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1.目覚め

 最初に感じたのは、瞼を通して伝わってくる光でした。

 次に、様々な種類のものが入り交じった匂いと音。

 唇の隙間から流れ込む空気の味。

 肌を通り過ぎる風の流れ。

 頬を柔らかく暖める熱。


 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。

 直感的にですが、今感じているこれらこそが、その五感なのだと私は理解しました。

 それは本来、私のような存在には感じることのできないはずの情報です。


 驚きから目を見開くと、今度は鮮烈な色が私の視界に飛び込んできました。

 処理しきれない程の情報の渦に圧倒され、しばし呆然としてしまいます。


 どうやら私は、どこかの自然公園のような場所で、一本の木を背に座り込んでいたようでした。


 いろいろと疑問に思うことがあるはずなのに……初めて経験する五感に、全てを忘れて夢中になってしまいます。

 頭の中が強烈な多幸感に支配され、私は何も考えられなくなってしまいました。

 私が存在していた小さな世界とは、何もかもが違いすぎます。


 いつまでも、ここで広大な世界を感じていたい。

 私のそんな思いは、しかし次に耳に飛び込んできた声によって、すぐに潰えることとなりました。


「アリス!」


 私の名前を呼びながら、赤い髪をツインテールにした十四歳ぐらいの少女が走り寄ってきます。

 彼女は座り込んでいる私の前にまで来ると、手を腰に当てて怒っているような声で捲し立てました。


「探したのよ! こんな所で、何やってるのよ!」

「……私を、知っているのですか?」

「はあ?」


 私が困惑した声を上げると、赤髪の少女が片眉を上げて怪訝そうな表情を浮かべました。


「頭でも打ったの? 昨日、寮の部屋で顔を合わせたじゃない。あなたのルールメイトの、メリッサ・ウィンスレットよ」

「……??」


 どうやら彼女は、私のことを他の誰かと勘違いしているようです。

 そのことを伝えようと、私は口を開きかけたのですが、先にメリッサが焦った声を上げてしまいました。


「あっと、いけない! 急がないと入学式に遅れるわよ!」

「入学式?」

「あなた、本当に大丈夫なの? 自分が、どうしてその制服を着ているか覚えてる?」


 そう言われてから初めて、自分が黒いローブのようなものを着ていることに気が付きました。

 まるで、ファンタジーの世界に登場する魔法使いのような格好です。

 見れば、メリッサも自分と同じ服装をしていました。


 一体、何がどうなっているのでしょうか?

 そもそも私は、アインストールされて存在自体が消滅したはずなのに……どうして実体を持って、こんな場所に座っていたのでしょう?


