことで、籬の知る限りここ五百年はこの姿のままだ。
「支部長補佐をしているよ。もうすぐ――そうさな……十年以内には支部長になるだろ」
そこで翅榠は顏を籬へと向けた。
「それで、何故こんなことをした?」
「……何の、話でしょうか?」
「誤魔化すな。これは、お前がやったんだろう? まったく、隠居したというのに駆り出された、儂の身にもなってくれ」
ああ、この鳥の姿のアヤカシは、自分の所業に気付いているのか。そのことに籬はただ、言い様のない嬉しさを抱いていた。
[人物等の説明 ~第五幕編~]
●籬
父親は人間、母親は鴉天狗という、混血児。清賀の式。
黒い羽を変化させ、刀を作ることができる。
○清賀
人間の少年。
アヤカシを見ることができる。しかし、その能力のせいで孤独感を抱えている。
両親は彼の能力に気が付き彼の元から去って行ったため、母方の祖母に育てられた。が、彼女の死後は一人で暮らしている。
○晴乃
人間の娘。
清賀が密かに想いを寄せていた相手だが、彼女自身は清賀のことを嫌っていた。
庄屋の息子との縁談が決まっていたが、籬の手により殺される。
●翅榠
鳶の姿をしたアヤカシ。榁宍の式。
元々は死の使いだったが、式になるにあたり彼曰く「引退」した。その際に、左目を失っている。
主人であるはずの榁宍をからかうのが趣味である。しかし、榁宍を見下しているわけではなく、彼の実力は認めている。
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[あとがき]
ただ和風な名前にしたくて、“晴乃”って付けたのですが、なかなかいい性格してますね。同じ読みでも“晴野”と悩んでいたみたいです。
籬は、猫又がいるなら鴉天狗も出したいという思いから生まれました。名前の“籬”は「低い土塀」を指す言葉です。漢字がかっこよかったので付けました。彼には、幸せになってほしいのですが……。
翅榠さんは、だいぶ前から構想を練っていました。やっと、初登場です。いつか、榁宍さんとの絡みも書けたらいいなと思ってます。
[次話予告]
次回「第六幕 キリョウ」は、今回の続き(というか過去編?)となります。お楽しみに!!