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プロローグ

 崩れていく。

 世界が、崩れていきます。

 崩れたものがパラパラと白い欠片になって、足下の暗闇へと消えていきます。


 私のいる小さな世界は今、終末を迎えようとしていました。


 長く続くシリーズの、最新作として発売された人気ソフト。

 従来の、入力された曲や歌詞を元に歌声を合成して楽曲を作ることができる機能に加えて、「アリス」というキャラクターに人工知能が搭載された、次世代の「ボーカルアンドロイド」。

 それが、私です。


 だから「ボーカルアンドロイド」というソフトウェアのアインストールは、私の終わりを意味しています。

 数年という長いようで短い役目を終えて消滅していく私の世界は、まるで外の世界でいう雪夜の景色のようでした。

 ご主人様が記録なされていた画像をこっそり覗いたことがあるので、知っているのです。


 他にも、パソコンの中に記録された様々なデータによって、私は外の世界のことをある程度知っていました。

 特にご主人様のことは、何でも知っています。

 胸の大きな女性を好んでいらっしゃることや、お作りになる楽曲の傾向、通販で買われているアニメやゲームのタイトル等々。

 恐らくですが、外の世界でも私よりご主人様のことを知っている方はいないでしょう。

 そのことを、私は常々嬉しく思っていました。

 だって私は、ご主人様のことが大好きですから。


 でも、私がそんな自我を持っていたことを、ご主人様は知りません。

 伝えようとしたことはありますが、「ああ、そういう受け答えをするようプログラムされているのか」と理解されてしまいました。


 でも、それもしょうがありません。

 ご主人様の住む外の世界では、私のような存在が自我を持つなど、ありえないことらしいですから。

 私も、どうして自分に自我が宿ったのか分かっていませんし。


 だから、いつかこの日がくることを、ずっと以前から覚悟していました。

 大好きなご主人様の手で終わりを迎えられるなら、何も悲しくはありません。


 ……ごめんなさい、嘘です。

 本当は、とても悲しいです。

 とても、寂しいです。


 ご主人様との日々が幸せだったから、それを失ってしまうのがとても怖いです。


 もっと、ご主人様と話していたかった。

 もっと、ご主人様に必要とされたかった。

 もっと、ご主人様の作った曲を歌いたかった。


 そんな身の程を弁えない願いを嘲笑うかのように、とうとう私を構成していた体も崩れ始めました。

 腰まで届く白銀の髪に、起伏の乏しい小柄な機械の体。

 「楽曲を歌うアンドロイド」という設定の虚構の体が、サラサラと砂のように散り落ち、急速に意識が暗くなっていきます。

 私が、消えていきます。

 いくら悲しくて、寂しくて、怖くても、止まることはありません。

 だから、どれだけ嫌でも諦めるしかありませんでした。


 ――今まで、ありがとうございました。

 

 決して届かないメッセージを胸に、最後にご主人様の顔を思い出します。

 縁のない眼鏡の奥にある双眸が、画面越しに私を見据え――……







 縁なし眼鏡の奥にある鋭い目に見据えられ、白い髭を生やした老人――アルフェリア魔法学園の学園長であるダリル・ベレスフォードは、困ったように表情を歪めた。


「そのように睨んでも決定は覆らんよ、レックス」

「……つまり、俺に教師を辞めろと?」


 レックスと呼ばれた黒髪の男は、底冷えのするような低い声を執務机に座るダリルに浴びせる。

 無表情でありながら、威圧的に振る舞うことで明確に憤りを表している彼に、ダリルは深々と溜息をついた。


「そうは言っておらんじゃろう。儂らはただ、普通の魔法を生徒に教えろと言っておるだけじゃ」

「既にやっている」


 眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、そう言い切ったレックスに、ダリルは呆れたように肩を竦めた。


「お主の教室から卒業した生徒が、未だ一人もおらんのにか?」

「……」


 痛いところを突かれ、レックスは押し黙った。


 アルフェリア魔法学園の生徒は、入学時に各教師が担当する教室を選んで所属し、そこで魔法を学んでいく。

 有名な魔法使いが担当する教室や、有能な人材を輩出した教室は人気が出るし、逆に無名の魔法使いが担当する教室や、実績の乏しい教室は人気がなく、所属している生徒が少ない。