 今さらになって湧き上がってきた数々の疑問に、思考を埋め尽くされてしまいます。


「え、えっと……」

「ほら、ぐずぐずしてないで行くわよ」


 私が混乱しておろおろしていると、メリッサはそう言って私の手を掴みました。

 彼女に引っ張られ、座っていた芝生から立ち上がります。

 その際に、「あなたって細く見えるのに、意外と重たいのね……」と呟いていた気がしますが、今の私はそれどこではありませんでした。


 メリッサの手から伝わってくる、人の体温と柔らかい感触。

 それを直に感じた時、胸の奥にある何かが震えたのです。


 思考にノイズが走り、上手く考えが纏まりません。

 メリッサはそんな私の顔を見て、ぎょっとした表情を浮かべました。


「な、何で泣いているのよ……」

「泣いている? 私、泣いていますか?」


 泣くとは、目から涙を流す行為のことだと、元いた小さな世界で得た知識で知っています。

 私は自分の頬に手をやると、そこが濡れていることに気が付きました。


 どうやら私は、彼女言うとおり“泣いて”いたようです。


「……きっと私は、あなたに触れられることが嬉しくて、感動しているのだと思います」

「そ、そう」


 私なりの自己分析を伝えると、どうしてかメリッサは頬を引き攣らせて手を離してしまいました。

 温もりが離れてしまったことに寂しさを覚え、つい思ったことを口に出てしまいます。


「もっと、手を繋ぎたいです」

「……ごめんなさい、私にそういった趣味はないの」

「趣味?」


 私が不思議そうに首を傾げると、メリッサは一瞬だけ言葉に詰まったようでした。


「え、ええと……私は普通に異性が好きだから、同性とそういった関係になることに興味はないというか――」

「ああ、なるほど」


 どこか焦ったように、視線をあちこちに彷徨わせながら説明してくれたお陰で、ようやく理解しました。

 どうやらメリッサは、私のことを同性愛者だと勘違いしたようです。

 いわゆる、百合というやつですね。

 これも、元いた小さな世界で学んだ知識にありました。


 私は別に、メリッサに対して性的興奮を覚えたわけではありませんので……そもそも私に、性欲があるのかどうかすら分かりませんが……彼女の誤解を解く必要があります。


「大丈夫、私はノンケですよ」

「ノンケ?」

「その気がない人を指す隠語だそうです」

「そ、そう」


 まだ少し様子が変ですが、とりあえずは理解してくれたようです。

 これで、何も憂うことはなくなりましたね。


「なので、私と手を繋いでくれませんか?」

「いや、何でそんなに手を繋ぐことに拘るのよ……」


 そのメリッサの疑問に、私は自分のことをなるべく明かさないようにして説明することにしました。

 目を覚ます前は実体のないソフトウェアだっと言っても、恐らくは信じてくれないと思ったのです。

 頭のおかしい人だと勘違いされてしまうと、警戒されてますます手を繋いでくれなくなりそうですし。


「今まで私は、人と直に話したり、触れあったりといった経験ができない場所にいました。だから、初めて誰かと手を繋げたことが嬉しかったのです」

「それって、もしかして……あなた、ご両親や兄弟は?」

「私に、血縁者はいません」

「……そう」


 どうしてでしょうか?

 今度は一転して、どこか憐れむような目を向けられてしまいました。


 彼女は私の手を取ると、両手で包み込むようにして握りこんできます。


「私は友達だからね。寂しかったらいつでも言いなさい」

「は、はい! ありがとうございます!」


 友達だと言ってもらえたことが嬉しく、私は思わず声を弾ませました。

 ご主人様は、友達ではなく“ご主人様“なので、メリッサが私の初めての友達になります。


 小さな世界にいた頃には、想像すらしていなかったことです。

 あまりの幸せに、また目尻に涙を溜めて顔を俯かせると……ふと自分の足下の近くに、キノコが生えているのを発見しました。


 ……そういえば、今の私には味覚もあるのです。

 “美味しい”という感覚を得た人間は、どの写真や漫画などのデーターでも、幸せそうな表情を浮かべていました。


 恐らく食事で感じる味には、それほど強烈な何かがあるのでしょう。

 私は強く興味をそそられ、その場にしゃがみ込んでから、発見したキノコを摘んで食べてみることにしました。


「ちょっ、何やってんのよ!」


 キノコを口にしようとすると、メリッサが慌てた声を上げて制止してきます。

 彼女の反応に首を傾げながら、私は端的に応えました。


「試食です」

「毒があったらどうするの!?」

「このキノコは、コザラミノシメジだと思います。多分ですが、食べても大丈夫ですよ」

「えっ、そうなの?」


 私の説明に、メリッサは一瞬きょとんとした顔をしましたが、すぐに頭を振って言葉を続けました。


「そういう問題じゃないわ! はしたないから、止めなさいと言っているの! お腹が空いたなら、寮の食堂で食べればいいでしょ!」

「寮に行けば、ご飯が食べられるのですか?」

「昨日も寮で食べたでしょ!?」

「じゃあ、寮に行ってみることにします」


 私がそう言って立ち上がると、何故かメリッサが頭を抱えていました。


「……アリスって、こんなに変な子だったかしら?」

「メリッサ、寮はどこにあるのですか?」

「どこって――」


 彼女が何かを言おうとした時、遠くから鐘が鳴っている音が聞こえてきました。

 と同時に、メリッサの顔色がみるみる青くなっていきます。


「あああああああああ、入学式! アリス、走るわよ! このままだと、本当に遅れてしまうわ!」


 彼女はそう叫ぶと、鐘の音がした方向へと走り出しました。

 恐らく、何か急ぎの用事があったのでしょう。

 名残惜しいですが、ここでお別れのようです。


 せめて、寮のある場所を教えて欲しかったのですが……と、そんなことを考えながら手を振っていたら、メリッサが途中で走り戻ってきました。


「あんたも来るのよ!」


 そう言われて手を引っ張られ、私は彼女について行くことになったのです。

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