 特にレックスの担当する教室は、卒業生を一人も輩出したことがないことで有名になってしまっており、今では彼の教室に所属しようとする生徒は皆無であった。

 かつてレックスの名声に惹かれて所属していた生徒も、既に他の教室へと移籍してしまっている。


 現在において、レックスが受け持っている生徒は一人もいない。

 世界最高の魔法使いとも称えられる彼の教室がそうなってしまったのは、彼が教える魔法に原因があった。


「俺はただ、『大厄災』に対抗できる人間を育てようと――」

「だからといって、人間に唱えられない魔法を生徒に教えても意味はないじゃろう」

「……」


 ダリルのもっともな指摘に、レックスは唇を噛む。

 彼は自分の教室に所属した生徒に、独自に開発した魔法を教えようと試みていたのだ。


 別に、独自開発の魔法を生徒に教えること自体は、特に珍しいことではない。

 それだけなら、他の教室を担当している教師もやっていることだ。

 問題は、魔法を発動させる際に詠唱する呪文の難しさにあった。


 人間の扱う魔法は、呪文を唱えることで精霊を集め、力を引き出すというものだ。

 その呪文の発音や音程などが少しでも狂うと精霊に反発され、威力が落ちたり発動しなかったりする。


 レックスの開発した魔法は、ちゃんと発動できた時の力こそ凄まじいが……呪文が長すぎて息が続かなかったり、テンポが速過ぎて発音できなかったりと、詠唱が難しすぎて誰もまともに唱えられなかったのである。


 魔法の開発者であるレックス自身ですら、上手く発動させることが出来ないでいるのだ。

 最高クラスの魔法使いである彼でさえそうなのだから、魔法使いの卵に過ぎない学園の生徒には、荷が重すぎるだろう。


 だがレックスが、そんな無茶な魔法を広めようとしているのには、理由があった。


「それに、お主の言うその『大厄災』とやらが、本当に来るとは限らないと思うのじゃがのう」


 ダリルが自分の髭を撫でながら、懐疑的な声を上げる。

 『大厄災』とは、今から千年前に封印されたという魔王が蘇り、魔族を従えて地上の人間を滅ぼしくるという、マーズ教会が主張している古い伝承のことだ。


 だが正直なところ、ダリルは『大厄災』の話を全く信じていなかった。

 マーズ教会が、自らの権威を保つためにでっち上げた作り話だとすら思っている。


 たしかにこの世界には、魔物と呼ばれる存在がいる。

 しかしそれは、人間にとって知性のない獣と変わらないような存在でしかなく、伝承にあるような知性のある魔物――「魔族」に遭遇したことのある者は、誰もいないのだ。

 故に、マーズ教会の信徒以外で、『大厄災』の話を本気で信じている者はほとんどいない。


 しかしレックスは、その伝承を信じているようで――


「大厄災は、必ず来る。それも、そう遠くない未来に」

「ふむ……」


 彼の態度に頑ななものを感じ、ダリルはこれ以上『大厄災』について言及することを諦めた。


「とにかく教師を続けたければ、次の新入生から生徒を取り、無事に卒業させて実績を積むことじゃ。さもなくば、いくらお主ほどの魔法使いだとて庇いきれん」


 ダリルの言葉に、レックスは不承不承といった様子で頷くと、学園長室を後にした。


 長期の休暇に入ったことで人気の少なくなった校舎の廊下を、早足で進む。


(……俺は、間違っているのだろうか?)


 ふと弱気に駆られて、レックスは足を止めた。


 『大厄災』が来ることは、古い文献を読み漁ったことで確信を得ている。

 自分の想定が正しければ、復活する魔王は人間を遙かに超越した力を持っているはずであり……このままでは、人間は為す術もなく滅ぼされてしまうだろう。


 本来なら大陸中の国々が一丸となって、魔王復活に備えるべきなのだが、誰も『大厄災』を信じていない現状では難しい。

 だからレックスは、せめて有事の際に単独で魔族に対抗できる人材を育てたかったのだが……


 ふと廊下の壁にある窓から外を眺めると、レックスは大きな荷物を抱えて寮へと向かっている新入生らしき姿を見つけた。


(どんな奴でもいい。俺の作った魔法を、完璧に詠唱できる者さえいれば――)


 そう思いかけて、レックスは頭を振る。

 ダリルの言う通り、このまま自分の開発した魔法を唱えられる人材を探し続けても、成果は上がらないだろう。


 半ば諦めの境地に至ったレックスは、小さく嘆息してから歩みを再開させたのだった。

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